その避難小屋には、冷たいにわか雨に追われるようにして、入りました。私一人の山旅でした。
9月下旬の大雪には、入山前日に2度目の、わずかな降雪がありました。私は黒岳石室に泊まり、翌日、白雲岳を経て、この日はヒサゴ沼の小屋をめざしました。高根が原をすぎ、忠別岳を越えかけたところで、みぞれまじりの雨。忠別の避難小屋へ駆け込みました。白雲小屋から先、縦走路ではまったく登山者の姿はありませんでした。
小屋は、内部が暗く、大雪のなかではもっとも小さい。12人ほど収容の2階建て。
2階の屋根裏に上がり、重い木の窓を押し開くと、濃いガスの向こうに、赤と黄色に染まる忠別岳の山腹が見えかくれしていました。
屋根をたたいていた雨音は、次第に弱くなり、ガスの色も明るみを増してきました。
そのときです。小屋全体が、鳴きました。
「ウィィィーン! ギュゥゥーン!」
「ギギギィーン! キューン!」
びっくりしました。屋根裏だけに、かなり大きく音は響きます。2度目、3度目までは、なんだろう、壁か屋根に何か悪さをする生き物がいるのか? 小屋がかしいで悲鳴を上げているのか? と不安になりました。
でも、鳴り音が何度か繰り返されるうちに、原因は想像がつきました。
ガスや雪雲が切れて、午後の日差しが屋根に差し込む。そのときに、冷雨で冷え切っていた屋根のトタンが膨張するらしいのです。日が隠れ、周囲が暗くなると、またトタン屋根は収縮する。それを繰り返すたびに、大きく響く鳴り音を立てているのでした。
安心した私は、この音の繰返しを聞きながら、窓の外の景色にまた気持ちを向けました。
強い西風にあおられて、ガスが不連続な固まりになって、稜線を越えて飛んできます。
そして、その大きな固まりが小屋をも包むと、私の目の前はうす灰色のベールでおおわれてしまうのでした。
うす灰色が白になり、そして少しオレンジがかると、ガスは一気に通り過ぎ、晴れ上がる。
その時だけ、まだ次のガスの固まりが稜線の上に持ち上げられたばかりのそんな一瞬だけ、秋の午後の低い日差しが忠別岳の山腹を照らし出します。
山腹を彩るハイマツの黒と灌木の赤とのコントラストは、よけいにきわだって、幻想的に見えました。
みぞれか新雪でも舞っているのでしょうか? 忠別の頂きは、山腹のガスが吹きはらわれたときでさえも、厚いガスの中でした。
その夜、まともに雪が降ると、トムラウシへは進めず、明日は天人峡へ下降することになります。
「小屋の鳴く音」。山友達といっしょだったら、なんの記憶にも残らないような事だったかもしれません。
1975年の秋の思い出です。
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