実家のダンボールから出て来た学生時代の北海道の山行写真、奥さんもワンゲルなんですがどれがどの山かわからないというので、その映写会をしました。1980年代後半、同じ頃登った雪の日高、十勝連峰の写真を見れば、どこからどこを撮ったのか、立ち位置も全て知っています。滝を見れば、どの沢のどの二股か、覚えがあります。集まったメンバの一人はその日付まで覚えていました。
ポジフィルムの映写機を久しぶりに見ました。今と違って日付がないけど、ワンゲルの山行記録集を見て、写っているメンバーの顔を見て、どの山行かわかります。20代の頃の山行の記憶というのは特別なものです。
彼は才能豊かで行動力もあり、若き雪氷学者として期待されていました。当時でき始めた言葉、「バックカントリースキー」のブームで、冬山登山をしない人が新雪斜面に入って雪崩事故になることが増えた頃。雪崩ビーコンや講習会を主催し、雪崩事故防止に取り組んでいました。いずれは極地やヒマラヤのフィールドで探検的学術調査をする数少ない研究者となっていたことでしょう。
訪ねた仲間の家の二人は学生時代からこの前亡くなった田部井淳子さんと親交があり、彼女は札幌のワンゲルのぼろアパートにも度々遊びに来てくれていました。田部井さんはあの通り、後輩の女性登山家にすごく面倒見の良い方でした。女流登山家草分けでやって来た人ですから。僕もカラコルムの山で一度一緒に山行をした折、その人柄に触れていました。BCで抹茶を立てていただいたのが美しい思い出です。
訪ねた仲間のご主人オノさんもワンゲルで、今年秋亡くなったクライマー吉田和正氏が山岳部に入部する前、一年生の時ワンゲルに入部していて、新入生としての数ヶ月を親しく過ごしていたそうです。吉田さんはワンゲル数ヶ月、山岳部1年弱在籍ののち大学を去り、天下無双のフリークライマー草分けとなっていったのでした。私が入学した春の十勝連峰春合宿列車で、向かいの席で酒を飲んだ覚えがあります。その吉田さんも死んでしまった。
オノさんは寮で私とは入れ違いでしたが同じ部屋「スポーツ愛好会」略してスポ愛に住んでいました。部屋というのは10人共同の部屋で、365日合宿状態の濃密な共同体です。そこで一緒だった山岳部の死んだ先輩、ロクさんとの話にもなりました。オノさんはロクさんと同期。この年頃の共同生活は人生のかなめです。ロクさんは私が卒業する前の年、飯豊川本流の滝壺で溺死しました。ヒマラヤに行くならロクさんと行こうと思っていた相手でした。
死んだ仲間の話ばかりになってしまったけれど、それでいいのだ。時々思い出して、生き返らせてやるのだ。