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もちろんカレーも言葉にならないほどうまい。外食するならこういう所こそ値打ちがある。マトンカレーの旨味といったらないな。
ご主人の出身を聞いたらウッタルカンド州のデラドゥーンだと。ああ、だからドゥーンインド山なんだな。ウッタルカンドはたしか最近ヒマチャルプラデーシュ州から分かれた。インドヒマラヤがひしめく所。デラドゥーンは確か1939年ドイツ・ナンガパルバット遠征隊員だったハインリッヒ・ハラーが下山したら世界大戦が始まっていて当時インド総督府のイギリス軍に敵国人として逮捕されて収監されたのがこの街だったよ。ハラーは脱走してチベットに逃れ、ダライ・ラマと親交した「チベットの7年」という本で読んだのです。その話もした。
ネパールやパキスタンのヒマラヤはあちこち登ったけど、印度で行ったのはデリーとアグラとバラナシだけだ、と言ったら、インド・ヒマラヤにも来い!と推されました。ナンダ・デヴィ、シブリン、メルー、スダルシャン・パルバット、ケダルナート、サトパント、カメット、トゥリスル・・・。まだ登れるものだろうか。
ご主人のツテで、行ってみようかウッタルカンド。
https://www.shokudoindoyama.com/
松本に来たら、絶対オススメのカレー屋ですよ。
※訂正。ウッタルカンド州は、ヒマチャルプラデーシュ州からではなく、ウッタルプラデーシュ州からの独立でした。2000年。わかる人にはわかる話。
その前を行ったり来たりしてやっと見つけて食事にありつきました。
ところでアイガー北壁も登ったハスラーですが、チベットの7年にダライ・ラマは著書で一切触れてないようなのですが、何故でしょうか。私が見落としているのでしょうか。
ダライ・ラマの著書とは、マイランドマイピープル(チベットわが祖国)でしたか?読んだのはもう30年前なので全然憶えていないです。ダライ・ラマの訪問者はたくさんいましたからね。ウチのまだ生きている親父と同い年の1934年生まれ。5歳〜12歳の時ってことですね。またダライ・ラマの本読み返してみたくなりました。読書のきっかけって、実世界ですね。
ここは裏町と言って、1980年代までは松本のかなり栄えた飲み屋街風俗街だったのですが、凋落し、この20年位で新たに屋台村を作ったのです。印度山以外はあまり流行っていないようですが。うらぶれた雰囲気も味わいのうちです。
もう一冊読んだ気がしますが本棚では行方不明です。
字が小さく薄いので未読のハスラーの「石器時代への旅」はありました。
松本で入ったことのある店はインド山以外ではブンリンとロイヤルオーディオだけです。
松本はいい感じの個人商店がとても多い町と思います。その3軒もですが、街歩きがとてもたのしい。
ペラペラのチャパティ!?
そんなの出してくれるお店があるんですね。
私はかつて、
アターを買って来てうちで作りましたよ。
ナッツフリーとは😳
かなりのホームテイストですね。
私もそのうち食べに行きます☺️
チャパティは、かじる前は厚さ7〜8センチに風船みたいに膨らんでいたよ。写真どれもひとかじりの後ですみません。
チャパティとダルスープ好きならばBABAじいもたいへんオススメです。
https://twitter.com/babajinamaste10
私は若いころ、
デリーで修業したコックさんたちの居るインド料理店でバイトしていました。
そこでグジャラート出身の同年代の女性と仲良くなり、
チャパティを作る道具をもらって、
目の前で作ってもらってやり方を教わりました。
フライパンで焼いたあと直火でちょっとだけあぶって、
ぷっくぷくにふくらませていました。
チャパティを薄く作れるのが良い奥さんなんだと彼女は言っていました。
アターのシンプルで香ばしい風味、
ナンよりも好きです。
BABAじいも教えてくださってありがとうございます、
チェックします!
個性的な店名が多いですね😅
僕もバイトするならインドカレー屋が第一候補ですね!グジャラートかぁ。インドは広いからね。
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