家内が松本市旧四賀村で仕事の間、子守がてら次女と山葵アイス舐め、穂高神社に参り、碌山美術館へ。
ロクザンとは日本を代表する彫刻家・萩原守衛(オギワラモリエ)の号で、東穂高町に生を受けた荻原の業績を記念した美術館が、有明山を背景に建つ。
彫刻については日本近代洋画ほどには知識を持ち合わせていないが、日本美術を語る際に外せない存在であることだし、ありのまま見たものを感じようと二人訪れた。
大王わさび農場にあれ程大挙して押しかけるというのにこちらの来館者は殆どなく、お陰で穏やかに巡ることが適う。
尖塔のある碌山館の入り口にして痺れる。
だ、暖炉が。ロダンと掛けている? こんなにも簡単な構造で室内で火が焚けるとなると、いつか造ってみたい思いに駆られる。キリスト教を志向した荻原とあって、煙突の吐口が十字架を模しているのも洒落ている。
も一つ扉を開けて展示館に入るや、見知った彫刻群がズラズラズラと並べてある。こんな陳列って、いいのかえ?
中原悌二郎があるのは予想もしたが何と!戸張孤雁があるっ!! 正統派の高村光太郎や荻原作品とは違って、切り欠きの独特さによる「跳んでる感」がまた良い。彫刻に留まらず、油彩水彩、木版に挿絵まで手掛けるマルチタレントぶりが石崎の野郎好みなのだろう、札幌で一晩トバリコガン呑みをしたのも懐かすい。トハリなの?
藝大出ではなく不同舎の小山正太郎門下だったか。私の好きな鹿子木孟郎の、初めて目にする写真の展示も貴重だった。
碌山館の後には杜江館、第一・第二展示館があって、光太郎、石井鶴三作品も鑑賞した。冷え冷えとした館巡りの後に『暖房中』の札掛かるグズベリーハウスへ。
あ、暖ったかぁ。冷え切った身体に値千金のホスピタリティーだ。
熱過ぎて 傍にも寄れず ロダン哉
当日夕刻、美術講座『ストーブを囲んで「臼井吉見の荻原守衛考」を語る』があるそうな。いいね。
冬晴れのキンと冷えた空気の中、美術鑑賞するのは結婚以来初めてかもしれない。
かつては横濱を拠点に、東京に点在する美術館を巡っていたのも沢登りのオフシーズンであるこんな季節だった。
それが今や、拠点にしていた家内との間に儲けた第三児を連れて彫刻鑑賞できるとは感慨無量デス。
ミュージアムショップで戸張孤雁集を買い「好ましい美術館ですね」と受付おばさんに伝えると帰りしな、ムスメニカリンヲクダサイマシタ。
車中、その香りに包まれて家内を迎えに走った。
なお、号「碌山」の由来は、師と仰ぎ傾倒していたフランスの偉大な彫刻家オーギュスト・ロダンをもじったものと思い込んでいたのだが、そうではないのでは?との考察が以下のページに有った。
http://foxbad2005.fc2web.com/ogiwara/ogiwara.htm
ハギワラかオギワラかでいつも言い間違いするのだけど、碌山美術館は小学校の遠足でも行きました。うつ伏せ裸婦人像が記憶にあり。
言い間違いするのは、穂高町にハギワラ君という高校の同級生がいるせいだと思います。
ここは好ましいですよ。
ここは荻原守衛を「オギモリ」と略称することで覚えたい。
トバリかトハリか?というのもあって、難しいデス。
館内表記はトハリとあり、碌山美術館が出した小冊子にはトバリとある。
我が美術鑑賞バイブル「近代日本美術家列伝(神奈川県立近代美術館)」にはTohari Koganとあるけれどhがbに見えてしまう微妙な英字体で「トバリ」と15年前に記憶してしまった経緯があります。
これに限らず、化雲岳を本州からのオバちゃんに「ケウンダケ」と読ませないように誤解を招きそうな読み仮名には(出自を確かにした上で)ルビを振ってもらいたいものです。ともすると、その下調べが面倒でルビ振りを避けている嫌いのある文章にも出くわすので。
件の彫刻は「デスペア」ですな。小学生で?これを印象に残すとは早熟ですね。
それにしてもこの美術館は、訪れるにイイ。遠足でイクかぁ、いいね。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する