夕張岳ヒュッテ)熊談義の思い出と、新築へのとりくみ
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-41425
立派な小屋に生まれ変わった様子を、先月7日の「日経新聞」が取り上げていました。
小屋の廃止に際して市民有志が行動を始め、のべ1700人分の労力を費やして、丸太小屋風の頑丈な小屋が出来上がり、昨年から有志(ユウパリコザクラの会)の運営で営業が開始されたそうです。
http://yuparikozakura.org/?page_id=67
http://yuparikozakura.org/images/kaiho_no96.pdf
地元の心が集まっての再建・運営ですが、引き続いて調理棟の建築が始まり、冬季は小屋を守るために雪下ろし隊も1回、2回と繰り出すなど、なかなかこれからもたいへんそうです。
小屋は、林道の車止めから11キロ(昔は16キロ)上がる位置。道内では雪が多い地域なので、冬の小屋入りはご苦労が多いと思います。
夏は車止めのゲートが開かれ、小屋まで2キロの場所まで車が使えます。
私は、1975年に狩勝峠側の金山町から、夕張岳へ登り、夕張市側のこのヒュッテに2日目の夕方にお世話になりました。
管理人のおじさんが印象的だったせいか、それとも1人の山旅には小屋の灯りがうれしかったからか、思い出が深い小屋でした。
夕張岳は、千歳空港に離着陸する飛行機からも、大きな山容が眺められる山です。
幸いにも「百名山」から外れてくれたので、・・・
――というよりも、百名山選定時点で深田久弥氏が登っていなかった北の山やまの1つだったので、
――さらに言えば、本州の中部・北陸・東海・近畿15府県の面積に匹敵する北海道の山から、9山だけ選ぶというのが、登るのも選ぶのも、ちょっと無理だったので、
登山者は多すぎない山です。北海道らしい大きな自然が体感できる山です。
ユウパリコザクラは、私は当時は視界に入っても関心をもたない山登りをしていたから、これは時期を合わせていつか再訪しなくてはいけません。
*画像は、縦走ルートの、カシミール=ランドサット合成画像。
選定はともかく、深田久弥の夕張岳評を読んでみたかったですね。日本百名山はリストではなく、読んで楽しむ本ですよね。古典も古文書も文学も山行記録もよくよく調べて書いていますから。読む度にこちらの成長にあわせて発見がある本ですね。
春、芦別岳から全山縦走して小屋に降りました。長い林道でした。
yoneyamaさん、なるほどそうですね。高校2年のころ、深田久弥の「わが愛する山々」で、山間を走る函館本線の車窓からの後方羊蹄山の描写がわすれられなくて、私は北海道の山に登りたいと思いました。山の描写は、後の芦別岳についてもそうですが、特徴と魅力を1、2行でずばりあらわしてますね。夕張岳は、登った形跡が見つかりません。
芦別岳はいろんな季節に登りましたが、夕張岳(金山)側から入るポントナシベツ川は大きなアメマスを狙って、途中まで(上流は私は無理)上がったことがありました。
今回の日記に書いた夕張岳への、連続の山旅も、芦別岳に登ってから、また麓を迂回してのつなぎの山旅でした。
もしも深田が夕張岳の記録を残していたら、幾段かの尾根の高みを抜けて、予想を越える高さとごつい姿で現れる夕張岳の山頂部を、彼がなんと表現するか、考えただけでもおもしろいですね。
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