![]() |
戦国時代末(16世紀末)の頃は、新しい形の都市(城下町)が各地に形成された変革期で、大名が都市名を考えた、変わり目の時代だった様です。それまでの地域の地名「深志」を「松本」にかえたのは武田信玄に国を追われたが武田家滅亡後にもどった小笠原貞慶という戦国大名です。高松、松江、松山も、この時代に発展した城下町で、きっと常緑樹で生命力溢れ気品ある松の木が、当時のはやりの、粋な、イカした一文字だったのではないかと思います。この時代に粋と思われ地名にした文字は、「福」と少ないけど「徳」かな、と思っています。どちらにせよ大陸の故事、文化、価値観は強いと思います。
平成の合併などでの違和感から、地名は簡単に換えて欲しくないと思いますが、もう400年以上経っているのでこれはいいです。やっぱり流行の名前というのはあとから見れば時代を表すものとして、歴史考察には便利です。
前に書いた話で、日露戦争後の軍拡時代に全国各地に陸軍師団、連隊がたくさんできたとき、その周辺の地名に、朝日、旭、曙が多かったようです。旭日旗に由来したようです。戦後の駅前通りは「平和通り」「平和公園」が多いです。甲府も、青森も、そうでした。多分もっとあちこちの町でも。
松の木は、庭木や、植林で見る事が多くて、山派としてはいままではあまりピンと来ない木でしたが、青森の里山で松の凄い巨木をみたりして、見直しました。戦国大名好みの木ってことで、盆栽でもやってみようか。
このほかにも松の付く町はだいたい立派な石垣付きの城がある町ですよ。松代、若松、松前・・・。
おはようございます。
数年前に上海に行った時に「松江」という所に滞在しました。
後に台湾の台北にも松江という地名があるらしい事を知りました。(こちらは行ったことはない)
もちろん日本にも松江がある。
この共通点のもとはなんなのか?
調べてもいませんが、不思議なことです。
ところで礼儀作法や弓道などで知られる「小笠原流」というのは武家の小笠原氏から発したそうですが、その小笠原氏発祥の地は南アルプス市の小笠原というところだそうです。
ほとんど誰も知らない話でした。
ぱそこさん
そのどっちの話もしっています。狭い世界の話題です。
たしか松江の命名のとき、松江の殿様が参考にしたのにシナの地名があったという説もありましたよ。当時の知識人は漢籍、かの地の地名に凄く詳しく、敬意を持ち、憧れてもいましたから納得いく話です。
ちなみに「江」はもともと揚子江の事で、たくさんの淡水を指し、京都から近い江が近江(おうみ)、遠い方の江が遠江(とおとうみ)ですからね。
南プス市の、もと櫛形町の中心地が小笠原で、甲斐源氏の一派でしょうかね。小笠原という地名が地区名として残っていてありがたいです。松本城主はその後どんどん国替えで変わりましたが、小笠原家は武田と交戦した一家ですし、松本の戦国大名です。武家作法と、諸島発見に名を残していますね。
このあたりには加賀美さんとか小笠原さんとか初鹿野さんとかかっちょいい武将の名前が多くていいですね。春からこどもの担任の先生が加賀美先生になりました。甲州っぽいです。
yoneyamaさん、こんにちわ。
深志から松本って名前が変わったのは明治以降の最近の話だと思っていたのですが、実は戦国末期だったのですね。地名は人名の元になっていたり、当時のよすがを知る手がかりになったりと、旧い地名は大切にして欲しいのもではありますが。
うちの子は二人とも女なんで、あんまり地理・地名には興味がなくてつまらんです。
明治に変わった地名も結構あるようですね。県名なんかは藩を統合して作り直したから新しいものが多いのですが、一部の郡名から転用したものも多いようです。山梨とか岩手とか。
うちのも編み物好きなインドア少女ですよ。この場合、女かどうかはモンダイなのかな??
台北の市内の空港は、松山空港といいます。読みは、そむさん 。
これは前会社の上司、台湾人から聞いたので間違いないです。
島根の松江については、
来週松江に4−5日滞在しますので、調べてみます。
二週間前にも行ったのですが、町名の読みは、ちょう
と まち が混在しています。米子市は鳥取県ですが、米子町と言う地名が松江市の中心部にあります。
松山機場は、もともと日本の植民地時代に作った古いものですね。
松江、米子、まだ見ぬすてきな町です。転勤で何年か住んでみたいです。
まちとちょうの読みは、県によってかなり違っていて、同じ県でも一部だけ逆という所もあります。おもしろいです。
こんにちわ、yoneyamaさん
自分は松と言うと「白砂青松」の海とのコラボも好きです。
最近、八王子城址や五日市の戸倉城址、網代城跡、昨日は高尾の初沢城跡など山城跡を見る機会がけっこうあって、戦国時代の話ちょっと興味持ってしまいました。
この辺一帯は北条さんだったようですが、武田さんに滅ぼされたようですね。
戦国大名の数奇な運命を少しずつ知ってみようか、と思っています。
それにしても武田さん、相当強かったんですね〜。
あまり日記の内容とは関係なくてすいません。
白砂青松の景観は、日本の山が森林破壊の土砂崩れで流出し、河口から海流に沿って流れた砂で形成された景観なのだそうで、製鉄製塩それに薪炭用に森林が消えた結果なのだそうです。でも1950年代以降、燃料は原油に変わったので今の日本は有史以来最も森林が豊かに。そして白砂の海岸線が姿を消しているのだそうです。いやあ、何が自然に優しいんだかもうわかんなくなりそうですね。
城址城跡に目が向いて来たら、登山の目もずいぶん変わりますよね。地域の山を見る目も。
ところで北条を滅ぼしたのは、武田亡きあとの秀吉、家康でした。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する