自家焙煎こそしていないが、縦廻しのミルを購入し、ネルドリップやら、将又紅茶でよくあるフレンチプレス(ドトール;ボナポット)で淹れてみたりと、あれこれ試して楽しんだ。
(イシザキの野郎が実家から持ってきたという京都はイノダコーヒー店記念品のコーヒーミルを思い出したが、あれは愛着湧く一品だったなぁ)。
かつて住んだ札幌は、自家焙煎珈琲店の激戦区と言って差し支えない程に各店鎬を削りまた、切磋琢磨しそのコーヒーレベルが極めて高い土地柄だった。「るびあ」「あらびか」等々。
というのは岐阜に戻って改めて知った。
コーヒーは、当たり前に美味しい訳ではないのだ、と。
戻ってきて、岐阜周辺でその美味しいコーヒー店(豆の小売店)を探し当てるのにまずは難儀した。
モーニングで名を馳せる名古屋の傍だからと言って、モーニングレベルとコーヒーレベルが高いこととは必ずしも一致はしない。
モーニングはモーニング、コーヒーは珈琲(好ましい当て字だ)。
私の体感として、各店が豆の焙煎やドリップやカップの温度に腐心しているのは理解するのだが、殊「挽く」過程がぞんざいな店がかなりを占めていることにある時気付いた。
また、私の周辺のコーヒー好きにも居たけれど、購入してくる豆の種類や店舗は気に掛けていてコダワリあるからして当然豆のまま購入し、いざ豆を粉に挽くミルが「粉砕機」若しくは「破砕機」としか呼べないPHILIPS社製の電動ミルを使用していた。
挽いた粉を観察し淹れてみれば味としてよく判るのだが、粉々に粉砕された微粒子のコーヒー粒が多ければ多いほど、そのコーヒーは美味しくない、いや正直不味い。
手挽きでも、ゆっくりじっくり手回しして引いたものは微粒子量が少なく美味しく淹れられる。
また、茶漉しで篩にかけて微粒子を除く一手間を掛けるだけで、味は相当良くなる。
コーヒーと言うと胸にチクチクする思いが今もある。
結婚して即妊娠した妻と生活を始めた頃は、何かというとコーヒーばかり飲んでいた。学習塾は夕刻までヒマで、朝起きては飲み、昼食後もコーヒー、3時のおやつにもコーヒーと、妊娠中には控えるべきカフェインを常時摂取していた。妊娠出産本にはカフェイン摂取は控えなさい、とあるのに。
因果関係は今更問えないけれど、産まれてきた第一子がとにかく寝付きが悪くまた、朝は朝で早くに起きてしまい、昼寝も少ないという養育する母親にとって"楽に無い"育児となったことと、コーヒーの過剰摂取は無関係ではなかったと思う。
私自身も、就業前はまだしも仕事を始めて少しでも睡眠時間を欲する生活の中で、寝付かない母子に辛く当たった時期があった。それまでは同室だったものを、別室で就寝するようになったのもこの時期からと記憶する。
妻との間では第一子の寝付きの悪さは個性の範囲でのことだったのだと収めているが、私の"当たり"方が子供の性格にも多少なり影響を及ぼしたと考えると、胸は痛む。
30何年前にフジテレビで放映の『なるほど!ザ・ワールド』エチオピア特集の回に、コーヒー農園の女性従業員が常習癖に起因するのであろうコーヒーをグイと摂取の度毎に顔がクニャンと歪むのを観てレポーター・益田由美が笑うというシーンが今だ記憶に残っている。笑い事ではない中毒症状の表れなのだろうが、子供乍らにその後の彼女が気に掛かった。
函館には、当日の天候気温湿度を見計らい、そのマスタルが淹れて供したコーヒーを「今日だと左に3回半だけ廻して味わってくれ」というスーパー喫茶店があったのを書いている今思い出した。「コーヒーは油だから」と。はァ。コーヒーのコの字にも興味の無い頃だったのでそのマスタルの言う講釈をハァハァ言って拝聴した覚えがある。「ウチでコーヒー飲みに来るためだけに飛行機乗ってわざわざ東京から来るお客も居るんだよ」ハァハァ。
今ならまた飲んでみたい気もするが、講釈垂れは苦手なので、やっぱり要らない。
行列する位なら不味いラーメンの方がまだいいし、講釈喰う位なら珈琲より「讃岐うどん」食ってるよ。
【今は閉店したと聞いたが、函館在住当時はその名も「さぬきうどん」にはよく通った。今のようなブーム前で行列と無縁の店だったが、アパート隣部屋で讃岐出身の某先輩も「高松にもあのレベルの美味しさの店はそうそう無いよ〜」級だった。細麺で出汁も穏やかおまけに安いとあって、道南の沢登りから無事下山すると立ち寄ったものだ。また元旦にも休まない店で、その律義さに更に愛着が増した。時代を先走りし過ぎていたと今にして思う。】
とまれコーヒー、それは独特な嗜好品である。讃岐うどんもまた然り。
macchanさんは函館にも住んでいたことがあるんだ。。私は学校卒業時、青函連絡船(国鉄)の入社試験を受けたことがありました。東京での1次試験を合格して、函館での面接でおとされました。連絡船の待合室で、ぬるめの「苦い」コーヒーを飲んだ記憶があります。
それはさぞ「苦かった」ことでしょう。ために今は「苦み走った」イイ漢(オトコ)なんじゃぁないですか?
函館には3年程暮らしました。最初は寂れた観光地にしか思えませんでしたが、人と付き合いを始めると俄然魅力的な街に感じられました。
最近、僕も一人暮らしでヒマなせいか、コーヒーなんか入れてます。日に何杯も飲むと気持ちわるくなるけど、香りがいいわね。飲むより嗅ぐものという気がします。
函館の講釈コーヒーと、讃岐ウドン、思い出せそうで思い出せない。う〜ん。4年も住んでたのにね。
一連の行為は、飲むより嗅ぐもの、嗅ぐより儀式という気がしています。
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