中学一年の学年登山で燕岳に登るのが松本生まれの子供の運命だと思っていたのですが、33年ぶりに帰ってみると、そうでもなくなって居ました。
7月4日(火)の松本市民タイムスの記事によれば、車であっという間に3000m近くまで行く乗鞍岳登山が圧倒的に増え、燕、常念、穂高など、5時間登りコースの学校登山をやるところが随分数を減らしているとのこと。登山をせず、修学旅行のところもいくらかあるようでした。40代くらいの人は、「私のときは無かった」という人も居ました。ちょうど世間が「何か在ったら責任誰が取るんだ時代」になった頃でしょうか。引率教員の山パワー低下も大きいでしょう。
この時だけ北アに登って、あとは一生登らない人だって沢山います。それだからこそ、この年頃で登っておかなくてはならないと思うのですが。
こんな流れのなかで頼もしい話を聞きました。
大町市の大町高校と大町北高が昨年合併してできた大町岳陽高校は、伝統を継ぎ、全校登山と言って、1〜3年の全生徒が、力に応じた6つの山行グループに別れて北アルプスの山行をするそうです。八方尾根〜唐松岳往復から、二泊三日の燕〜槍ヶ岳登山まで。これは伝統で、このガッコに入ったらやるっきゃ無いそうです。終えてみればみな朗らかだという話。いい話ですねえ。健脚派の槍ヶ岳コースは、やる気満々の男女生徒がエントリーするそうです。高校生は体力があるから、まず遭難なんかしません。失敗したって、若さとパワーで挽回するところが中高年と違うところです。
何百人もの全校生徒が北アルプスで同時多発に山行をやる。先生、生徒たちの下準備、根回し、手続き、ご挨拶、この時代を考えるとタイヘンご苦労様と思いますが、天晴なことと思います。
yoneyamaさん、こんばんわ。
全国的に子供が外遊びを極端にしなくなった影響なんじゃないでしょうか。一昨年、松本の友人宅に寄った時に。そこの子供さんが「無理やり常念岳に登らされたので、みんな山登りが嫌いになったよ」って言ってたのが印象的です。子供は小さい頃から元気よく陽が暮れるまでの山を駆け巡る。。そんな環境が大切ですね。
「無理やり登らされて嫌いになった」とはよく言われる言葉ですね。しかし人の一生は長い。10代の頃は懲り懲りと思っていても、女30になると何故か山好きになったり、男50になって体が衰えてから、昔いちどだけは登れたことを思い出して山を始めたりする話は、ヤマレコプロフ欄なんかでもかなりよく聞く話です。まして年老いるまで「山は懲り懲り」の人にとっては、正に一生に一度の貴重な機会です。嫌いな人だって、一度は山に登ったんだ、ということができる機会なんですよね。
「ヤマは懲り懲りだ」という人は、きっと何か自分でも許せないものが自分の中に残っているんですね。それの克服は、長い人生でなされることもあると思います。
集団登山大反対!
といいつつ、小学校の林間学校で戦場ヶ原を歩いて、中学校の林間学校でで那須茶臼岳に登って、山の虜になりました。
しかし、茶臼岳で「ここでお弁当を広げなさい。」と言われ緑の絨毯に飛び込むと、下がスカスカ。今思えばハイマツ帯だったのでしょう。数年前に茶臼岳に行きましたが、確かにあった筈のハイマツ帯が消えていました。
皆でバキバキ音を立てながら跳ね廻った結果でしょうか。
集団登山は山登りじゃない!と常々思います。八甲田山行軍遭難とか、百名山ガイドツアーみたいなのを大の大人がやるのは危機感知能力が衰えるから僕は反対ですが、ティーンの少年少女の場合は集団登山だろうが山でちょっと危ない目に合うのは大賛成です。一番良いのは、大人が引率せず、年の近いセンパイが連れて行く通過儀礼です。おとなになるために。
yoneyamaさん、こんんちは!
自分も学校登山で燕に行ったクチですが
次女の学校登山の時は
「学校の先生が『登山面倒』って事で
麓の宿泊施設に泊まっただけで
山には登らなかったンだよ〜!
と残念そうに嘆いていました。
生徒の思い出より先生本人の面倒臭さが
優ってしまった! そんな馬鹿な!?と
思ったけど多いそうですね…悲しいです。
いまどきは先生方もかなりタイヘンなんじゃないかとお察しはします。まあ、簡単に言ってしまうと「登山面倒」なんですが、「苦渋の選択」であったと願いたいですね。次女、喜んでいなくてよかったですね!
大町の生徒も天晴れですが、先生方も天晴れ!きもちのいい話ですね。
未成年のうちに体力の底にあるもうひとつの蓋?が開くような経験をすると、物事に対しての感性が違ってくると思います。
坊主は走り回ってばかりだから、学校にそういう行事があると友達といい体験ができるんですが。
なかなか難しい世の中だから、私が体力温存して息子にいい体験をしてもらうべく頑張らないと。
本当は、同じ年頃の子どもたちで知恵を出しあってがんばるのがベストなんですが…。
親ががんばるのは小学校前半くらいまでかな。未成年世代くらいになったら、いい先輩見つけてほしいですね。坊主さん、このまえビレーなしで滝登ってましたね。
そうですね、ちょっとお兄さんがすごく大好きです。3才の子どもでもそうですね。
ちょっと悪くていい先輩をみつけて欲しいです。
不思議なことに遊具にのぼるのは怖がる(ブランコも好きじゃない)のに、自然物に近いものは怖がらないんですよ。歩き始めた頃から。
登山ではないんですが、中1全員が無人島三泊四日サバイバルキャンプをやるとゆう学校行事についていったことあります。持ち物表にはナイフ持参です。数名でグループになりテントです。グループにはボランティアのOBの大学生がリーダーとして一人づつ配置されます。場所も島の好きな場所に張ります。水も船で本土から運ぶので直接飲めず、炎天下ですが飲みものは煮沸したお茶、食べ物は釣りしたり、飯盒炊飯、嫌いだからと言って残したりはOBが見張ってるからできません。島にはたぬきが居てテントで寝てたら噛まれたり、遠泳では、今まで、泳げない子もOBが並泳して全員泳ぎ切ります。最後の夜のキャンプファイヤーで全員自発的に、何かを宣言するのですが、先生から言われたり、出席番号でなくて次々と立派な事ゆうんですが、この前まで小学生とは思えません。親が見たら泣くだろうなーと思いました。OBは厳しいですが、先生は全く怒らず遊んでます。クラブ活動も顧問よりOBが面倒見るみたいです。素晴らしい学校だと思いました。
それはランサムの「ツバメ号とアマゾン号」ですよ。十五少年漂流記?
OBというのは大人じゃなくて少し上の兄ちゃんなわけだ。この年頃は、少し上の兄ちゃんにいいこと悪いことみんな教わるわけ。親にはそんなの教えられませんね。まろさんはなんか宣言しました?
いつだかラヂヲで聞いたけど、豊田商事事件で日本中に『責任者でてこーい!!』が放送・連呼され、それを見て育った若者や青・少年世代がイイ歳になるあたりから「何か在ったら責任誰が取るんだ時代」に突入したらしいですよ。
暴力団を排除する仕組みをたくさん作ってみたら、国民全員やくざみたいになっちゃったって感じですかねね。
なんかタイトルと無関係でごめんなさい。くわばらくわばら。
「何かあったら責任誰が取るんだ時代」は、さっき僕が思いついた時代区分なんですが、豊田商事かね!あれも随分前なんですね。1985年。これ見てた青少年ってe-hara世代?
ボク、山登っていてテレビ見てなかったよ。でもそのシーン、たけしがやってる映画(コミック雑誌なんていらない)で見ました。
古生代デボン紀みたいに昔になってほしいですね。
長野市の某中学校からは、早朝からバスを何台も連ねて中房温泉に向かった記憶があります。お米も何合か持たされたと思います。雲海の遥か向こうの方まで尾根が連なっていて、「あんな遠くまでいけるのかなぁ。いつか行ってみたいなぁ。」と思った光景が脳裏に残っています。学校登山は山と出会った瞬間であり、今尚未知の山を歩きたい、という思いの出発点です。学校登山には本当に感謝しています。
大町岳陽高校、良い学校ですねぇ。
やるっきゃ無いんですね(笑)
キハさんは長野市でしたか。お米を持たされたっていうのが、荷揚げにまだヘリ使っていなかったのか、って感じですね。
子供が学校に感謝するのなんて、先生たちが死んだあとですよね、すぐに感謝されるようなことばっかりじゃ、いけませんよね。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する