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文化遺産登録の決定後、地元自治体などから、便利を計る道路づくりや、山小屋を含めた受け入れ施設の拡充、交通網の充実などの新しいオーバーユースの提案が続々と出ているのを見ると、私の違和感はまたつのります。
この問題の出発点として、1990年代の富士山の自然遺産登録の請願運動のことが思い出されます。
あのときに、つきつけられた問題をふりかえると、今度の文化遺産への登録決定は、喜んでいい面と、この機会に考えたい問題とがあるように思います。
93年に最終的に世界自然遺産への登録申請を断念することになった理由は、根本的には2つありました。
1つは、利用されすぎによる改変。人為的な手がすでにかなり加えられてしまい、本来の自然が残されていると言えない状況が進んでいたこと。原生的な自然が失われつつあること。
2つめは、管理・保全のとりくみです。オーバーユース、ごみ・し尿処理問題、貴重な植生等が保全されるべきエリアへの立ち入りなどにたいして、管理が十分でなかったことがあります。
日本政府と、申請のための調査・検討にあたった自然保護団体などは、世界自然遺産として、屋久島(1993年)、白神山地(1993年)、知床(2005年)、小笠原諸島(2011年)を調査・推奨し、登録を実現してきました。
確かにこれらの自然遺産に比べると、富士山は、上に述べた2つの点で、原生的な自然が大きく失われつつあり、保全・管理が大きく立ち遅れたまま、甚だしいオーバーユースが進んでいます。
もし、90年代時点の国内の検討をもとに、10年、20年の長期計画で、富士山の自然の回復と、自然をそこなわない形で、富士山本来のスケールや奥行きの深さに見合った利用方法の改善がすすめられていたら、そのことも評価のなかに含められて、自然遺産としての富士山が見直されるという道も開かれてきたように、私は思います。
あるいは、自然と文化の両面から合格した「複合遺産」にも、なりえたと思います。
しかし、日本は、観光・地域開発優先で、自然遺産に指定されると利用が国際基準で制限される、という危惧などから、世界遺産条約を先進国でもっとも遅く、制定から20年もたった1992年に批准してきた「環境保全対策の後進国」でした。
今度の文化遺産登録の選択には、自然の保全の面で規制されたくないという以前からの思惑、そして観光・地域開発優先の、しかも特定の分野だけが潤うような動機も見え隠れしています。
だけど、世界の基準はけっこう厳しいし、つねに見直されてきています。
保護・管理を怠り、開発優先にすすむならば、「危機遺産」や「登録抹消」という転落の道もあります。
富士山をふくむ日本各地の自然遺産の事前調査と登録にかかわってきた研究者は、こう書いています。
http://staka-kyoeiac.blog.so-net.ne.jp/
「しかし、ドイツのドレスデン・エルベ渓谷のように、交通渋滞緩和のための渓谷への架橋によって、渓谷と都市の一体的な文化景観や自然が損なわれるとして、世界遺産の取り消し(抹消)にまで至った例もある。
富士山の世界遺産登録自体は、これに学術委員として携わった私としても喜びをともにしたいが、今後の保全管理の重要さを考えると身の引き締まる思いだ。
日本の象徴の富士山が、危機遺産に、そして登録抹消になるようなことが決してないよう、願わずにはいられない。」
私の場合は、人込みと混んだ山小屋は身が引きます。きのこの探索で富士山の森に入ります。
すると、林道・道路が富士山の崩落を早めているような場面に出会い、考えさせられます。それと、どなたかのブログにもありましたが、自衛隊と米軍が共同利用する演習場の広大さと、砲撃音にびっくりさせられます。
世界遺産登録が決まったあと、知事さんが、富士山の裾野にトンネルを掘って、新しい道路を!と提案したのにも驚きました。
富士山には、活火山という、もう一つの素顔もあります。
相模〜南海トラフの東南海地震と前後してかならずやってくる富士山の噴火への備えも気になります。ひと夏に30万人の観光客と登山者を山頂に呼び、ふもとではより大規模な集客施設が増えつつあります。
周辺20キロには街と別荘地とがある。
ハザードマップ(古いものしかない)では、溶岩流が周辺20キロを襲い、どの方角へ流下しても数万から十数万人が巻き込まれうる。3mを超す火山灰が、周辺の通行や産業を麻痺させると、想定されています。
「怒る富士」(新田次郎)も思い起こしながら、防災と自然との共存を大切にして、富士山との付き合い方をさぐっていくことが、最優先であるように思います。
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