かつて書いた関連記事。
https://www.yamareco.com/modules/diary/1946-detail-238767
三〇代から二十年、日本近代洋画の勉強の一環として読んできた本で見掛けた名作群が目の前にあるという実際に正直、感激した。
鏑木清方の名作群が、菊池溶斎が、渡辺省亭が、北野恒富がっ。
梶田半古の「天宇受売命」は意外な小ささだった。
今回の目玉である鏑木の「妖魚」は正に圧巻!
日本近代洋画は流石に日本画よりかは手薄な感じがしたものの過日、高い山で藤原さんと話題に上った小磯良平も鹿子木孟朗もあったのには驚いた。岡田三郎助はどーでもいいとして、山本芳翠「眠れる女」、中村不折「落椿」は個人蔵としてはかなりの良品に思う。岐阜の北蓮蔵をお持ちだったか! 個人的には村山槐多の小品が、添えられたエピソードと共に心に残った。あの三岸好太郎の小品のような本作を個人的に所有する幸せとは果たしていかばかりのものだろうか? 普段はあまり好きでもない竹久夢二「かごめかごめ」も、福富氏の御母堂と共に心に引っ掛かった。
本展覧会の白眉はやはり、満谷国四郎の「軍人の妻」だらう。これに一等、感じ入った。「満谷の初期作品が欲しい」というセンスが時代の先を行く。確かに「かりそめの悩み」「戦の話」「車夫の家族」と、この時期の満谷作品は好ましい。その「軍人の妻」をアメリカのオークションで金に糸目をつけず?に落札する件は彼、福富太郎の真骨頂である。右目の涙、ワタシにも見えました。
更に言うと、今回出掛けて真に感じ入ったのは福富氏の御本に掲載なかった作品だった。それは、松本華羊「殉教(伴天連お春)」だった。御本に掲載あり展示にもあった島成園「春の愁い」と画題が同じく「切支丹屋敷」を出自としたワンシーンで、死(斬罪)を前にした虚ろな目が花弁すら目に入らぬといった風情が堪らない。
あれっ、河鍋暁斎と北村四海が無かった! 何故に?
秋からは秋田県立美術館で巡回開催されるのが最後という。未見の方は是非!
昨年に引き続いて、計画の半分も遂行できなかったのはこの展覧会を観よ、という沢の神のお告げだったのだらう、か?
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