その番組の中で紹介された異色の96号、「特集・戦争中の暮しの記録」は、戦争が終わって23年経った1968年、公式の記録に残らない庶民から寄せられた話を延々書いた雑誌でした。今日は何を食った、何時から何時まで働いた。あそこは焼けてどうなった。という生の声でいっぱい。今ではありがちだけど、当時初めての試みで、ものすごく早く売り切れたそうです。戦争が終わってから23年間も、こういうことができなかったのでした。以下に編集者、花森安治の序文です。
●この日の後に生まれてくる人に
君は、四十才をすぎ、五十をすぎ、あるいは、六十も、それ以上もすぎた人が、生まれてはじめて、ペンをとった文章というものを、これまでに、読んだことがあるだろうか。
いま、君が手にしている、この一冊は、おそらく、その大部分が、そういう人たちの文章でうずまっているのである。
〜(略)〜
それは、言語に絶する暮らしであった。
〜(略)〜
しかも、こうした思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残らない。いつでも、戦争の記憶というものは、そうなのだ。
〜(略)〜
その戦争のあいだ、ただ黙々と歯をくいしばって生きてきた人たちが、なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、どんなふうに暮らしてきたか、それについての具体的なことは、どの時代の、どこの戦争でもほとんど、残されていない。
その数すくない記録がここにある。
いま、君は、この一冊を、どの時代の、どこで読もうとしているのか、それはわからない。君が、この一冊を、どんな気持ちで読むだろうか、それもわからない。
〜(略)〜
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、そのまた後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。これが、この戦争を生きてきた者のひとりとしての、切なる願いである。 編集者
この96号はうちにあります。昨年、97歳になる、山岳部の先輩OB宅を訪問した時、卓の上にたまたま置いてあって、私が手に取り読んでいると、やはり90台後半のその奥様が、「ご興味がおありならどうぞお持ちください。年寄りにはもう持っておくものなどありませんから」とおっしゃったので、ありがたく頂戴してきたものです。
帰宅してこの編集者の前書きを読んで、「これは引き継ぎを受けたのだ!」と思い知りました。
「この雑誌はどうかしている!」と、私も驚歎しました。
本当に生き字引の話しを記録しておかなくてはなりませんね。私の祖母もトト姉ちゃんの中のあやさんみたいな立場だったと思います。戦前にセーラーカラーの可愛いおべべ来て歩行器乗ってる写真があり、どんだけ、どんだけええとこの子?と思いました。戦死した祖父の兄弟もまた皆軍人だったので故郷に帰っても未亡人になった本家に頼れなかったと、戦前は港から家までの数十キロは全部自分の土地だったのを全て売っても無理だったようですよ。叔母も貧乏でよくいじめられたらしいです。いじめた相手は病気で死んだらしいですが、この苦労は何故か父など男兄弟は覚えてなくて70年たっても何くそ根性で生きてるのは叔母だけです。花山編集長スカートはくくらいだから、やはり女性の気持ちがわかるのか…だから、当時食べ物をわけてくれた方、近所のお年寄りなど恩返ししてるようです。78歳で現役ママの叔母は私の目標です。
あ、やっぱり男はダメですね。苦労も忘れるけど恩も忘れるのかな。
見知らぬ場所で弾に当たって死ぬのがオチか。
来るべきして、よねやまさんの手元に来たようですね。どうぞ、大事に…。
機会がありましたら見せてください(*^^*)。
半年ほど前に岩波新書の、「生きて帰ってきた男」を読み、庶民の暮らしの記録を、70年も経ってよくぞ覚えているものだと思いましたが、逆にこの96号の時期であれば、ようやくさきがけの時期です。よくぞこのテーマを思いついたものぞと思いました。
機会はいつでも、思いついたらおいでください。
なんと、この号は一介の雑誌に留まらず、今も買えるように保存版になっているそうですよ。
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/blog/editorsnote/160719
おおっ!これはいいですね。将来、坊主にも見てもらいたい。通販で買えるかしら。早速調べてみます。
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