私の大学山岳部は山行計画を立てたら部員全員でそれを検討し、入下山の連絡をして、遭難があれば助けに行きます。だからお互いに責任があり、経験にあった力量、力量にあった計画でなければ承認できません。この検討会が平日の夜ほとんど毎日をついやす物で、意見が分かれたりすると深夜早朝まで及ぶ討論でした。週末の山以外はほとんど検討会です。これは1980年代当時部員が多く(20名くらい)、パーティーも計画も多かったせいです。
下山時刻までに連絡しなければすぐに捜索態勢を組まれてしまうので結構これが最終日だとプレッシャーになります。
昔は携帯電話が無かったから、下山地点で公衆電話があるかどうかは結構シビアな問題だった気もしますが、それほどおぼえていません。たぶん、大学は今ほど出席にうるさくなく、山行予備日数があったので、最終日に降りる事があまりなかったせいでしょうか。
山岳部員は年間100日近く登っていたとしても、所詮学生だから経験は4〜6年。この検討と報告のシステムが、一人前への最短育成システムかもしれません。
山岳部を卒業して5年目学生になると、検討会抜きで山に行ってよいという免許皆伝になります。このときの開放感は忘れられませんが、逆に人の検討と承認無しに山で事故ったら、それ以上に迷惑をかけるな、ともっと大きなプレッシャーになりました。
30年近く経ってもシステムは同じようです。
ところでなんで丹沢なのかなと思っていたら、今読んでいる木本哲アニキの「クライマー魂」で木本さんも20歳の初心者のころ、単独で沢を日帰りハシゴ遡行している記述を発見。現役くん、はたしてこれを読んだかな。
クライマー木本さんの青春時代からの自伝本です(厚さ2.5センチ)。岳人で連載していたののまとめ本ですが、後半の分は、20年以上前に本人からいただいた私家版の「再起の山」という小さい本からの文章を集めています。木本さんに初めてあった時、足の指が全部無くて驚きました。いつもあうのは山の中かカトマンズとかですがニコニコ接してくれて大好きなアニキです。
私の時は、人数減ったのに検討時間はそのままってのも辛かったですね。
まぁ辛い時代の後だったので仕方ないけど。
丹沢了解。沢道具と車は準備OKです。
まぁ、里近いので出動ってことはなさそうですが、、、
台風で二日つぶれ、明日再会です。
yoneyamaさん こんばんは
「クライマー魂」は、私の所属している山の会の同期の間でも話題になりました。お勧めの一冊だと聞いています。書店で手にとってみたのですが、分厚さとお値段の高さに躊躇していました。「山は真剣勝負」(山田哲哉さん著)も勧められて読んでみました。山岳会の良さと山との向き合い方など考えさせられる本です。
yoneyamaさんの山岳会は良い会ですね。自分では客観的に見ることの出来ない技量や経験を、第三者から客観的にダメ出ししてもらえるのですから。(私はかなりヘコミそうですが)これって大事なことですよね。しかしながら、現在の登山をする人は個人山行まで計画書を提出しなければならない事を嫌がる人が多いです。それで山岳会は敬遠されがちの様です。私は良いことだと思うのですが。
まんももさんこんにちは
僕のは大学山岳部ですから、24時間中15時間くらい山のことしか考えていない青年ばかりです。とても社会人には無理です。もちろん凹み放題で、退部者続出です。虎の穴です。
社会人の山岳会、今時はどうしたものでしょうね。木本さんの時代ともまた違いますが、でも一定レベルの山登りをするなら、やるべき事は同じと思います。道具や技術が進んだって、山では何も変わらないと思い〼。
何だってセンパイに教われない人には何もなし得ないと思い〼。
年とってから何か学ぶ人って、センパイ、お師匠様、と頼めなくて、ついお金払ってユーザーさんやお客さんになっちゃうのかな。にているけど全然違うと思うのです。
こんばんわ。
僕も山を始めたのが近くの丹沢の沢で最初からソロだったので丹沢に育てて貰った感じです。
と言っても始めたのが遅かったので過激な方向にはもう行かないですが^^;
学生の山岳部が丹沢でそのような訓練をしていると嬉しく感じます^^
早速ご紹介の本を買ってみたいと思います
てつさんこんにちは
すみかの近くの山に通うというのが、一番よいと思います。なんといっても登った谷を日常暮らしながら、ときどき訪れた山麓から眺められるということです。
丹沢に通った学生は、帰省していた故郷の山だそうです。大学の夏休み、いまどきは9月なんですね。
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