私の最初の(何度もあるんです)道迷い体験は、福島県の吾妻連峰の中吾妻山でやってしまいました。19歳、高校時代以来の友人と2人の山行きで、私にとっては18回目の山行でした。
中吾妻のヤケノママは、1990年代ごろから中津川が沢遡行の名所として人気が出たため、上流部にある河原の噴気地帯として、その名を知られるようになりました。
私たちが入った1973年当時は、地形図や山渓のガイドブックに登山道が記され、吾妻の秘境として憧れの場所になっていました。
ところが、浄土平→谷地平→中吾妻への山道へと登っていくと、ガイドブックとはかなり話が違う。深い根曲がり竹の薮が続き、斜面の上側からの倒木が道をふさぎます。
刈り払いなど、とうにされなくなって久しいようでした。
中吾妻山の乗り越しから、いよいよ中津川の谷に向かって下降を始めると、踏み跡は笹薮の中に消えてしまい、猛烈な藪こぎになりました。
地図上の枝沢(権現沢)の上部を横切る場所で、いったん踏み跡を確認したものの、対岸の登り返しでまた猛烈な藪に。とにかく方角だけは間違えないようにほぼ西へ、下降を続けました。
ときどき倒木があると、上に乗って地形の確認。権現沢を下流部で渡る地点が近いと判断して、この枝沢に再び下降しました。ものすごい藪を重力にまかせて上から押しのけて、ともかく下へ。
ようやく権現沢の沢床へ降り立ちました。私たちは、この時点で初めて、自分たちが引き返すのもたいへんな道迷いに直面していることに、気づかされたのでした。
以下は、当時の記録から。
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権現沢に行き着いた。五万図には名前も載っていないが、想像以上に大きくて落ち込みの鋭い沢だった。「道からはそう外れていない。探せば見つかるはずだ。」2人で相談し、ザックを岩の上に下ろして、沢の上手と下手に分かれて、踏み跡を探し始めた。
道は、T君が50メートルほど下流に見つけた。しかし対岸は、土砂崩れで長く崖が続き、道らしいものは見つからない。崩壊は200メートルほどの長さに渡り、50メートルの高さで続いている。
夕暮れが近づいていた。幕営は、せめてこの近くにあるはずの吾妻山神社を確認してからしたかったが、地図といくら見比べても、どこにそんなものがあるのか、見つからなかった。
こちら岸の斜面にあるのかもしれないと、さらに30分探し回ったが、だめ。
私たちは、幕営場所さえ見つけられず、沢のそば3メートルほどの薮のなかに、乾いた平坦な場所を見つけてツエルトを張ることにした。・・・
「雨だ! 起きろ!」。T君の声に起こされたのは午前2時だった。ツエルトの布地を雨がたたき、稲妻が光った。雷の音は遠いが、雨が強くなったらツエルトを移動させないといけない。身支度をし、ブドウパンをかじって腹ごしらえをした。
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2日め。本来なら、ルートを探し、それをたどる賭けをする手もありました。夜も、朝も、2人で話し合い、このルートは今の自分たちの技量を超えていることを確認しあいました。闘争心も失せて、何かさっぱりした気持ちに。
ビバーク地点で見つけた踏み跡を頼りに、中吾妻を登り返すことに決めました。しかし、登り返しの薮コギが待っています。
その踏み跡は、すぐに消失して、2時間余りの彷徨。ようやく、前日に使った、とぎれとぎれの踏み跡に出ることができました。
そこから中吾妻の稜線へ雨粒が降りかかる藪こぎを交えて1時間、さらに谷地平へと、また倒木またぎと、断続する藪こぎ。
中吾妻・秘境ヤケノママ入りの夢は、無残な結果になりました。
問題のルートについて新しい情報の入手ができなかったこと、自分の踏破力・ルート開拓力の不足、藪にそなえた目印の用意など、いくつもの過ちを気づかせてくれた体験でした。
付記1)この山行に同行したT君は、その後、札幌のHクラブの中堅クライマーとして活躍することになります。
付記2)私たちと同じルートで、ほんの数年後、若い登山者がこのルートに入って行方不明になりました。
当時は山のガイドブックや地図も、今のように頼れるものではなかった事情もあります。地図上の踏み跡を当てにして、入山し、少なくとも途中までは、私たちとほとんど同じ体験をしたのだと想像します。
付記3)現在の中吾妻、ヤケノママは、南側から中津川に沿う山道(下部は林道)が整備され、探索に入った記録もWEB上で入手することができます。
しかし、東側、私たちがたどった谷地平からのルートは、登山者向け地図では「破線」扱いになり、いまも以前のままの猛烈なヤブコギが待ち受けています。
私たちの前に立ちはだかった権現沢の大きな崩壊地帯は、いまも健在でした。その崖の先は、ルート取りも足元もかなり難しい地域になっています。
http://4.pro.tok2.com/~forester/trekking/2005/Mt.%20Naka-Aduma%20Sep.%202005.htm
付記4)吾妻山神社を、私たちは現在地確認のため探したのですが、記録によると神社は人工物ではなく、沢の岩と釜などが「御神体」でした。そのことを事前に知っていれば、地図で想定した現在地にもっと自信が持てたと思うし、「御神体」も発見できたかもしれません。
はじめまして。
tanigawaさんがコメントされた、
9/19巻機・割引沢ルートの道迷い登山者との、
原因解明のやりとりは、非常に興味深いと感じました。
この記録も、後進の登山者には、
単なる他人の体験談として受け止めることなく
貴重な教訓になってほしいと、切に思います。
せっかくの体験
日記だと流されてしまうのが、少なからず残念ですが。。
keisukeさんへ
あのとき、Uターン地点で、私たちは自分たちが本来のルート上にいること自体を疑い、そのために吾妻山神社や踏み跡の痕跡を探し続けたのだと思います。
でも、結局、前にさらに進んでいいよ! と思えるだけの、確実に位置を確定できるものを、見つけ出せませんでした。
一般登山道がある谷地平にもどってほっとしたものの、ギリギリまで挑まなかった自分を許せない気持ちを持ちながらの下山でした。
でも、後で振り返ると、現在地とルート確認を最優先し、そこが不安である以上、もどる判断をしたことが幸いしたと思います。
T君は、その後も、学生時代を通じても何度も山行を重ねた1人です。思い出すと、2人で、未熟な自分たちの、結果的に幸いした判断を話題にしてきました。
負けるときはさっぱりと負ける。
そして困難さは、ルートの難易やつらさなのではなく、やはり現在地の確実な把握にありますね。
私たちのほんの数年後に、このルートで行方不明になった若い登山者のことも、もっと知りたいと考えています。
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