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だから今日の私は測量業務に就いた。
息子の卒業に際して気の効いた文章でも編めたらと思うが、今年に限って今が一年で一番仕事が多忙を極めているタイミングのため、ここは過去の作文でお茶を濁したい。未だ私が現場作業員だった六年前の卒園時に書いたもので。
『旅の途上で』
匂いが連れ来る記憶がある。
チェーンソーの排気ガスのニオイは、途上国の都市のソレだ。
しかし、途上国と云えど中国でもパキスタンでも、シリアでも、またエジプトでもない。
嗚呼、インドだ。インドの過密都市の雑踏を彷徨い吸った、あの懐かしいにおい。。。
山仕事の合間に振り返り見る過去が、ここ最近の自分にはある。
焚き火を前に、煙草を一服。ふう〜っ、プロレタリアートはつらいよ。
インドへ。インドへは、ネパールからバスと徒歩で国境を越えた。
今から15年前の初冬のこと。日本を出て二ヶ月、ポカラからの出発は早かったがイミグレーションでの手続きを終えたら最早いい時間だ。いつもなら投宿している頃の陽の傾きとなった。だが未だ先は長い。この後、更に11時間のバスの旅が待っている。
聖地ヴァラナシへと向かうローカルバスには疎らに人が乗るのみで、最後部に陣取った俺の斜向いには旅慣れた、というよりは旅に身を持ち崩したウエスタン(西洋人)がクスリでもキメているのか、ケケケと薄ら笑いを浮かべている。排気ガスを派手に噴かして始動、オンボロバスは南へと出発する。河を越え、バスはフルボリュームのインド歌謡を伴って砂埃巻き上げ大地を疾走する。やがてヒンドスタン平原に、真っ赤に燃えた太陽がジリジリと沈みゆく。やけに大きく感じ、心が震える。紅の最後の一点が地に沈み光を失うや夜の帳降り、熱の供給も止まって自然気温低下する。インドでも冬の夜は寒い。
国境越えの緊張で日中の疲れが出たのか、すきま風通る車中でウトウトして目を覚ますと、いつしかバスはとある町中にいた。ちょっとした渋滞に捕まったようだ。車窓から輪郭のぼやけた夜の世界に目を凝らすと流石はインド、騒音と排気ガスと人と牛の混濁した世界が展開していた。この頃の俺は未だ旅にスレておらず、この自然発生的な人の営みに強い興味を持って観察をし、何より面白がれた幸せな季節だった。渋滞ついでに休憩と相成り、バスは停車した。
何気なく視線をバス下そばに移すと、バラック屋台の陰に何やら動くものが竦んでいる。最初、犬だろうと思ったが、次第に目が薄暗がりに慣れるに従いソレが何だか判ってきた。子供だ。歳の頃5、6歳程の男子で、大概のインドの子供がそうであるように、この子もまた家族の一働き手として手や鼻の穴を真っ黒にしてハンマー片手に石炭割りして火熾しをしている。やがて雇い主とおぼしき男が現れて、この小さな子に指示を出す。火勢が強まってその子供の面立ちがボウッと浮かび上がって「あっ」と声を上げた自分がいた。
焚き火の熾きが爆ぜて火の粉が自分の手に飛んできた。
タケオだっ。嶽生ぢゃぁねえか。
当時の俺はその少年が十年後に我が子となる未来を知らない。
嶽生が熾した火で沸かしたチャイを、少し年嵩のいった別の少年がバスの車中へ売りにやって来た。「チャ〜イ、チャイ」「エク チャイ(チャイを一杯くれ)」少年を呼び止めて、覚えたての現地語で注文する。「1ルピア」わずか3円にも満たない小銭を渡すと、クリと呼ばれる素焼きのぐい飲みにアルミポットから熱々のミルクティーがなみなみと注がれる。フゥ〜ッ、濃くてウマイ。ひとしきり車内を廻ったその少年は下車し、やがてバスは発車した。俺は火熾し少年を見つめている。派手なクラクションを合図に一瞬目が合った気がしたが、暗がり故に定かではない。また逢おう、嶽生。十年後に。現地人がするように、俺も窓からクリを放り投げた。やがて地に帰す。クリも、また人間も。
世界の屋根チベットからヒマラヤをヒッチハイクとバスで越え、インドへ。デリーには札幌の江里花からの手紙が日本大使館気付で届いているはずだ。それをよすがに俺は遥々ここまで来たんだ。パキスタン、イラン、トルコからアジアを抜け、中近東、アフリカ経由でヨーロッパへ。ユーラシア大陸から大西洋をひとっ飛び、ニューヨークからアメリカ大陸をバスで横断し、地球一周起点の町であるメキシコはマンサニーヨmanzanilloまで。西へ西へと進めば、いつかまた君と逢えるこの不可思議。Hello,again. 地球を感じる。
今や俺も四十を過ぎた、もうこの倍もは生きられまい。四十を迎えた誕生日の翌朝、この事実にハタと気付いてギクリとした。これまで数多の出会いがあったけれど、決してそれらを貴重な機会として捉えてはこなかった。幾つもの出会いと、数々の別れ。随分と、とっ散らかった人生だぁよ。
いや、悔やむまい。自分にとっての新しいステージに入ったのだ。
一回のジャンケンで人生大きく方向付けられることもある。あのジャンケンに、もしも負けていなけりゃ江里花との出逢いは無かった。そしてお前達とも。それを思えばよくぞここまでやって来た。
山にも思いの丈登った。幸いなことに、やり甲斐のある仕事にも就けた。大きな木も九尺周りまでなら余裕を持って伐れるようになったので、グスコーナドリにもちょっとだけ近づけた。
昨夏越した寓居から、ちょいと走れば藍川橋、御嶽と長良川を望む場所に着く。
この地に立ち、十年後、いや五年先の嶽生を、長良を、そして家族を想う。
孤高の鳥になれ。満員電車に乗るな。
想像と創造とで自分の道を拓き、振り返る事なくそれを往け。
ダイジョウブ、問題ナイ。俺達が居る。
俺は俺で、家族の未来を迎えに今日を生き抜き、明日を夢見よう。
卒園おめでとう。
【2011年、ある晴れた春の日に】
二年と五ケ月の不登校期間を経て、タケオは春からは中学には行くという。
そんな道を通ったお前にしか理解できないこと、やれない事がきっとあるはずだ。
そして、そんなお前の思いを理解してくれる、真の友人が見つけられるといい。
まぁ、卒業おめでとう。
俺の仕事が片付いたら一丁、鰻でも喰いに行くか。
心配しなくても、子は親が思っている以上に「したたか」ですよ。私の子供が証明しています。彼も小学校の卒業式は「腹痛」でした。大学も自分で奨学金をかき集めて卒業しました。 最近、私の秘蔵焼酎の減りが早いのは彼の仕業だと判っています。
マースケ様
坊主と呑む日を夢見て励みます。いつもありがとうございます。
macchan90さん、こんばんわ。
息子さん卒業おめでとうございます。
子供の可能性は無限大。。
大人は黙ってみてるよりないですね。
巣立ちは頼もしくもあり、寂しくもあり。。
男の子だと一緒に酒が飲める時期が
楽しみですなぁ。。
ヤマネ様
ありがとうございます。
母もそうでした「黙って見守る」。一番難しいことに思います。
男の成長はおそい。女にかないっこない。小6までは幼稚園児のメンタリティーだ。それは経験上そう思う。タケオはちょっとばかり早く育ったんだね。これからは茫洋とした海だ。楽しみだね。
https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/AACHBlog/details.php?bid=755
米山さま
ありがとうございます。書評についても。
タケオは性格に女っぽいところがあるので、その分成長が早く見えるのかも。
関係ないけれど、サバの味噌煮とかロールキャベツとか不思議な位に美味く作れる男児です。
友達ってのはいいね。
先日、娘が卒業文集を持ち帰ってきたよ。『一年生の時に一緒に帰る子がいなくて下駄箱で一人泣いていたことがあった』と・・・この6年そんなこととはつゆ知らず。クラスメートが声をかけてくれて、それからは一人で帰ることもなくなったらしいが、6歳児が一人で思い悩んでいたのかと思ったら泣けてきた。
作るもんなのか出来るもんなのかは分からんが、中学でタケオ氏に良い出会いがあることを願っています。
しかし、息子の卒○に際しての文章の9割9分が自分の話ってのは、果たして気が利いているのか??
飯原様
そりゃ泣ける話だ。読んで思わず潤んでしまったオジさんでした。
贈った作文だからイイのです。気は効いているのデス。
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