機会をみて写真に撮ろうと思っていた、古い山スキーを雪上に持ち出しました。(写真1枚め)
板は私の2代めの山スキーで札幌の秀岳荘のグラス製(内部はなんと木製)のもの。締め具 (いまでいうビンディング) は「カンダハー」が付けてあります。私が山スキーを始めた1970年代は、締め具の主流はまだこれでした。
皮の登山靴で使える、
ラッセルでも板が下駄のように足に追随してくれる(支点が足指の付け根あたりにある)、
滑走でもそれなりにスキーを操作できる、
などの点で、現在のビンディングに比べても、まだ独自の持ち味を失っていないと思います。何しろ、軽量で、値段が3000円前後で、スペアのワイヤーと皮ベルトと針金を携行すれば、現場で補修が利くというのが、安心な点でした。
カンダハーは、山靴の先端を皮の厚いベルトで固定し、踵をワイヤーで固定して滑走します。(写真2枚め)
登高のときは、普通は、ワイヤーの中ほどの固定個所をフリーにして踵が若干、あがるようにします。私たちは、ワイヤーを皮ベルトの中を通して、足裏でX字に交差させたうえで、踵に固定する方式を使っていました。これだと踵が大きく上がるため、 (写真3枚め) 斜面でのスキー操作が楽になります。
その後、ジルブレッタ(この名ももはや懐かしい)が普及し、何代も改良がすすみました。いろいろな締め具をその後も使ってきましたが、登高やワンデリングのような使い方なら、まだまだ使えると感じています。
ワイヤーはまだ2本、スペアを保存しています。
なつかしいですね。
この金具に覚えのある方は50歳以上がほとんどだと思います。(私もそうですが)
このころのシールも紐かバンドで留めていてシールと板の間に雪が入ってしまい、シールを外したほうが楽に登れたことが記憶にあります。
当時はスキーと山の兼用靴が無く、スキーも楽しみたい時にはスキー靴にアイゼンをあわせて五竜岳に登っていました。
今では登山靴ではとても滑れません。
shigeさん、うれしいですねぇ。カンダハーをご存じの方がいて。
ここは多くの方が登録されているので、きっと「懐かしい」という声があがるのでは、と思って、写真をアップしてみました。
>この金具に覚えのある方は50歳以上がほとんどだと思いま
>す。(私もそうですが)
私も50代の前半です。70年代の半ば、社会人の山岳会では、ジルブレッタを使う人が出始めていたのですが、学生はみなカンダハーでした。当時の初代ジルブレッタも、まだワイヤー方式でしたね。
山岳部の中には日高に入るときなど、長い林道のラッセルで廃物のようなスキー板(当時は主に木製)にカンダハーをつけて登り、途中でカンダハーを外して板は燃やしてしまい、縦走に入るメンバーもいました。
>このころのシールも紐かバンドで留めていてシールと板の間に
>雪が入ってしまい、シールを外したほうが楽に登れたことが記
>憶にあります。
当時、本物のアザラシ(seal 、シールの語源)の毛皮を使ったシールは2万円前後して、とても買えなかったので、私もナイロン製の毛をズック布地に埋め込んだナイロン・シールを使っていました。
この細野のナイロン・シールは、まだ保管していて、数年前に子どもたちが使ったことがあります。
http://trace.kinokoyama.net/josinetu/yunomaru2000.htm
綿の留め紐は、特に中央部のものはエッジを利かすときに邪魔になるので、切ってしまってひもを使わない人が多かったですね。滑走面に貼り付け式の今のシールとちがうので、板との間に雪が入るのを、ストックで横たたきにして落とすのが苦労でしたね。
私はジルブレッタを使って山スキーをしました。懐かしいですね。年がばれてしまいます。でもなんでも便利な時代より少しずつ便利になった道程を過ごしてきた方のが面白くて古いものに出合った時がすごく感激します。
>私はジルブレッタを使って山スキーをしました。懐
>かしいですね。年がばれてしまいます。
70年代は、登山者のなかで山スキーをする人は、少なかったと思います。郷里の福島は、ずっと昔はスキー登山が流行ったところですが、私が学生のころは、吾妻山に入っても、スキーの人は一部分でした。
ですから、70年代のうちに山スキーを始めたというのは、早い方だたのではないですか。
80年代になって、登山雑誌でも、山スキーの記事や記録が多くなりだしましたね。ICI石井がオリジナルの板を出し始めのも、80年代以降です。
ジルブレッタが日本で広がり出したのは、初代のワイヤー式が70年代の前半ぐらいかな。「踵が楽に上がる」というので、人気でしたね。
私は、就職してから、やっとジルブレッタ#300をつけた板を、東京のフレンド(荻窪)という店で買いました。
>でもなんでも便利な時代より少しずつ便利になった
>道程を過ごしてきた方のが面白くて古いものに出
>合った時がすごく感激します。
もしかして、コンロなんかも、懐かしいものを使っておられたんではないですか?
山靴も、従来からの皮靴がけっこう出ていますね。
ザックも、いま、帆布が頻繁に見かけるようになってきましたね。
ひまができたので、私のサイトにカンダハーのページをつくりました。
http://trace.kinokoyama.net/gear/kandaha080328.htm
私は45歳、高校卒業後自衛隊へ行ったら、青森勤務になり3年間みっちりスキーを覚えました、昔からトラディショナルな道具が好きで、ジルブレッタ#400が売っていたころにわざわざ#125を買う好きものでした。自衛隊では秀岳荘のゾンメルスキーに似ている皮でできた締め具を使っていました。
araigenga さん、青森でみっちりスキーを習熟となれば、どんな現場、コンディションでも対応できる踏破力を身につけられているのでしょうね。「八甲田山」の映画を思い起こします。
私がスキーを初体験した札幌近郊の山々も条件や気候は似ていますが、雪はもっとサラサラで、そのうえいつも遊び本位の行動だったので、技術・体力は練成されませんでした。
>自衛隊では秀岳荘のゾンメルスキーに似ている皮ででき
>た締め具を使っていました。
ゾンメルスキーは、ゾンメルシーのことですね。秀岳荘のサイトを見たら、いまも売っているので驚きました。昔はアザラシ(シールの語源)の皮を貼り付けて、この店の階段の踊り場にゾンメルシーが飾ってありました。
ゾンメルシーは、滑走性はいまひとつですが、雪のなかでの行動機能は抜群のものでしょうね。
秀岳荘は、私が住んでいた学生寮から80メートルほどのところに、以前の店がありました。
ゾンメルシーに付いていた締め具は、たぶん、フィットフェルトという、皮製で、かかとがまったくフリーのやつだと思いますが、違うかな?
シールを付けたスキーを使うことをシンボルにして、米海軍には Seals という特殊部隊もありますね。
ところで、araigenga さんのこのハンドルネームは、たぶん「アラインゲンガー」(単独行者、我が道を行く人、alleingänger)のもじりですね。
私も高校生のころ、学校の図書館で松涛明とか、加藤文太郎の紀行にはまっていました。
tanigawaさん
返事ありがとうございます。
そうそうフィットフェルト・・そんな名前も雑誌で読んだ覚えがあります。昔のビーパルだったかな?
確かに革製の締め具でかかとがフリーのタイプです。陸自に行った友達にお願いして、非合法的に手に入れたものが手元にまだあります。
さっき納戸を見てみたら、Hope製のカンダハーがキープしていたのを忘れてましたが、出てきました。
今度写真をアップいたします。
アラインゲンガーはお察しのとおりです。。ドイツ語も表示できるんですねー
araigenga さん、ホープの登山用具なんて、懐かしいですね。
80年代前半あたりまでは、登山道具はメーカーも店も、羽振りがよかった。
山道具は、ただでさえ登山者が減って、それに政治が年配者と若者をひどくいじめて、暮らしにくくして、そのうえこの不景気で、いまはメーカーも店も、いよいよたいへんなときと思います。
tanigawaさん
私のカンダハーを日記にアップしてみました。板に取り付ければよかったのですが、適当なものがなかったので。それと私の金具はつま先がスキー靴用に高さが調節できるようになっています。というか登山靴をつけたらコバが傷だらけになってしまいますね。兼用靴なら使えるかな。登山店もメーカーも栄華盛衰ですよね・・・
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