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1990年に出た岐阜新聞の「恵那山と生きる」が、近代ローカル史発掘としてかなり詳しい。古代東山道一の難所として西暦350年くらいから15世紀半ばまでは信濃メインルートだったが、その後木曽中山道に変わり忘れ去られ、明治になって復興した。当時尽力した熊谷翁の話など。
清水栄一の信州百名山では、田部重治の後追い追憶旅があり、大平から清内路越えで園原へと山間集落の記録を辿る。昭和13年刊行の地方冊子は、その田辺時代のもの。水戸天狗党も越えたのかぁ。岐阜百秀山には、湯船沢山の魅力の記述があり。
バスで園原まで行くには、役場前から行くコミュニティバスの時刻と経路をマジで調べないといけない。読めない動きの時刻表だつたので役場の担当に電話で聞いてみたら、運転手に頼めばなんとかなるとのこと。田部の時代と違って今どき駒場から園原まで歩いたら2時間半、車が危なくていけない。
高速バスとの乗り換え待ち時間で、阿智の村役場に展示してある峠の古代祭祀出土品の見学やウラ山の武田信玄火葬塚もみられるかも。
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常念の見える近所の農地、六畳間ほどの畑を借りた。カエルもいた。今日は晴耕晴読。苦土石灰をすき込んでビール飲んだ。
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