![]() |
![]() |
![]() |
私の在籍した中学校に「スコタを使え」が口癖の数学教師が居た。
スコタは「アタマ」の意と曰う。岐阜弁でもないと思う。
「アタマを使え」ボヤッとせずちゃんと意思を持って考えなさい、の意味と私なりに解釈した。
これまでの私の登山は、地形図を読み取ることから始まった。
地図に想像を膨らませ、過去記録を後付で収集し、実践、展開してきた。
その過去記録の中でもこれまで先入観からであろう数多のグループに「登れない」「通過できない」とされた滝やゴルジュ部分に「ダメでもともと」の気持ちで、しかし目の当たりにしなければ何も始まらないとの思いもあって、兎も角も出掛けて対峙してみたら「えっ、イケるやん」という空間がままあった。勿論、条件に恵まれて通過が適ったこともあるだろうが、私の登攀能力など高が知れているし正直、沢登り中のクライミング分野は別段好みでもない。同行者に恵まれて、一時期凝ったことはあったにしろ。
私程度のレベルで登れてしまうグレードの滝やゴルジュが「登れない」「通過できない」ものとして21世紀にも随分と残されていたのは、怠慢以外の何ものでもなかったろう。その手の余地など未だまだ在る。
2002年4月発行の「日本の秘境―人跡未踏?の秘境を訪ねる (別冊太陽)【大内 尚樹編】」掲載のガンガラシバナの写真を見て「あっ、これは是非登ってみたい。」と強く思った。この写真空間のこの部分を登った、登れたのだという実績は是非手に入れたい思いを正直持った。調べてみたら意外やクライミングの発想での登攀記録は見つからず、随分と訝しく思ったものだった。「えっ、誰も登ってないの?」
取り付いてみたらプロテクションが取れないながらも「落ちないクライミング」で対処して、快適な登攀を味わい、当初の思いを達した。
最近雑誌で読んだボルダリングの話で、高難度ルートを前にして居た若者に「やらないの?」と話し掛けた返答がふるっていた。
「ここのムービー、無いんですよね〜。」
どこかの誰かに(登攀映像を)アップして欲しいという意味らしいんだが、何をかいわんや。器械体操?
自分の手で道を拓く面白さを追求しない不思議さ。
イレブントゥエルブ級のクライミング能力、はたまた有資格者級のスキー滑降術を駆使して開拓すべき余地なぞウザウザとある。手段を目的にしてしまう。
あらかじめ拓かれたラインの上で、如何に高度なパフォーマンスをするかが問われる時代なのか?
御嶽の尺ナンゾ谷滑降も石氏が雑誌に記録を載せるや人気ルートになった模様で、2年程前に遡行を共にした山スキーヤーの方もこのラインの為に大阪くんだりからやってきて実践した話を御本人より伺ったことがある。
飛騨の沢上(そうれ)谷もそうだ。名古屋ACCが公表したのが発端と思われているが、大元は石氏だったと記憶する。雑誌発表により、これまで一瞥もくれられなかった隠れた美渓が一躍脚光を浴びる。すると、行列ができる。かつての秘境、ガンガラシバナでも今や程度の違いこそあれ同様という。
敗退失敗をしない無駄を排した週末を送るために(往復の移動も馬鹿にならないことだ)、既成ルートをサラッと登る。その速さを自慢したりもする。
名のある誰かに提示された難課題を自分なりに克服するのはまだいい。
だがしかしそれが真に当人の課題たり得ているのかの精査は?
自らに課したルールのもとで目標を掲げ、それに向けてトレーニングして、その課題を克服する。
それは、素晴らしい。
ただ、それは真に本人にとっての課題足り得たのか?
自分がなぜその課題を克服したい気持ちになるのか?
誰かが提示してくれた課題にぶら下がり、提示者よりも早く成果を掠め取るような真似をしてはいないか?
スピードを追い求めた記録や、難しいことをしただけで手放しで評価される今の御時世。
そんな競技じみた世界が嫌で、私はこの山登りの世界にやって来たのだったが昨今は、アスリートが最上とばかり雑誌誌面を飾ったりする。
私にとり大事なのは、自分の想いの中で自分にしか語れない登山を展開すること。
難しくなんかなくていい。借り物でない、自己発想の山登りを自家薬籠中のものにして自分だけのアイデアで登山を実行すればいい。
近年の山の世界は上田哲農が言うところの「ひなたの山」ばかりが語られ「日翳の山」がその影を潜めてしまっている。
登山も多様性の時代、以前には想像もしなかった「爽やかさん」が山登りの世界に今、多く居る。
上述した鼻息話は「喪われた岩壁 第二次RCCの青春群像」を読んだ影響が出た模様。
ただ、山ガイド山田哲哉氏の「山は真剣勝負」を読んで、詮無い話とも思えた。
考える事、思索すること。
山に登って「スコタ」を使っているか?
コスパぢゃないよ、スコタだよ。
「スコタン!」の「スコタ」か?。何処の方言だろうか。一度調べてみなくては。
早朝から鼻息が荒いと今度は、血圧 → 脳の血管にくるのではなかろうか。ほどほどに。
愛知出身の方が「このスカポンタン!」と言うのは読んだことがあります。
鼻息と共に血圧も抜けるといいのですが、糖尿のケもあるので脳の血管破らないよう沢で冷やしてこようと思います。来週は台風来襲の様ですが。
【追】後に友人の孝ちゃんより「スコタ」が島根の言葉と聞いた。
うちのほうではスカタンといってました。タイムボカンのムージョ様はワルサーとグロッキーを叱る時、このスカポンタン!でしたが、愛知県地域だったか。
「ここのムービーないんですよねえ」は、意味を解すのに4秒かかりました。いろんな人とおつきあいしてますなあ。
上田哲農。ヒカゲの山。小さい本だけど影響大きいですね。
ヨネヤマ様
いや、タイムボカンの影響は大きいので、読んだ愛知県人のその発言の出自がテレビだった可能性のほうが高い。ムービーの件は今やあちこちで聞けるよくある話ですヨ。上田哲農は「登り、書き、描く」立派な方です。
自分で考えずに、最初から、他所から答えを求める風潮が定着しているのは、インターネットの影響が大きいのでしょうねぇ。
ふた昔ほど前に、ルームの現役に付き合って山に通っていた期間があったのですが、山行記録をろくに調べず、過去の山行計画をそのままコピーしただけの計画を提出する部員が多くて唖然とした事があります。
シェイク様、遅くなってスミマセン。
子供を見ていても思いますが、解答への最短距離を探りがちな時代を象徴している事態かもしれません。
過程は問わない、答えさえ合っていりゃいい。
それを思うとインターネットって実害の方が多いともいえます。
時代が時代なら、私も同様の「罠」に嵌っていなかったとも限りませんが。
過程を問わない正答って、真の答えなんでしょうか。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する