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一年間で最後の収穫の季節、ここでしくじると年の稼ぎがパアになる。天気を見て、一気にたくさんやらなきゃならない。しかし、周囲でも田にいる人はほぼ60代以上。50代以下の農民を最近殆ど見ない。
今週は、諏訪から辰野へ山越え山行をした。駅まで3時間ばかり田園を歩いて下山したが、やはり田には老人しかいない。越えてきた山向こうの山間孤立集落では耕作放棄地が多かった。10年前なら声を掛ける人もいたのに、ここ数年はこういう場所は静まり返っている。登山の後に山麓集落を歩くのは、そこで暮らす人たちと話をしたいためでもあったのだが、廃墟が多くてつまらない。以前あった人たちはもう生きていないかもしれないな。
何年後には何歳になるという未来は確実に予測できるのに、今の日本の政治と行政は有効な対策を何もできていないと私は思う。食べ物を輸入にアウトソースすると、いざとなったら飢えることになるということに危機感を持つ官僚はいなくなってしまったのだろうか。
源平合戦、戦国時代、幕末戊辰戦争、20世紀前半戦争と、あんな時代は過去のことで今はみな利口だから大丈夫とは思わない。科学技術が進もうが社会制度が変わろうが、人は飢えたら殺し屋になる。過去の戦乱期は、人口が増え、全員が満足に食べられなくなったときに起きた。きっかけは自然災害でも、飢えたら戦争になる。人は変わらないと思う。昔のほうが哲学は賢かった。今後は人口こそ増えないが輸入食料が何かの理由で来なくなることは十分起こる。
いま、幸せに暮らしている。一番の理由は、毎日好きなだけご飯を食べて、季節の新鮮な野菜を好きなだけ料理できる暮らしだからだ。毎日料理して、ご飯を食べるのが幸せだ。でもこの幸せを、いつか失うかもしれないな、と心の隅で思っている。
私もいつもスーパーで、
「食品がいつまでもたくさんありますように」って祈りながら買い物してる。
個人主義の時代に共同体が破壊されて、個は豊かになったようだけれど、すごい不安定な土台の上にある豊かさだよね。
人は飢えれば殺し屋になるはまさしく真理だと思います。ちょっと米不足となると、みんなが我が家の分の米を買い漁り、スーパーの棚からなくなる時代。
いつもスーパーに溢れている食品を見てまだ大丈夫、いつまでも続いてくださいと祈るしかない。
今年は家庭菜園始めてみたけど、なかなか手間かけるのが大変なものだね、と知りました。今居る農業プロの米作りスキル、みすみす引き継げないなんて、もったいないと思うけど。やがて時間だけは過ぎていってしまう。
親しくしている農家は4人お子さんがいて一人は女性で嫁ぎ一人はサラリーマンになって松本で家族を持っています。
次男三男が三交代の職場と掛け持ちで農業を手伝っています。
奥の田圃で頑張っているのは、まだ日本語が拙い中国出身の奥さんを持つ男性。
更に言うなら私が若いころ2シーズン働いていた牧場は期待した跡継ぎが引きこもりになり、廃業しました。
後継者がいないことと、最も重要なことは全ての農産物が石油でできていることで食料自給率なんて机上の空論ですね。
後継者は、子どもでなくてもやる気ある人に引き継げる仕組みになればいいのだけど、と思います。多くは無いかもしれないけど。
稲架掛け、お疲れ様でした!
うちも 少し前まで お米を作っていて、稲を肩に担いで稲架掛けやってました。重労働ですね。このあとの脱穀や乾燥 籾摺り、どれも大仕事。今思えば 楽しかったですね。周りの田んぼが宅地になり、水が汚れてきたので稲作を止めました。今は果物を出荷していますが、出費ばかりで なかなか儲けはありません。
買われるかたには、見かけで選ばないようにして欲しいな って思います。見かけを良くする為に 農薬が必要となるので。
廃集落をよく歩いていますが、使われなくなった田畑は直ぐに荒れますね…。
つくる人の立場にようやく最近想像が及ぶようになりました。自分で作ると、トマトもなすもきゅうりもめちゃくちゃな格好でしたがおいしかった。きれいな農産物と、カッコ悪い農産物と、両方売って欲しいですね。
私の借家の周りも、農地が宅地にどんどん変わって、旧市街は空き家だらけになっております。
コメの作り手に流動性がほしいですね。一筋の人も必要だけど、刈り入れ時の季節労働を地域で支えるような。いつでも参入できるような。老人に任せきる現状は辛い。若者を農地に縛り付けるだけなのも重い。広く世界を見てもほしい。
コメントを読んで、つげ義春の「枯野の宿」をつい思い出して再読しました。
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