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酷く、惨い映画だった。
鑑賞中、隣の白髪爺さんは幾度となく退席していた。よもや、数週前の私のように食中毒でもあるまい。
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左前のオッちゃんに至っては、足を投げ出して見つつ、ハンカチが手放せない様子だった。
私はと言えば、帰りの運転が覚束ないほどに心を持っていかれてしまった。
これは、今を生きる全人類必見の映画ではなかろうか。
学生も観るべきだらう、感想文など書かなくていい。これに感じ入る事の無い学生などいるはずないのだから。感受性の高い学生ならば、一週間は学校を休むことになろう。
冷房の効いた部屋で美味いモンを食う、温泉に浸かる、ダイエットする、適性に沿った就職をする、そして山に登るなんていう事項が、尽く吹っ飛んでしまう。
小禄海軍陸戦隊、太田中将に池部良。「虹色のトロツキー」にもこういう人は居た。
第六十二師団の賀谷中佐に高橋悦史だったが、私の中で悦史は何につけ印象に残る。
逃げる沖縄県泉前知事に浜村純、踏ん張る島田知事に神山繁。
丹波哲郎よりも、本映画では仲代達也に小林桂樹が強い印象を残した。他に、鈴木瑞穂に佐々木勝彦、川津祐介、天本英世。
最後に、迫りくる戦車を前に踊り狂うオバァ、キャベツをムシャムシャと頬張るシーンが強烈だった。
こんな苛烈な経験を糧にできない人類は、もはや愚かという他ない。
おはようございます
「激動の昭和史 軍閥(1970)」は今を生きる全人類必見の映画だとの推薦、機会があったら観てみたいですね。俳優達に戦争体験者が多くいるようなので真に迫った臨場感のある映画なのではないでしょうか。内容は被害者としてなのか?加害者としてなのか?日本人は被害者意識が多いと感じますが、戦争は両陣営の99%の国民が被害者であり且つ加害者であると思います。同じように地球環境悪化問題もほぼ全員が被害者であり加担者になっています。なにやら学校でよくある全体責任!みたいですね。特に上級国民と言われる人たちほど加担度が高いのではないでしょうか!
俳優の中に池辺良という名前があり、父が陸軍の戦友であったと昔言っていたことを思い出しました。父の体験は生死に関わった負傷の跡で知るだけで、言葉では殆ど語りませんでしたので、池辺さんとどこでどういう経緯でなどの情報は全く知りませんでした。そこでネットで調べてみたら、池辺良さんは安倍昭恵さんと岡本太郎さんと姻戚関係にあったようです。世間は狭いものだなあと驚きました。狭いと言えば、確率の本の中で、無作為に選んだ見知らぬ人が300人集まれば、その中には必ず何らかの関係する人がいるとのことでした。以上雑感でした。
そうです、今と違い体験者が居るからこそのリアリズムだったのですね。
池部良のことは以前もどこかでお書きだったことを覚えております。戦争に駆り出されれば、俳優も何もなく同列なんですね。演技と実態の相違について、お聞きしてみたいものです。少尉だったとあるので映画同様に、一個団のリーダー格ではあったとおもわれます。
ああいう映画を観てしまうと、戦争体験者が今の”戦争を知らない子供たち”をどんな目に見ているのかを考えてしまいます。
「戦争体験者が今の”戦争を知らない子供たち”をどんな目に見ているのか」について、私見ですが、「甘やかされて育てられて生きる力ややさしさが不足している」と見られているのではないかと思います。戦争体験者の子供たちが孫たちを甘やかして育て、さらに孫たちがさらに甘やかして育てた。その結果、他者へ寄り添うということが難しい人になった。みんながみんなそうだということではありません。そういう傾向の子が多くなったと感じているのではないかと思います。結果、大人になって自己保身に走るようになりますね。
それでも戦争経験者が「お前たちも経験してみろ」ではなく、子や孫たちの幸福を切に望んで「戦争は絶対に繰り返してはいけない」と仰るその心について今日の作業中、考えました。
「戦争は絶対に繰り返してはいけない」ーーーその通りですね。
でも、ずいぶん前から「言うだけなら誰でも言えるよ」と考えてきました。
その言葉には、「Why何故?」繰り返してはいけない理由が曖昧です。被害者の人(殺される側)が”怖くて悲惨で苦しい生活で親しい人たちが死んで逝った体験”から発している場合、もし圧倒的な武力があって被害者は出ないなら良いと考える奴も出てきそうです。従って同時に加害者(殺す側)として考えることが大切だと思います。
子供(与えられる者)と大人(与える者=与えることができる者)と考えたら、甘やかされ過ぎた子供は与えることができる者に成長(転換)できるのかなと思います。他者への配慮に欠けた選民意識を持ち自己正当化して自己保身に走り易いのではないか、世の中を視て思います。他者のことが考えられない人は、戦争を起こし易いのではないかと思います。
イメージとリアル、の違いでしょうか? 選民意識は映画でも上層部将校として表現されていました。折しも今日の毎日新聞に、ウクライナのリアルと、論点「あなたは(もし日本が侵攻されたら)戦えますか」のイメージがありました。真に、生々しい時代に思います。
「あなたは(もし日本が侵攻されたら)戦えますか」の問いを「戦う」「戦わない」の二者択一として捉えると袋小路にハマります。愛国心を発揮すると「戦う」になりますね。抽象的ですが、「国」を取っ払って、強い「心」と「愛」を持って、二者択一にしないで「平和」の道を選択することだと思います。宇宙から観れば地球には国境線などないし、民族も元は同じホモサピエンスです。ウクライナもロシアも両国の国民が戦わないと決心したら指導者がいくら煽っても戦闘にならないのではないでしょうか。甘いですかね。
過日、歴史学者転じて評論家となった與那覇潤氏が「グラデーション(色合いの濃淡)のまったくない社会が生まれている」と仰っていたそうです。白か、黒か。政治家の、統一教会に対する関与もどれくらいの関わり方かは問われずに関わっていたらオールアウトといった風です。
今、岐阜は酷い雷雨で、家の前の水路が溢れています。戦争よりも今は「オール地球」で気象災害に立ち向かうべき時だと思うのですが。戦闘している場合に無い。
そうですね。何でも白黒付けたがるようになっていますね。
「戦う」「戦わない」は同じ土俵でグラデーションを付けるのではなく、全く異色(別次元に)に塗って考えないと袋小路にハマります。仰る通り、地球全体にとって戦争している場合ではないです。
一方、旧・統一協会の問題は、まだまだ追及が甘いのではないでしょうか。グラデーションを付けてぼやかしてはいけません。「忘れやすい日本人」「水に流すのが得意な日本人」「なあなあが好きな日本人」「持ちつ持たれつの日本人」は、ぼやかしたら悲劇は繰り返され被害者が無くなることはないでしょう。この問題はコントラストを立て白黒つけないと解消しないと思います。
追記:やり取りを続けて内容が逸れてきてすみません。ここら辺で終わりとしたいと思います。
ありがとうございます。
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