![]() |
これまで関東地域の山岳部などに広域に拡散した放射性セシウムの汚染については、今年1月号の「山渓」でも、奥多摩の稜線にまだ0・3マイクロシーベルト(毎時)前後の汚染個所が確認されていることが取り上げられていました。これは、半減期30年のセシウム137などによる、土壌と水、動植物や野生きのこなどの長期的な汚染です。
事故から2年目の秋の測定でも、奥多摩の稜線で、そこにもしとどまり続ければ(稀な仮定)年間では1ミリシーベルトに迫る被ばくを受ける「ホットスポット」が記されています。国が定めた除染対象基準(毎時0.23マイクロシーベルト)を超える地点が関東の山域にも点々と存在しています。
このセシウムの長期間の影響にたいして、今回、Nスペが伝えたのは、半減期が8日間と短く、ひと月も経てば体内からも大部分が失われてしまうヨウ素131による短期間の内部(体内)被ばく問題でした。放射性ヨウ素は沸点が低く、原発事故のもっとも初期の段階で放出される性質をもちます。しかも、放出量は、セシウムに比べて1ケタから2ケタ多い。
そして、海藻に多く含まれるヨウ素は成長ホルモンの材料になるため、呼気や食物を通じて摂取されると、とくに発育期で細胞分裂が活発な乳幼児や小中学生の甲状腺に集められる性質があります。国際的に公式に確認されているデータでは、チェルノブイリ原発事故で約5000人の子どもに甲状腺の異常や癌が確認され、多くの子どもたちが治療によって命を救われてきた経過がありました。
番組では、原発事故の直後に地震と津波とによって、原発周辺に設置されてきた福島県の放射能監視網はデータを送れなくなり、車で原発周辺に入った監視要員も事故の拡大で退去することになって、監視データにもとづく避難指示と情報とを、住民に伝えることができなかったことが報告されていました。
一方、国は、避難指示は出したけれども、人体への影響は伝えなかった。東電敷地のデータを含め、問題の放射性ヨウ素のデータは事後もふくめて公表されきっていない。政府も「心配する状況ではない」、などとアナウンスしてきた。
情報も指示もないなかで、浪江町では、家から避難した住民らが30キロ圏付近に6月までとどまって、そこで避難生活を続けてきた状況も伝えられました。
番組が取り上げた浪江町の大部分を占める30キロ圏内が避難地域に指定されたのは、事故の一カ月後。番組に出た子ども4人の6人家族の場合も、さらに60キロ超の福島市へ避難したのは、6月になってからでした。
今回の番組ではこうした経過を丁寧にたどっていました。そして、弘前大学や元原子力研究所の研究者らが、事故の直後から昨年末にかけて、奇跡的に記録が残っていた監視地点の観測データや、入手できた数少ない避難者の内部被ばくの測定データなどから、あのとき避難した住民、子どもたちの被ばく線量の推定の努力を伝えていました。
避難者の体の実測値のデータからの推計では、甲状腺の被ばく線量に換算して、大人では33ミリシーベルト、子どもでは63ミリシーベルト。監視地点のデータから間接的に換算したヨウ素131の放射線量からの、最大値の推計では、大人でやはり33ミリシーベルト。
チェルノブイリ事故の経験などから、50ミリシーベルト以上では甲状腺に有意な異常があらわれるという基準に照らして、影響が無視できないレベルであることが示されました。割合は小さくとも、影響が出る子どもはいる可能性がある。
甲状腺がんは、治療できます。被ばくの影響はわかっていない面が多いからこそ、当時被ばくする環境にいたすべての子どもたちに、継続した甲状腺の検査が求められます。
私は、そもそも十分なデータが残されておらず、東電のものも公表が心もとない制約のもとで、「消えたヨウ素被ばく」にここまで実態に肉薄した有志の研究者ら努力には、頭が下がる思いでした。
でも一方で、放射能のプルーム(放射能の雲)の下、地震で断水しため給水車の列に長時間並んでいた いわき市の住民や避難民、そして浪江町内でも30キロ圏に2ヵ月もとどまっていた子どもたちを含む避難家族などに、何の情報も提供されないでいた現実を見たときに、番組の進行につれてですが、別の気持ちもわきあがってきました。
NHKのこの番組のスタッフは、いつもほんとうに献身的です。でも、今度の場合には、いったいあのとき、NHKのあらゆるニュースが、政府の発表以上に何を伝えてきたのかを振り返る一言があっていいのではないかということです。
あの局面で、ヨウ素131の被ばくの怖さを特別の重視して伝えることは、被ばくの被害を抑えるうえで基本的なことでした。これは東電が公表してこなかった炉心溶融問題のように、外から見て判断できない問題ではない。すでにベント(圧力弁開放)の指示が出ており、ヨウ素剤の配布の準備にかかるべき段階でした。
でも最後までそれは実施されなかった。
私のヤマレコ日記では、ベントの指示が公表された3月12日の時点で、すでにヨウ素剤の住民への配布を「原発事故のいろは、の、い」として書いていました。ところがそのあと、12日15時の1号機の爆発、大量放出の始まりの後でも、ヨウ素剤には手がつけられなかった。
//////////////////////////////////////////////////////
再録3・11震災 翌12日の原発事故関係日記
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-32209
◆RE: 大地震です。東京でも大きな揺れ
投稿日時: 2011-3-12 10:16
いま、相馬(*南相馬市)の姪と、福島の姉を通じて連絡がとれました。スーパーの屋上に退避したところで、1キロほど手前まで津波がきたそうです。
7・3mを超える計測不能の大津波。
とりあえず福島市の実家へ姪の家族は避難するように了解してもらいました。夫君だけは仕事で残りますが。
◆放射能を排出するならヨウ素剤を住民に
投稿日:2011年03月12日 11:35
いま避難範囲の拡大がすすめられています。先ほどは、圧力上昇・破壊を防ぐために、放射能をふくむ原子炉圧力容器内のガスを大気中に放出し始めたと伝えられました。
本来なら、住民には、この措置の前に、ヨウ素剤を配給し、とくに甲状腺がんの危険が高い子どもには、放射能にさらされる前に服用させる必要があります。
少なくとも、住民がいつでも臨機に服用できる状況におかねばなりません。
事前に服用することで、原発から出る放射性ヨウ素の吸収を抑制することがで
きます。
・・・・
/////////////////////////////////////////////////////////////////
この事故が起こるまで、日本のすべての主要な報道媒体は、原発報道を社内で規制し、「安全神話」で通してきました。
でも、あの瞬間にすべてが瓦解した。事故は起こってしまった。
そうであれば、人の健康への影響と不安とを少しでも減じるために、報道機関はどうしても伝えなければならないことがあったはずです。
現に津波の問題では、事後に警告の出し方、問題点をそれぞれの機関が深く検討しています。
それならば、原発事故時のリアルタイムの経過はどうだったのか。ヨウ素剤の問題のように、原発事故では常識に属することをどうしてリアルタイムで伝えてこなかったのか。自治体の中には自主的にヨウ素剤を配り出したところも1つだけありました。
有志の研究者は可能な範囲でリアルタイムで現場で活動を初めていた。
では、報道は、住民の避難や健康にかかわることで、自分たちがリアルタイムで伝えたこと、伝えなかったことについてはどうだったのか。災害対応としてもわりきれなさが残る検証の中身でした。
除染の問題も、いま問題だらけなのに、とくにテレビ媒体は広域の自然環境中の汚染の問題を含めて、きちんとフォローされていない。兆円単位の膨大な国費を投じ始めているのに、そもそも除染のずさんさ、本来的な困難さをまともに取り上げていません。
東電がまったく不誠実な対応を続けている損害賠償問題も同じです。
市町村では自主的に「被ばく健康手帳」を配布して、家族の当時の行動記録、健康診断と測定の客観的な記録を残す努力をすすめているところもあります。健康面での継続的なフォローと救援に、国がしっかり責任をもってほしいです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する