▼がんに関して、医者が出来る治療は無い。▼がんと診断されるものにはがんと「がんもどき」があり、ほとんどは「がんもどき」だから、放置しておけばよく、よけいな治療をしてはいけない。▼運悪く本当のがんでも切除手術、抗がん剤、放射線治療は、寿命を縮める事はあっても治療にはならない。▼がんそのもので痛みを伴うものは少なく、痛みを抑える医療はある。苦しむのは抗がん剤治療や手術の痛みの方が大きい。ということを述べています。
日本中で行われている常識とはずいぶん違った見解です。もう長い事何冊もこの趣旨で本を書いていて、親しい人ががん診断されたことのある人なら、ご存知と思います。
先日風邪をひいて、周りが医者へ行けとうるさいので仕方なく行きました。最近の医師はパソコンの画面ばかり見て話し、昔のようにこちらを見てくれませんし、ずっとカチャカチャキーボードで入力するのに忙しそうで、嫌になります。件の本に「3種類以上薬を出すような医師を信用してはいけない」と書いてありましたが、今回は5種類でした。患者もたいてい薬が欲しくて医者に行くようなもので、確かに薬を飲めば症状は楽になりますが、本来、熱上げて、咳して、鼻水出さなければ病気は治らないかもしれません。
人は必ず死にます。それが間もなくなのか、いつとは言えない先なのか?それを忘れて日々暮らしているせいで、がんと言われただけで慌ててしまわなくても良いように。どう死を迎えたいか?という問いはどう生きたいか?ということだと思います。
僕の祖父は明治生まれで、井戸水、薪の風呂、質素な食事と衣類と、自分の事は何もかも自分で作って暮らし、医者には一切かからず、車を使わず、行政も頼らず、コンビニも知らず、100歳近くまで生きてすっと死にました。僕は強い影響を受けたので、ことある毎に思い出します。
おじいさん、すごく徳がある方ですね。現代社会ではぽっくりとはなかなかいかないものです。
私の祖父も60歳から遺言状を何度も書き直し、88歳で死ぬまでに何回も「死ぬ死ぬ」と家族を集合させてましたので、本当に危篤になった時は、誰も本気にしなかったのですが、ご臨終の時は、ひ孫も含めすべての血族が見守る中で死にました。しかも28年間の集大成の完璧な遺言状のおかげで葬式の席順も祖父の指示通り、死ぬ数年前から葬式の花代、教会の先生のお礼、近所や葬式の客のお膳の注文し支払済み、葬式の机、座布団まで買って倉庫に入れてました。白い鳩まで注文ずみ、おじいちゃんの夢?あっぱれすぎる葬式でした。
私も毎日、悲惨な病人とその家族を見ているので、一番の夢は、誰にも迷惑かけずにぽっくり、さっさと死ぬことですが、これがなかなか難しいです。
まろくみさん
徳というより、明治のやり方を21世紀まで変えなかったのですね。あの世代は40近くになって予備役招集されて、それまで働いて築いたもの全部失い、無一文で大家族抱えて敗戦の窮乏期を彷徨った世代です。徹底したリアリストのはずで、その結論がこれだったのでしょうか。お爺さまのお葬式予行演習は、きっと皆を集めたくてやっていたののでしょうね。いい思い出ですね。
こんばんは。
石原結實氏の「空腹力」という本を読むと、長寿で知られているコーカサスの老人たちに長寿の秘訣を聞いてみると、「よく働き、合唱団をつくって皆で歌って、狩りに行ってよく歩き、酒を飲んで大騒ぎをする」のだそうです。なるほどと思う部分はありますね。
また、この本だったか忘れましたが、この地方のヨーグルトは「ヨーグルトの木」という樹木があってその枝を牛乳に入れると常温でヨーグルトになるらしくて、その親戚の木が日本のサンシユらしいです。
そのサンシユを使って私も天然の乳酸菌からヨーグルトを作ろうとしましたが残念ながら腐敗してしまいました。再挑戦してもダメだったのであきらめました。
日本には日本の長寿の秘訣がありそうですが、コーカサスでは100歳を超えるような老人が畑仕事をしていて突然ころりと畑で死んでしまうのが普通だそうです。
yoneyamaさんの日記から、そんなことを思い出しました。
コーカサス、山岳地で歌も踊りも食べ物も盛んできれいなところですよね。行った事はありませんが、映画で何度か見ました。ロシアの侵攻に立ち向かう映画ばかりですが。あの狭い地域に、ロシアにもグルジアにも、アゼルバイジャンにも、さらにその中に小さな自治共和国がひしめいていて、その名前を一通り憶えるだけでも一日楽しめるほど複雑ですね。
トルコではヨーグルトをバケツで売り買いしていました。ぼくもヨーグルトは好きなのですが、先日読んだ別の本では、モンゴロイド(日本人)はコーカソイド(西洋人)と違って牛乳の消化酵素は無く、離乳した成人は乳製品を取るべきではない、戦後の病因は欧化した食文化にあるという説が書かれていました。「伝統食の復権」だったかな。いろんな説があるものですね。
コーカサスでは健康診断や医療がないからピンピンコロリといけるのでしょうね。土地にあった食べ物でよく働いて歌って踊るのが一番ということでしょうね。
よねやまさん、こんにちは。
「医療否定本に殺されないための48の真実」を書いた長尾医師の話しがでています。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3496
何が正しいのかわからない部分もありますが、
ジョンウェインの時代の「正邪」のように極端な分類はできないように感じます。
昨秋、不注意な歩行でスネを骨折し、保存療法か手術かの選択をせまられました。
事前の調査で一長一短であることがわかり手術を受けました。自分で判断した事ですので後悔はしていませんが、悩ましさは今も引きずっています。
私の祖父(とうに他界)もよねさんちと似たような人で、大好きでした。
幼少の頃からチクロで育ち、バイクを乗り回した僕らは、明治の青年にはかないませんね。
ガンコヤさん
近藤さんの本は極端な事書いて〼からお医者のほとんどは真っ赤になって怒るでしょうね。しかしリンク先のお医者さんも読んでみれば、一番大切な部分では意見が一致しているように読みました。
昔の年寄りは格好よかったのに今の年寄り(自分も間もなくか)は全然格好よくないですね。遊んでばかりで往生際が悪いです。
初めまして。(いつも日記は拝見しており、私にとっては慣れ親しんだお名前ですが)
本当に最近の医者はパソコンの画面ばかり見て患者の顔を見ないですね。よくうちの叔母もぼやいて いますよ。おかげで、良く患者の話を聞いて顔を見ながら話をしてくださるお医者さんはすごく人気がありますね(特にお年寄りに)。
ところで、私の祖父もyoneyamaさんのおじいさんと同じで医者に掛からず、井戸水、薪の風呂、そして毎日よく歩いて95歳まで元気でおりました。
ある日の朝、気になって見に行くと寝室で倒れて亡くなっていました。前日まで元気でいたのですが、これを大往生というんでしょうね。
逆に医者に一杯かかった祖母や両親の最期はベットに横たわり管を一杯通されて辛そうにしか見えませんでした。(そうさせた責任は私にもあるわけですが…)
だから私は最近は気になってもできるだけ医者に掛からないでいようと思っています。行けば病気見つけてくれますからね。
とか言って、痛いと我慢できないのですけど ここが悩ましいというか 辛いところです。
へへさん
医者に行かない、という治療法、周りの善意と常識の圧力が強くて結構難しいのです。じいさんは偏屈あつかいでした。アレルギーなんかで、生涯薬を飲み続けるようなのは、なんとかならないものかと思います。
そうですね、最近の医師にはその様な方が多いですね。PCが普及する前はカルテと患者さんの顔を拝見しながらの診察でしたが。
デ−タの方が患者さんの症状の経過が分かり易いメリットもありますが・・。
>「3種類以上薬を出すような医師を信用してはいけない」・・。
医師も必要だから、「処方せん」として出すのですが、例えば皮膚科の場合にはよく塗り薬を処方してくれますが、本来は内臓等が要因の場合が多いので、本源の治療が優先されるべきですね。
薬に頼らない治療も時として必要ですね。
ノンキボーさん
やっぱりたくさんの患者を次々さばく忙しさがそうなるようですし、気楽に医者へ行くのはお互いのためではないなあと思いました。
薬はあくまで毒薬なんだと、飲まずに済めばそれに超した事はないのだなと思います。
私の好物は、がんもどきである。
がんもどきをヒガシマルのスープで煮て、辛子を付けて食するのが好きである。
昨夜も、がんもどきを肴に焼酎を飲んだ。
私は、子どもの頃からの医者嫌いで、25年も医者にかかったことがない。
なので、自分の血糖値や尿酸値も知らない。
そもそも検診を受けないのだから、癌かどうかも判らない。
何か症状が出たときには手遅れだろうから、長く患うこともないと思っている。
それはそうと、病院で風邪は治らないという主旨の書籍もあったと思う。
すげがささん
ヒガシマルのスープは山でも万能ですね。
どうせ死ぬならがんがいいみたいですよ。件の本によると検診しなくて治療もしなければ、そう痛くなく死ねるそうで。
私は、近藤医師も長尾医師もどちらも本当の事を言っていると思います。長尾医師が言っているように、近藤医師はかなり極端に言ってる所はあると私も思いますが、どちらにも真実があると思います。
本当にどちらが正しいかは、何十人か何百人かの、最初の診断とその後の処置、その経過等を観察、記録して、統計的に如何いふ結果になるか実際にやってみないと、どちらが正しいかは分からないと思います。
そうすれば、ヒューマンエラーも何%あるか分かりますし・・・。何れにしろいい医者を選ぶことが肝心で、これが大変難しい。
実際はこんな事を医師たちがやるとは思えませんが・・。
これは福島の原発事故で、何ミリシーベルト以下だったら村に戻って生活できるかが、データが無く、確率論の域を出ないのと全く同じだと思います。
しかし、近藤医師の本が何十万部も売れると言ふのは、患者やその家族等、人々が現在の医療に不信を抱いている証拠でしょう。
日本の医療は山崎豊子の「白い巨頭」から、現在は進歩しているのでしょうか。私は各大学医学部はその出身者別に各病院に配分され、系列化されて非常に閉鎖的で、それぞれにやり方が違っている様に思っています。
それから、先日のニュースに、ベルギーでは子供にまで尊厳死を認めるようになった、とありました。オランダなども尊厳死を認めていますが、子供にもと言ふのはビックリです。
実は私も尊厳死論者で、日本でも尊厳死を認めて欲しいと思うものです。これはこれからの社会では、基本的人権、自己決定権でなければならないと思います。
私の今の理想は、ある日、死ぬ前に一度会っておきたいと思っている人に集まって貰って、歓談をして、それでは皆さんさようならと言ってあの世に旅立ちたいと思っています。
友人の話によると、そう言っていたお寺の住職でも、いざといふ時には女々しかったといっていますが・・・。
メスナーさん
どっちが正しいというような読み方では答えはないでしょうね。僕もそう思います。近藤氏の本は以前から知っていましたが、こんなに売れるまでになっていた事に驚きました。
この本の読み方は、依存せず、自立した病人になる、自立した死人になる、自立した人生を考える事だと思います。
いざというとき女々しい人間もすてきですねえ。そんな大袈裟な会を催すから女々しくなってしまったのでしょう。
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