しゃがんで鳥を見ていたら、気がつくと横に同じようにしゃがんでいる小学6年生くらいの少年がいた。
「ずいぶん弱っている。もうすぐ死ぬ鳥のようだね」
「死ぬ前は静かにしているね」
「身近に死があるんだなあ」
「鳥の人生は短いね」
「7,8年だったと思うよ、心拍を聞いたことがある。すごく早いんだよ」
「一生の心拍の数は人も鳥もみな同じくらいらしいね」
「鳥はどうしてほしいのかな」
「こんなところにいたら踏みつぶされてしまうかな」
「でも放っておいてほしいんじゃないかな」
「最後の時間を過ごしているんだ、余計なお世話はやめとこうか」
「この鳥は知っているよ、津軽海峡を渡るのを見たことがある、すごく遠くから来たんだよ」
というような会話を交わして二人とも腰を上げて別れた。なんだか大人同士のような、その上知らない人同士としてのよそよそしさもなく、妙に親密なやり取りだったと後から気がついた。少年は死について多少想像したことがあるようだった。死を語れるなら、もう子供ではない。
何年も前の10月8日、北海道南端の白神崎で、海峡を渡るヒヨドリの渡りを撮ったことがある。風のない朝、数百羽の群れが、一斉に幅20キロの海を越える。40分ほどだが、休めない。離陸した途端にノスリやタカの餌食になるやつもいる。たいへんな苦労をしてここまで飛んできて、仲間と別れて、目を閉じていたヒヨドリかもしれない。
予約していた本を借りて出てきたら、鳥はいなかった。誰かが三の丸片端の土手の茂みのほうへ運んでいったのか、カラスがさっと来て連れ去ったのか。
※圖書館で連発で借りている90年代発行のロシア関連のテーマのブックレットシリーズ。今回のラインナップ。
ありがとうございました。
日々の生活の中からこれだけのものを感じ取り、伝えられるyoneyama様。
素晴らしいと思います。
きっと山に登った1日の中でも、だれよりも多くのことを感じ取られているのでしょうね。
過分なお言葉ありがとうございます。少し前の「お嫁様」のことばに通じるテーマですね。いつ死ぬかわからないところが、人生の醍醐味で、死を前にした時間は、命の山場ですよね。
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