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▼三郷スカイライン(写真1)
安曇の旧三郷村の小倉から鍋冠山〜大滝山を越えて上高地に入る三郷(みさと)スカイラインという幻計画があり、鍋倉山のコルまでは今も林道があります。30年ほど前はこの季節になるとその道の所の積雪が白く、里からもよく目立って見えました。今は周りの樹林が伸び、ほぼ見えません。これはいつ頃の計画だったか知らなかったのですが、昭和28年に地元の衆議院議員を籠に乗せて視察している写真がありました。江戸時代かい!
このルートにバス道をつけ、徳沢まで乗り入れる予定だったとか。環境負荷、過大予算で復活の可能性は無いですが、熱い開発熱と愚かな歴史の跡は山歩きをしているとしばしば見かけるのです。
このルートは1828年の播隆上人の槍ガ岳初登ルートでもあるのです。
その他、元日らしく、松本に新幹線支線を延伸、とか美ヶ原や高ボッチにロープウェイ計画など、過去のトンデモ計画を含め楽しく読みます。
▼その播隆の初登ルートの里、旧小倉村に住んでいた中田又重は1828年播隆上人を案内して槍ガ岳初登を成したいわば「シェルパ」です。その子孫が今も小倉にいて、播隆像を受け取る記事。この播隆像は松本駅前に立っていますが、この像を建てた当時尽力した「播隆研究家」だった人が私の高校時代の国語の先生で、その遺稿集を作るため今文字起こししているところなのです。昨夏カラコルムで遭難した大西浩さんが、遺稿集編集の中心人物だったという間柄です。
細かい話は長くなるのですが、中田又重の子孫が今もりんご農家をしていることも知り、小倉ルートをもう一回辿ってみたいなあという動機になりました。2020年の冬に小倉ルートから鍋、大滝、蝶経由で常念への縦走をしたのですが、確かに登りやすい尾根ルートでした。
▼3つ目は新春紙上ボードゲーム「目指せ中信の覇者・城跡戦国時代」なる紙面です。「中信」というのは中部信州で松本、筑摩、安曇、木曽地方のことです。ここにあるのは16世紀、武田信玄に攻められ落ちた信濃守護大名小笠原や東信の海野氏、木曽氏などの山城で、盆地の境目にぞろぞろあった山城です。地元の人でも知らんわっていうマイナーな場所なのですが、近年は結構山城愛好家が増加していて、編集部にもたいへんくわしい人がいるようです。私もこのうち半分以上は攻めてましたが、まだまだ回ってみたいものだと気持ちを新たにしました。
三郷スカイラインに反応しました(^o^)。
むか〜し、鍋冠山〜大滝山に登った時のこの林道を上がっていったのですが、
同行の山の会のセンパイにこの観光開発の話しを聞いてびっくりしたのを思い出しました。
その記録をちょっと見て来たら1995年10月7-8日でもはや29年も前。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2302877.html
過去の記録も書いておくものですね。もう道を作った人も、便所の但し書きを書いた人もいないかもしれませんね。
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