すこしまえ本を出版したのですが、先日、その中の一文を、ある模試の問題に使わせて欲しいという旨の手紙をいただきました。
国語の試験でよく取り組んだ、括弧にあてはまる接続詞を次から選べ。傍線の部分の指す内容として正しいものは次のどれか。というあの例文に選んでいただいたのです。これはうれしい。出版時に劣らずうれしいことです。何と言っても少年少女が嫌々ながらも真剣にあの文章を読んで著者のことばの意味を探ってくれるということが。全員が共感しなくてもいい。100人に1人が、なんだか面白いことを書いているぞ、などと思い、うっかり本を読んでしまうようになるかもしれない。著作権料などいらないからお礼をしたいくらいです。
内田樹氏が以前書いていましたが、著作権とは著述業者の「食い扶持」であるのは確かだけれども、書き手は本来、自分の考えを一人でも多くの人に伝えたい(そしてできれば同じ考えを持つ人、マネする人に増えてほしい)から本を書くのであって、著作権を楯に転用やパクリを禁じるのが過ぎる状態は煩わしい。彼に関しては自分の著作を無断でコピーして、その人の名前でお金を取って売ってもかまわないとまで書いていました。人の考えや芸風は先人の影響やパクリから合成され新生されるものも多く、パクリに目くじらを立て過ぎては人の発展は無いと言う話でした。
誰でもいいそうなことを書いているならばともかく、「誰もいいそうにないこと」を書いてさえいれば、たとえ誰かがパクったとしても、世間にはオリジナルが誰であるかは自明なのだという自信がある言葉なのでしょう。
以前ネット上の知らない人のブログで、僕の文章が引用ではなく、まるまる盗用されていたのを見つけたときはたいへん驚きましたが、その人は僕の文章をよほど気に入ってくれたのだと気を取り直しました。
内田氏の文章は国語の試験問題に使われる機会がとても多く、著作権の問い合わせ手紙がすごく多いので、国語問題に使うなら、もうお断りも著作権料もいりません、と宣言したそうです。そうしたらますます増えたのだとか。そりゃお互い煩わしくなくていいですよね。日本中の受験生が試験中とはいえちょっと気になる文章を読んで、その後本を手に取ってくれる事の効能は、ちっぽけな著作権料なんかでは勝負にならないくらい大きいと思います。僕自身、国語の試験問題で面白い著書に出会った経験が多くありました。
あしたは信州大学の合格発表、あさっては松本の公立高校の入学試験。試験のあとは、お別れの季節。
著作権の話で最近のニュースになった「JASRACの音楽教室からの徴収」を思い出してしまいました。
http://blogos.com/article/281522/
法律的な解釈はこれから決まるようですが、
なんでもかんでも、金、金、金・・・とますます世知辛い世になっているように感じるのは自分だけではないような気がします。
お金の話をしているのは、作家本人ではなくて、周りでビジネスしている人なんですもんね。かといってみな、生きていかなくちゃいけないんだけどねえ。
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