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松本の町がやはり山当てでできている話は以前ここで書き、
https://www.yamareco.com/modules/diary/826-detail-119096
その時紹介した本の著者と会う飲む機会が先日あり、「あっこから見えるピーク論議」で5時間も話してしまいました。お仲間がいて超嬉しいです。
南北のストリートの多くが山当てしている、北の山。地形図で見ると無名でとなりの山の肩にあたり、これと言った山ではありませんが、盆地の底からは名峰に見える山があります。あれは名前がないのかなあと問いかけたところ、「あれでしょう」とすぐに即答。彼は麓の人に聞きまくって知っていました。鷲ヶ峰とのことです。地図になくたって名前はあるんです。
深志城の堀を1550年頃に築いた武田信玄の家来、馬場美濃守信房(ばばみののかみのぶふさ)は、常念岳の左肩に槍ヶ岳が見えるエリアに城域を設定したのではなかろうか、とぶつけると、彼は自作の「盆地から槍ヶ岳が見える可視マップ」をさっと取り出し検討し始める始末。常念岳の左に見えるのが松本盆地、右に見えるのが四賀村付近。これを彼は左槍、右槍と名付けていました。そのマップで、常念岳の真上に槍ヶ岳が乗っかる特異点を教えてもらいました。明日、ウチから歩いて行って見ます。
久々に同好の輩と飲む、楽しい宴でした。
*写真は、松本の寺町、上横田町から北に見える、岡田伊深の鷲ヶ峰。どってことない山ですけど整ったピークです。伊深城山の東。刈谷原峠の脇です。画面右下に井戸が写って〼。
yoneyamaさん、こんばんわ。
歴史と地理面白いですね。
古墳マニアの中には天皇陵墓が一直線に
並ぶ法則がある筈などという説を真面目に
検証している人がいますし、
平安京や江戸城なども風水などの
思想に基づいて立地している説などもありますね。
神社系だと背後に神奈備山を持つところも多く、
城下町の町割りがなぜ山当てするように
考慮されているのか、その理由は何なのか気になります。
山当ての動機は借景の風流だと思います。景観に対する美意識、今よりはるかに強かったのではないかな。
一直線と言えば、春分、秋分に富士山から日が昇る山梨県身延七面山の敬慎院、その直線を延長すると出雲大社にピシャリとあたるそうで、驚きです。
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