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何年か前、調査研究のため国の許可を得てかすみ網を使う、津軽海峡の渡り鳥の研究者の現場を訪ねた事があり〼。捉えた野鳥の足に標識を付け放鳥し、渡りの調査をするのです。名前には聞いていたけど、間近で初めて見る野鳥の数々。鶯、目白、木菟、鵯、椋鳥・・・。ものすごく美しい。羽の一本一本。グラデイションや鮮やかな色彩のデザイン、心拍の凄く早い鼓動、華奢な体躯、宝石のような目、力強い羽撃き。昔のガキどもはこれを手にして、野生との邂逅を体感していたのか、と少しうらやましく思いました。この体験なら名前もすぐ憶えるでしょう。
現代では鳥は望遠鏡のレンズの中に盗み見る事が出来るだけです。それでも魅力を味わうことはできますが、あの、鳥を手にした感触、それだけは体験しないとわかりません。
網野善彦を追悼した中沢新一の本の中で、昭和30年代かな、名古屋郊外の野中の一軒家の料理屋で、野鳥の焼き鳥屋に入る話がありました。その店は野鳥の鳥料理を出す店で、主人は野山で捉えた野鳥を料理するという話でした。古来から続く野鳥狩猟者の末裔なのでしょうか、民俗学的な考察を含んだその話を思い出しました。焼き鳥と言えば今時は養鶏所産が主流ですが、野鳥の味というのも以前は確かにあったのです。
僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書) 新書 – 2004/11
ちなみに好き嫌いのあまり無いぼくが、好んでは食べない食材が鶏肉です。昔ネパールで食べた鶏は本当においしかった。シェルパの娘が、「エクササーイズ!」なんて言って、庭先で飼ってる鶏の足を掴んでぶんぶん振り回していました。でも日本で食べるチキンはどれも全然おいしく感じないのです。贅沢なこといってますけどね。
yoneyamaさん、こんばんは。
たぶん小学生にあがらないくらい子供の頃、田舎でトリモチで捕獲したメジロを近所のおじさんが祖父に見せに来ていたのを覚えています。
美しい竹の鳥かごに入ったオリーブグリーンのぷっくりした可愛い鳥にうっとりした覚えがあります。
大人たちがちょっとコソコソしていた理由を大人になってから理解しました。
スズメを食べた覚えもありますがブロイラーに慣れた子供の口にはなにが美味しいのか全くわかりませんでした。まぁ今でもこれはあまり変わってなさそうですが
近所のおじさんはガキのときの延長で鳥をとるのがうまかったのでしょうね。
竹ひごの鳥かご、近頃見かけませんね。上海の路地裏でみたのが最後かな。
そういえば、鳥を飼う人も近頃すくなくなりましたね。鶏肉インフラが完全に整った現代、鶏以外の鳥は食べるものではない決まりになりましたね。
おはようございます。
今は亡き祖父が木曽の出身らしく、子どもの頃のおやつがカスミ網で取った小鳥だったみたいです。直接祖父から聞いたわけではなく、亡くなってだいぶたってから母から聞いたのですが。
存命のうちにもっと話したかったなぁ。
祖父を思い出してちょっとしんみりしました。
そして○年前に買った網野善彦全集、未読のままだった事も思い出しました
網野さんはかすみ網の網はじゃくて、若狭だか越前から来たご先祖の名前だそうです。甲府盆地は網野、網倉という名前が割と多いです。
まつこさんは全集持っているんスか。民俗学専攻なのかな。とっかかりに、「僕のおじさん」はかなりいいですよ。
こんにちわ、沖縄旅行中、とりもちで野鳥とってるの見ました。じっとしていたのでなく
棒を振り回していたような記憶があります。簡単にメジロを捕まえていてビックリです、奈良の大仏さん前で私が二歳くらいのころ素手で鳩を捕まえてる写真がありました。何故捕まえれたのか不思議です。うちの母も鳥肉たべません。昔家で飼っていたから、鶏をしめるのを見ていて食べれないそうです。先輩も鳥肉食べません。アメリカ留学中、七面鳥で食中毒になったそうで、鶏恐怖症らしいです。この二人と食事してオカズに鶏肉が出たら私のものになります
トリモチってのは餅でくっつけてとるんかな。そんなのでよく野鳥が捕れるなあ。見た事無いからわからなくて。鶏肉は殺生を見て駄目な人、いるようですね。
ネパールで見た殺生は、そう悪くなかったです。シェルパ凄え!と思いました。チベット仏教なのに。
今日は!
真中のお写真の鳥は・・
もしかして・・キクイタダキですかね?
日本に居る、一番小さな鳥ですよね!
自分のブログから ↓
http://gazoo.com/my/sites/0001433586/yamaume1960/Lists/Posts/Post.aspx?ID=318
うめちゃんも野鳥捉まえて食べてた世代?じゃないですよね。
この鳥の写真は8年前で、もう名前を忘れちゃっていたのですが、助かりました。たしか、日本一小さいって言っていたのを思い出しました。キクイタダキでした。このときお世話になった野鳥研究家のおじさん、その後なくなりまして、懐かしいのです。
yoneyamaさん、私は野鳥を食べた世代です。
こんな思い出を私のサイトに載せてます。
雪の原で野鳥を網で獲ったころ
http://trace.kinokoyama.net/farmer/saiziki/musouami-yatyou.htm
そこで、ふりかえって書いている言葉。
「1965、6年ごろの、福島の農村の状況ですから、今の自然環境、鳥たちが置かれた状況、道徳観念などからみれば、問題に思えるかもしれません。でも、あのころの子どもたちは、そうやって捕った小鳥を農家に持ち帰って、おやつやおかずにして、食べてしまったのです。」
「私は、魚も虫もさんざんとり、蛙をいじめ、そして小鳥さえ食べて、育ってきたのです。身近な動物たちには、ここでは言えないような、罪なこともしてきました。それも、楽しかったといってはいけないですが、その瞬間は、胸がドキドキする刺激的なひとときでした。
ふりかえれば、いろいろ、罪な事を重ねてきたものです。いまは、いまの状況に見合った形で、子どもが生き物と接するようにしていかなければいけないと感じています。」
ガキどもに鳥の獲り方を教えた、この30くらいの「おじさん」。いまそういう年代が小学生と交わるところを見かけませんね。
簡単そうに見える仕掛けだけど、奥が深いんでしょうね。
2001年の時点で充実のHP作っていた点がまたたにがわさんの大したところだとおもいます。
バードウォッチングの知人。
「昔はメジロを食べた」と言われ、最初は「えーっ。そんな〜。うそだ〜。そんな!」と引いてしまったのですが。
でも、よく考えてみれば一番身近な食糧ですよね。
そういった部分も全部含めて、今の鳥と人間との関係が生まれた。バードウォッチングをする上では美しい部分だけではなく、事実はちゃんと認識する必要がありますね。
野鳥を食った時代は、「美しくない事実」や「過去の過ち」ではないですよね。
むしろ、「信じられない」と思うことのほうが、狭い歴史認識に思えます。
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