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1974年ナショナル・クーガーNo.7。クイーン流行ってた頃の。
1968年ソニー・ソリッドステート。ストーンズがベガーズ・バンケット出した頃の。
どちらもボリウムが摩耗していて、交換すればよさそうなのはわかるのですが、裏蓋を開けるまではいいけど、その先ボリウムを掘り出すために基盤を引き剥がすなどの段階が、なれていないとどうしてもできません。壊してしまいそうで。
後輩は一晩で2つとも原因究明し、部品注文し、届いた部品が純正でないので多少の加工をしてシャフトの長さまで延長させて治してくれました。小さいグラインダなんかの工作道具なんかがあるのも真似できない。
直せば直る昭和の機械。しかも感度はビンビンに良い。バリコンの針が動くアナログ。また10年、20年使えそうだ。
ラジオ大好き。
yoneyamaさん こんばんは
そういえば、松本市内に
日本ラジオ博物館がありますよね。
http://www.japanradiomuseum.jp/index.html
行って見られたことはありますか?
そこの館長は、私が小学校の時の同級生です。
そうですよ、そうですよ。毎日前を自転車で通るのに、なかなか入る機会がなかったです。一週間以内に訪問します。
館長会うの楽しみです。
その館長は、小学校時代から捨ててある古いラジオを何台も拾ってきて、
自分専用の半田こてで修理をしてましたよ。
従って、当時の彼の部屋の中は古いラジオで埋め尽くされていました。
筋金入りのラジオ少年です。
是非、行ってみてください。
こんちは!
1枚めの画像のラジオ、うちにあった覚えが!(もしかしたら別モデル?)
小学生も低学年くらいの記憶です
こういうの修理できるのいいですよね
ゴツさといいメカっぽさといいいい感じ
電気工学科とか行けばよかったかなとか思いますが
その時の興味は別のものでした・・・
クーガーは一時期席捲しました。僕は買ってもらえなかったけど。ウチにあるのは貰い物です。電気工学科いかなくても、小学生でもやるやつはやりますね。ミパパさんの旧友みたいに。本当に面白いことは、学校じゃ教わりませんね。
こんちは、再コメで失礼します
>本当に面白いことは、学校じゃ教わりませんね。
これは本当にそう思います。
とはいえやったことはあるんですよ、技術という科目があってラジオも作ったんですが
単にキットのラジオを木の箱に入れただけみたいな
きっかけはあったんですが興味は別な方向だったんです
大人の役割ってきっかけをいかに作ってあげるかとか思ってましたが
そうそううまくいかないようです(^o^)
このラジオはクーガーっていうんですか?
たぶんうちにあったのはじいちゃんが買ったと思います(そういうの好きで家の配電とかも改造してました)
大人の役割は、こどもが集中していることを、何であれ善意であれ、社会の都合であれ、邪魔しないでやることではないかと思います。ゲームに熱中なんかしているのは、何か邪魔された結果なのではないか、などと考えています。
yoneyamaさん、こんばんは。
遅ればせながら、関心ある日記なので。
私も中学のとき、BCLが流行っていました。
ラジカセでやってましたが、お年玉貯めて、クーガーの1150(スピーカーの大きいの)を買いました。チューニングがむづかしく、友達のSONYのスカイセンサー5900がうらやましかった。
BCLのラジオ短波放送の「ハロージーガム」に投稿したくて、ラジオ夜中じゅう聞いてました。
お金ないけど「ラジオの製作」って本買って、真空管ラジオや、電灯作ってた記憶戻ってきました。
高校からぱったりですが。
今でも、山友達はラジオ。
何故あのころの少年は海外からの短波放送に熱中したのか。外国を直接感じる手段がアレだけで、手の中に手作りで海外とのつながりを持つ手応えがあったからでしょう。受信だけだけれど、はがきは書けるし。
衛星放送、英語番組、インタネットとだんだん時代が下り、海外の敷居が下がって来ました。でも自分の力でやり遂げる難易度も下がり、値打ちも感激も失せた気がします。
BCLも短波はほとんど聞かないです。ハロージーガム、日本の放送なんですね。タマに聴いても朝鮮語と中国語が多く。中国語を勉強していた20年前なら結構聞き入ったかも。最近は中国人との付き合いも無くなってきてしまい、学習欲が落ちています。
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