今度の事故では、事後の段階でも、登山の本来とは異なりすぎる展開に、驚かされています。
よねやまさんに共感しつつ、私も書きます。あえてコメントにしなかったのは、よねやまさんの個性的な、貴重な検証を尊重するためです。
今度の事故の経過を見つつ、事故そのものではなく、管理・運営者側(山のリーダーの次元でないので、単純に管理者とします)の事故後の言動に、ずっと違和感を感じてきました。
1つは、これが、ひとまとまりの、登山なんだろうか? ということです。
親も、クラスメートも、心が壊れるほど悲しんでいるのに、事実経過と自分の判断に、ほとんどなんの自省もせずに、マスコミ対応している「管理者集団」がいる。
教師と生徒8人が亡くなったのに、それを他人事のように話す「」管理者」がいる。出てくる言葉は、車の物損事故の説明のようです。
彼らがしていたのは、登山だったんだろうかと、不思議な気持ちになってきます。
登山とそのなかでの事故が、本来は「リーダー」だった人達によって、いままで、こんなふうにまで、他人事として扱われたことを、私は見たことがありません。
意志決定した管理者と、そのもとで事故に遭った生徒ら。事故時の居場所だけでなく、あえていえば気持ちにも、距離が見えた。
そこから、いま1つのことを、思いました。
高校生であろうが、歳を重ねてから山に登る人の場合であろうが、山登りを重ねるなかで、それぞれの人なりに身につけてゆく、実践的な生命力といえるものがあると思います。そして、登山本来の、思考と行動の自由さがあるはずです。そのうえで、他者が判断するのではなく、自分で考える体験と行動を重ねてこそ得られる、本能と判断力のようなものがある。
そこは、この「パーティ」の場合、どうだったんだろう?
高校2年生から、不満足な知識や装備で山を始めた私の場合、山岳部の集団登山を嫌ったために、行く道は、まず単独行でした。
教師に登山届けをして、高校生だということで、単独行を禁止されて以来、私は、管理者に告げずに、親の理解だけで山に行くしかなかった。
登山計画書を示したとき、担任もその上司も、私と話し合うこともしないで、却下をいうだけでした。
私は、父母の了解だけで、山へ行った。
最良ではなかったのかもしれないけれど、最初の一歩をほとんど自力で始めたことは、いまに至っても、心のなかの支えになっています。へまは繰り返したけど、自分でよく準備し、判断し、危うさをつかみ、生きて帰ることでは、自分のレベルなりにふまえることが、なんとかできてきたと思う。
危うさをとらえ、想像し、それに自由に備える力。そのことまでをも、山の魅力として喜びあえる自由。いまも私の体力なりに磨きあげたいもの。そういう自分の登り方を重ねてゆきたいです。
(ちょうど、高校時代の山の記録を、ヤマレコにアップし終えつつある段階での、今度の出来事だったので、自分を振り返りながら書きました。)
私も初めての登山は冬の単独那須朝日岳でした。
アイゼンって何?ピッケルって必要なの?
って感じでした。
もちろん誰も教えてくれる人などいませんでした。
自慢ではないですよ、念のため
でも・・・、もし私の高校で訓練登山があったら、基礎的な事柄を学べて良かったのではないかと思います。
高校生のときって、何事も経験しておくべきだと思いますから。
「のめりこむ登山」ではなくあくまで「高校時代に経験しておくべきこと」として。
bmさん、考えてみれば、登山というのは、教程や講習の位置づけが、人によって定まった位置づけがないですね。あると思っている人がいる一方で、独学もあれば、山仲間のうちで学びあうグループもある。山岳会もあるし、学校のクラブ活動を通しての場合もある。
公の制度の講習は、一つの体験の形にはなりますが、それが山登りの本来の力を育てられるかといえば、個々人のレベルでは、いろんな場合もありうるようです。
私は高校2年の夏の大会までは、野球部でした。一方で図書館の山の本、とくに松濤明や加藤文太郎などなどを、ずっと読みあさって、ついに野球と決別して山を始めることにしました。
高校では、地学の先生が、山形大学の山岳部出身で、この先生の山の話に、いつも引き込まれました。
でも、山岳部で基本から、という段は、踏む気がしなかった。自分の思うままに、山と向き合いたい。行きたいところに行きたかった。
ところが、それを、私の担任や、学校の判断としては、許してくれなかったわけです。
いまから思えば意外ですが、山形県と福島県の県警本部外勤課は、どちらも、当時の私の登山届けは、受理してくれました。
いまでも、学校の制度としては、やはり、一生徒が表から計画書を提出したら、許可されないでしょう。
しかし、社会的条件は、当時と大きく変わって、山にかかわる体験は家庭の理解があれば、高校生でもかなり積める。クライミングや山スキーも体験できるところもあると思います。
私の場合は、当時、姉が参加していた社会人の山岳会に、私も出入りを始め、1人で登る場合でもいろいろ教えてもらえた。高校3年のときは、会の合宿にも参加させていただいたことなど、ほんの少しですが、恵まれた条件もあったと思います。
bmさんの言うように、高校生でも、そしてたとえば、学校の山岳部に所属していない生徒の場合でも、本人が望めば、講習を含めたいろいろな体験をできる条件ができれば、これも一つの選択肢にはなりますね。
私は、当時なりの条件でやりましたが、今の時代も、志ある高校生は、模索のなかにいるように思います。
いずれにしろ、根本は、本人次第と思います。
同じ趣旨で書いたコメントを貼って於きます。
2017/11/17 20:18
RE: 高校生雪山登山をもっと行けるようにしてやりたい
yoneyamaさんの気持ち、もっともだと思います。
那須の事故が、文部省の「お達し」のきっかけになってます。
でも、
*あの事故の原因は、訓練に参加した生徒たちにあるのではなく、指導した大人たちの側にあります。
*また、全国一律の「お達し」にしてますが、各高校の先生や生徒達、教育委員会の対応を視野にいれた検討をした形跡もない。頭ごなしです。
高校生といっても、指導する先生や地域のフォローなど、条件は様ざまです。地域によっては、声をかけてもらったら、高校生のために、ひと肌ぬぐ、という山岳会や経験者らもいるはずです。
今度の事故原因は、きわめて特異なものです。
こういう一般的でない事故を「モデル」にして、全部禁止というのは、あまりにもわびしすぎます。
いま、ヤマレコにアップした分の、私の高校時代の記録を数えてみたら、16件ありました。
私は高校2年の秋まで野球部にいて、その後、松濤明、加藤文太郎、植村直己らに共鳴してきた気持ちを抑えられず、単独行が基本の山を始めました。
山岳部顧問に、山形大学山岳部OBの良い先生がいました。でも、一人の登山にあこがれていたので、先生には話を聞くだけで、基本的には一人で山へ通いました。
飯豊連峰縦走など大きな登山では、クラス担任の数学の先生に「登山届け」を提出しました。止められたので、以後は彼には頼りませんでした。
姉が労山に参加していたので、その事務所に通って、教えてもらったりしました。冬期の山も行きました。
いま、こういう経過を思うと、健気にやったものだとは思いますが、やはり、身近な山岳部の先生にもっと指導してもらうべきだったと思います。私のその後の山登りもずいぶん変わったはずです。
yoneyamaさんの言う通りです。
一律の「冬山禁止」は、取り下げて、各学校と地域の単位で、地域の指導者、教員とそのOBらの条件を生かしながら、良い体験が積める山岳部活動をすすめてほしいです。
それが、事故にあった生徒の無念によりそうことでもあると思います。
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