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私が、ではなく「珍萬」が、である。
「珍萬」とは、拙宅斜向かいにある中華料理店である。
2010年夏にこちらへ引っ越した当時は、居住地の、すぐ傍に、気の置けない、中華の、料理屋が、あるなんて、何て、素敵な、ことだらう!、とその有難みに浸ったものだった。
蓋を開けてみたら、とんでもねぇ料理屋だった何て話もありそうなものだが何の何の、外食の度毎アトピー気味だった子供たちが、食べてもプツプツもできない実に有難い中華屋だった。加えて店主は福島御出身の、極めて温厚で穏やかな方だった。
が、一たび新聞沙汰にもなった火事を起こして閉店の憂き目を見、何とか復活したと思いきや、今度はオバサンが肺癌に罹患してアッと言う間に天に召されて再度廃業されたのが4年前の事。その後に我が母が罹患したのも癌だったので記憶に残っている。
「珍萬、再開してくれたらいいのにねぇ」が、ご近所達との共通の話題であった。
それが、先週3/13日に再び(三度?)営業を再開されたのである。個人的に心安くお付き合い頂いている長女の絵の教室の先生から、聞いた。
珍萬マスタルにお祝いのビールを持っていった際に聞いたところでは、団地のあちこちの方達から再営業の熱い熱い要望があったそうで、再開には中々高いハードルもあったそうであるが地元民の生活の役に立てるのなら、地域貢献の一環で、という思いの下で再投資しての再々スタートを切られたようである。
いかなセルフサービスで、とはいってもマスター一人で取りまわすには無理がある。安定するまでの間は近所のオバちゃんたちが持ち周りで手伝う手筈だそうだ。
こういった話に頗る弱い私としては、提供できるものならばこの健全たる?肉体を奉仕に投じたい思いで春分の日とその翌日の昼飯時にお手伝いに出向いた。歩いて実に20秒!
白衣を着て慣れぬ接客に右往左往していると(実に33年振り!)、お隣さんや、一軒隣のお隣さん、また拙宅隣の老夫婦に飲み屋のママまで現れて「アンタ、そんな恰好で何やってんの」といういかにもな顔をされた。初めて話した床屋の親父は大の山好きだったことも知った。何とオジサン、深田百名山94/100!
「開業すぐは御客も来るんだけんど、一月もしたらこれがパッタリなんだぁ。」という割には20名以上の客が訪れ、これを一人で捌くのはやはり大変なのであって、私如きが邪魔にならない程度に手伝う範囲でも有難がられる祝日の昼であった。
労働の対価が金銭でしかないという現状を打破したい、いや労働の対価=金銭価値という構図を打破したいそれだけにない姿を提示したい思いから今回の行動となった。とはいえ、昼食唐揚げ定食という対価は頂きました。美味しかったです。
「人生金ぢゃねぇ」と嘯いてみるものの、やはりそうは言っても金に依拠した生活をしている身には大言壮語を吐くほどの生活力もない。
それでも、清々しい春分の日の午後であった。
現在76というマスターは「何とか80までは踏ん張りたいんだぁ」と。
応援しますヨ。
これに見習って、私も再度復活したい思いである。
※岐阜に登山にお越しの方は「岐阜 珍萬」で検索してお越し下さい。なお、明日日曜は休業で通常は10:00〜15:00の営業です。是非に!
ここで味を修行して、店を継ぐというのはどうでしょう。定年の無い仕事をにわかに探しているので、とてもいい話と思うのですが。当分タダ働きの丁稚奉公にはなりますが。
今日も手伝いに行きますヨ! 近所の人にもそう進言されたことあり〼。今は「半林半拉」目指してます。
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