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著者は1943年生まれの芥川賞受賞作家で1966年に信州安曇野に移住した田舎暮らしの先達。「千日の瑠璃」など、僕はあまりフィクションは読まないのですがこの人のはすごく面白かったので。以前エッセイの「生きるなんて」を読んで、以来、すすんで冷や水をかぶってきました。
著者は「田舎暮らしを考える前にあなたは自立した人間なのか?」と問うのですが、初老になってから山登りに明け暮れる登山者たちに対しても書いている部分がまた痛切で的確でした。
「あなた方はどうしてそう余生の充実をがつがつ貪ろうとしているのでしょう。そうしなければ損だと言わんばかりに、さもなければ寿命に追いかけられているかのように、じたばたし、あたふたし、右往左往し、それが本当に自分の好みであるかどうか確認しないで、登山が流行だと言えば登山に手を出し、・・・そんな無茶をすれば体を壊してしまうのが目に見えているのにもかかわらず、商売上手な仕掛け人たちの巧言にまんまと乗せられて振り回されているのには、おそらくそれなりの理由でもあるのでしょう。
年齢にふさわしい、もっと落ち着いた、自分らしい、奥の深い、なるほど第二の人生だと感じられるような重厚な生き方を選ぼうとしないのはなぜですか。それではまるで自己がまだ完成されていない中高生たちとほとんど変わらないとは思いませんか。」
すべての田舎暮らし志向者、登山愛好者を批判するわけではないけれど、都市生活、サラリーマン生活の甘やかされた環境で、人に頼って長い人生を過ごして来た自立していない人間が、田舎暮らしなり、山登りなどを逃げ場所としていきなり始めたら、命に関わる失敗をすることになるという指摘です。ただ、都市に残っていたところで、自分の体を律する事が出来なければ体を壊して病院の世話になる違いですが。
山から下山した山間集落歩きが近頃楽しいです。旅行者だけの立場では空き古民家、空き耕作地だらけで、いつかこんなところで自分の食べる分ぐらい作ってお金の要らない不便を楽しむ暮らしができるだろうかという気持ちもあります。いずれにせよ田舎では体が動かなくなったらのたれ死にの覚悟を、と思います。
丸山健二さんという方
そんなかたくなに考えることは無いでしょう。
大方の人は損得を考えて山登りを始めたわけではないし、
ただただ余生を楽しんでるだけだと思います。
私もその一人です。
他人から教わることは多々あるけれど、自然から教わることは別格のものがあります。
むずかしいことを考えずに死ぬときまで生きるまでのことだと思っています。
ヨカッペさん
感想ありがとうございます。丸山健二のエッセイはとてもかたくなに考えて書かれたものなので、もちろんすべて真に受けて生きるのは無理とおもいます。
僕はたまに読んで、でも、忘れられない言葉がたくさんある本です。耳に痛く、「お前の人生は本当にそれでいいのか」と自問する事が出来る読書です。
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