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それ以上に驚いたのが、ここにあるお堂がなんと真田親子が関ヶ原を前に徳川方と豊臣方に分かれて戦うことを決めた「犬伏の別れ」の現場だそうじゃないですか!あ、犬伏小学校もある。
史跡の名前は有名ですが現場は案外地元の人しか知らなかったりしてひっそりしているもので、そこがまた観光名所と違っていいんですよね。函館にあった土方歳三最後の地とか、豊川にある山本勘助の墓とか、長篠にあった真田信綱兄弟の戦没碑とか、甲府市にある諏訪頼重切腹の寺とか、武田一族滅亡の地、天目山、景徳院とか、なかなか感慨深いものでござったよ。
先週見つけた米山城も真田の砥石城の隣の城でした。真田は何故米山に関わりがあるのか?偶然でしょうが。
おはようございます。
三毳山のカタクリは今週がみごろです。
米山古墳へお越しの説は、是非ともご連絡をして下さいませ
お時間が合えば ご案内しますよ
うめちゃん、ご近所ですね。戦国時代みたいに歩いて行きたいですよ。毛が三つで「かも」、けばという字なんですね。やはり北関東は「毛」にこだわる土地なのでしょうか。
古墳の西側の新町薬師堂が犬伏別れの舞台みたいですね。ここは真田氏ゆかりの土地であるとともに、墳丘長336mがほんとうだとすれば関東最大どころか日本でもトップ5に入る巨大古墳である可能性もあるし、太田の天神山古墳(こちらは26位)と併せて是非行ってみたいところです。今のところ、二つの古墳という説が強く、ランキングには入っていませんが、岡山の造山古墳がトップ4の大きさなので北関東に巨大古墳があっても不思議ではないし、仮に巨大古墳だとすれば、その背景となった勢力の存在が必要です。カタクリの季節に行ってみたいですね。
巨大古墳となると、ヤマト以前に米山大王が君臨する米山帝国があって、米山族の男女が多数、青春を謳歌したり、米山音頭で歌ったり踊ったりしていたわけですね。ことしのカタクリは、今日あたりが盛りみたいですね。
三毳山は万葉集にも出て来る山です。
毛が3個・・多分・・下毛(栃木県の事)上毛(群馬県の事)
そして・・東毛(群馬県・東部)からの字からなって居るのかは
定かではないですが・・間違っていたらごめんなさい。
三毳山の稜線には、様々な岩が点在し、その中に犬石とか呼ばれている
石が在ったような・・??
太田の天神山古墳も街の入り口に鎮座していますね!
少し離れて、埼玉(さきたま)古墳群もあります。
三番目の毛があるんですね。両県境のあたりは両毛といって、西の毛とも東の毛とも違う文化圏なのだと聞いたことがあるよ。高い山などで遮られていないこの北関東で、それぞれの文化圏がどう形成されたのか。やはりかわでしようか。面白いです。
古墳のあるところは、決まって水害などの災厄の無い、住み心地の良いところですね。
おはよ,yoneちゃん
そりゃ、調べる価値ありでしょ
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