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日本とロシアの仲は日露戦争後からシベリア出兵少し後(1905~1920年代)くらい帝政末期から白系ロシア人流入まではかなり良かったようで、当時の大正日本は好景気で文化芸術も盛んで、隣国ロシア文化にも親しみ交流も進んだのだと思う。その大正時代っぽさが懐かしいのかな。
江戸時代初期から東進したロシアのコサック隊(ほぼウクライナ人)が、近隣先住民同士隣のグループが呼ぶ名にロシア的語尾を付けて呼び名にしたようだ。21世紀になつてからそれぞれ自称の名前を採用しているので、これまた対応して覚える必要がある。ツングースはエヴェンキとエヴェン、ヤクートはサハ、ギリヤークはニヴフ。公式ではないがほかはユカギールはオドゥール、コリャークは二ミラン、イテリメンはイテンメン、チュクチはルオラヴェトラン。全て暗記しているが、同じ民族を二回憶える必要がある。
全部他称が元なのは、未知の地に踏み込むとき、手前に住んでいる先住民にこの奥の奴らの名前はなんて呼んでいるんだ?と聞いて進んでいった結果である。他称の語意のほとんどが「トナカイいっぱい持っている奴ら」とか「トナカイ・ラブの人たち」という感じなのもいい。
自称の語意はほとんどが「ココに住んでいる俺たち」とか「ホントの人間」とか「僕らの村のメンツ」とかいいう意味だ。「お前は誰だ?」って聞かれればそうですよねえ。
みな日本人と似た顔つきだけど何が違うのかといえば言葉が違う。大きなグループではモンゴル語族、テュルク語族、ツングース語族、古シベリア諸語にウラル語族。かなり違うんです。それから森林タイガ(狩猟のエヴェンキ)とツンドラステップ(トナカイ遊牧のエヴェン)での暮らしぶりが違う。
ちなみに行政管区的にシベリアとはだいたいウラル山脈からバイカル湖まで、バイカルの東側を極東(ダールヌィヴァストーク)と読んでいます。
もう数ヶ月、シベリア極東の机上旅行を続けていますが、なかなか飽きません。本を読み地図を見て、わからないことや仮説をChatGPTに訊くとスラスラ教えてくれて、クラクラします。
ロシア、シベリアは子供の頃のパルナスのCM(関西ローカルです)に始まり、高校の社会科の副読本の地図で見た、まだ領土の小さかったモスクワ公国にも興味を持ち、その後司馬遼太郎の『ロシアについて』や井上靖の『おろしや国酔夢譚』でピークを迎え、更にトルストイとかに進めば良かったのですが、何故か急速に興味が他へ移り、今日に至ります。
当時はシベリア鉄道の旅にも憧れましたが、結局叶いませんでした。
今回久しぶりにシベリアに思いを馳せてた頃を振り返ることが出来ました。ありがとうございました😊
ニッチな話にコメントありがとうございます。司馬遼太郎の「ロシアについて」で、初めてシビル・ハン国について読んで、大変おもしろかったです。中央とは離れた歴史の傍らの地域で、とても惹かれますね。私はこのあとトルストイに進むかもしれませんね!
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