随分と広大な河原を持つ熊野川を右手に見下ろしてドライブすること小一時間、遥々来ました本宮へ。
なお、この道すがら対岸左岸に見える滝や岩壁には強く興味を惹かれる。10年前にも同じく思った様で、5万図に注目地形として書き込みを残してあった。
それにしてもこの熊野川、素晴らしい川だ。中高生時代の私のバイブルだった野田知佑著「日本の川を旅する」の中で、四万十川、釧路川に並んで好きな項だった。
熊野本宮大社は熊野三山の一つでそれら首座であり、熊野信仰の総本山でもあって全国に三千以上ある熊野神社の総本宮である。熊野参詣道を辿る「中辺路」を歩くと難行苦行の道のりを終えて最初にたどり着くのがここ熊野本宮大社だとのこと。鳥居奥の階段登りを見て長男坊がげんなりした顔を見せる。
由緒、御祭神等々は他に譲るとして、この神社が何故にこれ程まで参詣者を呼び込む求心力があるのか? 社殿にまみえてもそれ以上に目に入るモノも無い、失礼ながらありがちな風景のなかでいつものように参拝する。
宝物館で特別展示中の南方熊楠記念館所蔵品【現在、白浜の南方熊楠記念館が長期休館中の為】を見ていく3人と別れて、一番下の娘と駐車場に戻る。すると向こうからやって来たツアーガイドの一群と出合って何の流れか?「大斎原」という看板方向へと引っ張られていく。海部元首相夫人が寄進したという高賀山の大鳥居よりも大きなモノを潜って行き着いた先がその場所だった。
大斎原は、熊野本宮大社が明治22年の大水害で流される前の旧社地とのことで、かつての中州の社地が現在地に移築・遷座されたとのこと。今の四倍ほども敷地面積があったとか。
興味は、その場所にかつて”何か”があって大掛かりな社殿を構えたのであろうとの想像なのだがハテ、今となってはその痕跡も水に流れ、古びた公園のようなその場所に思いを馳せる他ない。
残された資料には大斎原(おおゆのはら)が「大湯原」と表記されているところから、湯殿山御神体のようなモニュマンがあったと想像するのが楽しい。
また、かつての出水の際に上流より流れ着き、河原の中州に巨大真丸岩が転がっていたことに端を発する、何ていうのも楽しい想像だ。
また、コスタリカから宇宙経由で降ってきて、河原の中州に巨大真丸岩が転がっていたことに端を発する、何ていうのも楽しい想像だ。
鳥居傍の「魂」真丸石に戯れていると、3人も後からやって来た。何も知らずに来てしまった私と娘とは違い、「こっちが大事なのよ」と家内から教わって大斎原の真価を知った次第。家内には大層気に入った場所の様だった。眠くなった?
さて、今日の泊地は野営場である。河原に転がる大きな流木集めて火を熾し、天幕を張り、饂飩腹に収めてから、湯の峰温泉目指してあたたまりに行こう。
【つづく】
ええ、家族で野営旅行?しかも聖地で。
ええ、必要に迫られまして。野営はエエ。
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