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巻末に、編者茨木のり子が光晴のプロフィールを面白く書いてある。
反戦詩人の光晴は終戦を知ってセントルイスブルーズを(多分SP盤で)かけて家族で踊りまくった!という件があり、私もブルーベックのカーネギーホール盤のセントルイスブルーズをかけてひとり踊ってみた。
おっと、これは1963年だ。光晴が聞いたのはどれだろう?1945年8月ならサッチモか?グッドマンか?はたまたベッシー・スミスか?
光晴と言えば、先月6月に十年振りに再会した大学講座の先輩が読売新聞社の読書委員であることから、佐川光晴氏(恵迪寮のOBで元寮長、現小説家)と仕事で会った、とメールを貰ったのが昨日(七帝柔道記の増田俊也氏とは1年違いのようだが、顔見知りではないとの情報もあり)。
書いている今まさに思い出したのだが、寮で同部屋だった国生さんが飲むと頻繁に名前を挙げていた佐川さんって、この佐川光晴さんだったか!
この台風が過ぎれば梅雨が明け、晴れて光れる日がじき来よう。
光晴さんとは寮で一緒でしたよ。1985年の夏。楽しい部屋時代でした。楽しかったなあ!
金子さんのほうは、紀行のほうしか読んでなくて、本当は詩人なのにね。
1985年夏、佐川氏ヨネヤマさん共にハタチ、ですか。今から30年前!!!
思えば米山さんは増田俊成氏とも擦れ違っている筈ですね。
金子光晴は、乗船時や放浪時に紀行文を携行したけれど読んでなくてスミマセン。
そういえば先週末、以前聞いた川村カメラマン夫妻とかき氷屋でバッタリ会いました。が、去ってから家内に名前を聞いたので後の祭りでしたが。
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