山登りを始めて以来、過去の山行記録を読むのが好きだった。
大学山岳部・探検部の季報部報、社会人山岳会の会報、岳人誌のクロニクル、個人報等等、それこそアッサリ味からコッテリ系まで色々とあった。実践者が何を思って立案し、どう感じたのか。
記録を残す側に立つようになり、山に出掛けて元居た場所にまで無事戻ってきて、それに纏わる文章を起こし、ルート図を書くまでこそが「山登り」なのだと知った。
沢登りを特に嗜好するため、殊遡行図には執着した。滝はいいとして、ゴルゴルのゴルジュ記号に瀞マークと「泳ぐ」の記載があるとそれはもう興奮したものだ。特段泳ぎが得意なわけでもないけれど。
大仰に表現された滝高さ、感情を抑えた表現、シュールな遡行図、稀少な写真、等々。
岩登りや沢登り技術の一環である懸垂下降(素晴らしい邦訳だ)術を編み出した御仁にはノーベル山岳賞を与えたいところだが、私が山登りを覚えた時代には独語であるAbseilen(アプザイレン)が通称だった。今日日は仏語(rappel;ラペル)が英語化したrappelling (ラッペリング)を使用する時代にもなったが、私にとっての懸垂下降の術は「アプザイレン」若しくは「ケンスイ」と呼称したい。
函館に暮らした時代には、国土地理院五万図を片手に地元函館山岳会等の山行記録を参考にして道南の知られざる渓谷、遡行ルートを探っては実際に赴いて遡行を実践した。バス電車を活用し、時にはバイクを借りて、またヒッチハイクも多用して。
函館山岳会の山口俊明氏の記録からは、遡行への探究心とそれに伴う感情が溢れ出るような熱血記録&遡行図で、絵画や写真表現に纏わる芸術にも関心が深いことを伺わせるネットリ遡行図だった。
その遡行図にあったのが、冒頭の「○↓uz」で、uz? uz? これはもしや独語アプザイレンを英語と誤解した「up zailen」の頭文字ではないか!
先々週お会いした日比野和美氏の記録にも「アップザイル」もしくは「アップ」と散見される。
降るのに、Upとはこれ如何に。
先輩方を嗜める気など毛頭ない。
むしろこういった誤記は、周囲に沢登り技術を教わることの叶わない環境下で、我流ながらも知識と技術を掴み取ろうとした叩き上げクライマーである証、だと思っている。果たして何を携行してどう登ったらあの滝を越えていけるのか。でもしかし何とか独力で、もしくは気の合う仲間同士で研鑚を重ねつつ、死なない程度の危ない目に遭いつつもゴルジュの奥を、あの大滝の奥を覗いてみたいという熱情の発露として「uz」があるのだと理解したい。敬意を払って。
自身これまでを振り返ってみても、特別にクライミング能力が高いわけでなく、その能力を補強すべくフリークライミングに肩入れすることも無く、スキー技術も同様、秀岳荘地下足袋のお陰で泥壁登りが多少得意な位でここまできてしまった。幸いにも仲間に恵まれて望外の悪絶険悪峡谷を事故なく通過することが適った。
私が目指すべき方向は、やはりこういったオジサン達なのだろう、と実際会って意を強くした次第だ。
登山は双六でも塗り絵でもない。
探究する心、表現する心、そして想像し創造する心を忘れないでいたい。
僕が函館にいた2000年代には、函館山岳会は活動をあまりしていなかったようです。今さらながらミスターuzさんと会ってみたかったなあ。地方の山岳会が連綿と馬力をつないでいくのって、本当に難しいようです。いつか、複写の一部を送ってもらったことがありましたね。ルーム記録にも、出版物にもない沢の遡行記録図。北海道南部の、海直結沢が懐かしいです。ノーベル山岳賞いいスね。
そうですね、人のことは言えませんが個人主義が席巻するご時世の今、社会人山岳会が流行らなくなったせいで若手の定着や参入無く、オヤジが気勢を上げるというのも林業界と似ています。Mr.uz今頃どうしているだろう。今年は賀状を出してみよう。
北海道南部の、海直結沢に関しては今や辺クラ同人のけんじりが第一人者です。
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