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私の山登りは終わってはおらず、これからも続く。ただ「登山」は終わった、気がする。私も今年、55の歳を迎える。いつまでも志と行動とが合致した山登りを続けられるわけではない(還暦過ぎて剱大滝を通過した猛者を私は知っているけれど、私にそのような胆力は無い)。
だから「登山(=意気があり、考えあっての山登り)」としての行為を『紙媒体』で個人的に残しておきたいと、怪我をする前々から常に思っていた。チェーンソーを構える時も、運転中も食事中も、トイレでしゃがんでいる際にも就寝前にも。でないと、死にきれない。これまでの山行記録はすべてヤマレコに載せてはいるけれど、私は基本的にデジタルデータを信用していない。
書いて、印刷して、不思議な思いがした。
行為がある、それで完結しても良さそうなところを敢えて文字に変換するや、建物が地上に持ち上がるような気配がある。その建造物を、離れた場所から眺めてみる。大層な建築でもないな、私のは。35年も賭けた割に基礎はなっていないわ柱も細い、その上平屋で終わってしまった。瓦は無く、茅葺だぁよ。ただ、自分で建てたのだからまぁ、住み心地だけは良い。茅葺だけに、囲炉裏もある。
フリー(クライミング)に力を入れていたら展開が大きく違ったかと思うが、その結果として頭筋肉不勉強では元も子もない。私は1995年当時のフリークライミングの雰囲気がどうしても好きになれなかったのだ(些末ともいえる対象へ執着、その潔癖さ、デシマルグレード由来のあからさまなヒエラルキー等々)。酒も煙草も排除する傾向の、彼らの依拠する価値(数字)に全く同調できなかった。スポーツが苦手だから、競争を好まないからこそ私はこの登山の世界に安住したのだ。
来週の、仕事復帰の前に今日何とかその仕事を片付けることができて今は安堵している【1989年〜2024年】。棺桶に入れてもらうものが作れた、オッカに頼んどいた。
勿論、これからもお願いします。作業に関しては、米山サンなら二日で済ませられる程度の分量でしたヨ。
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