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グリスが粘土のようになってしまっていた。翌日にはレンズのカビまで取ってくれて修理完了。鮮やかな職人技に感涙。レンズのカビって、やればとれるんだ〜。
店には全国各地から郵送された年代物舶来カメラが山積み。生産中止して数十年のものも、部品を自作してでも治すそうだ。
よく聞くとこのオヤジさん、八甲田の冬の撮影にもよく通うそうで、な〜んだお仲間じゃないですか、と話が弾んだ。そうなると世界は狭いので知っているお知り合いの名前がたくさん。なかなか晴れない厳冬期の八甲田写真の力作をスライドショーで見せていただいた。
さてこの双眼鏡で10m離れて5歳児の娘のパジャマ着替えを見ていると、「やめてください」と言われる始末。娘と二階に登って、黄昏の町を見ていると、遠くの空に花火がど〜〜ん。どこかの稲荷の宵宮だ。
「坂の上の雲」読みたてのかみさんはこの双眼鏡で、「オモカジいっぱい!」とかいって東郷元帥ごっこにはまる。双眼鏡は水兵にはあこがれの一品だそうだ。
今では手に入らない作りのレンズらしい。こういうものを捨ててはいけない。
時計修理やカメラ修理の技術者の継承は不景気もあって風前の灯ですね!あるものはどんどん修理に出さないと!
相仲です。こんにちわ。
素晴らしい双眼鏡ですね。両眼の接眼部が回転式ですか?。片眼回転で、センターにダイアル付きですか。私のは前者で陸軍の軍人だった父が残したものです。やはりレンズにカビが生えてますが、それでも市販のものよりよく見えます。砲撃照準用の角度目盛りがあります。分解修理が可能なら私もやりたいと思いますが。
戦前のツアイス製なので復元できればと思います。昔のものは実にしっかりと出来てましたね。古くても良いものは大切にしようと思います。相仲廉
ははあ、、双眼鏡。どうやらドイツっぽいマークがついてますね〜。一瞬、ライカかと思いましたよ。奥様、面舵いっぱい〜ですか。なんとなくほのぼの。ほんとに修理して使える道具が最近少なくなりました。いいもの見っけ。おまけに山仲間も見っけ。よござんした。そういえば、うちにもあるなあ、昔の双眼鏡(Nikon)。子供達とよく月を眺めました。
カールツァイス製というのも凄いなあ。修理代かかってもいいじゃありませんか〜。ぜひ復元させてあげてください。一品でも大切にできる道具があるというのはいいことです。かくいう私も大切なカメラが一台あるのでした。「オリンパスペンFT」。
あそこの店って、そんな技術を持っていたんですね!
素晴らしい!!
で、山にも入るとは!
ヨネさんは、そう言う運命なんですね
凄すぎです
私も何回か、吉崎さんの所で修理してもらいました。
・PENTAX SPF ・マミヤC330・ゼンザブロニカ・レンズ各種
いずれも古いカメラで現役にて動いています
相仲さん、吉崎カメラは
http://www.ax-life.info/yoshizaki/index.html
です。僕のは分解グリス掃除、レンズカビ取りすべてで4000円でやってくれました。古いレンズほどカビが取りやすいとの事です。「片眼回転で、センターにダイアル付き」というのだと思います。うちの海軍ごっこどころじゃなく砲兵隊ものですか。お持ちという事は父上は生還されたのですね。何よりです。
みなさん
クラシックカメラをいつまでも治してくれる人がいるというのはありがたいことですね。たまにはアナログカメラを日に当ててやらないとなあ。うちにもいろいろありますよ。オヤジ譲りの蛇腹まで・・・。
yoneyamaさん・有難う御座います。青森にはいい店が有るのですね。代金も安く、良心的で驚いています。こちらには万年筆で修理の店がありますが光学器械は有りません。早速問い合わせてみます。
父は砲兵部隊ではありませんが、軍用の双眼鏡には皆目盛りが有ったのではと、私の想像です。赤鹿部隊で北支に出征でしたが、運良く昭和20年6月、本部へ転属で国内勤務になり、そのまま敗戦になりました。69歳で亡くなりましたが、生きていれば106歳でしょうか。明治生まれの厳格な父でした。相仲
お父様、運が良かったですね。私の祖父も1910年(明治38年)生まれで、染物職人でしたが輜重兵で応召、北支で敗戦、その後復員しました。10年ほど前に亡くなりましたが、もっと話を聞いておけばよかったと悔やんでいます。
昔の話というのは身内でもなかなか聞かないものですが、残念です。
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