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生態系頂点捕食者としてのオオカミ
廃仏毀釈による仏教文化と文化財
修験道の山岳信仰文化
武術体術、和文化の身体操作法
ちょんまげと日本髪文化
入れ墨文化
日本刀の操作体術、鍛冶の精錬術
和装の文化
馬の生活文化、荷造り技術
古城の天守、廓の城門、枡形、堀割など城郭都市構造
帆掛け船による航海術
河川を使った水運システム
東洋歴、太陰暦。関連する庚申などの民間信仰
官営ではない公教育のシステム
アイヌ民族文化
沖縄文化
台湾先住民文化
支那、朝鮮渡来の漢籍文化教養に対する敬意と相手からの信頼
1868年から1945年までの77年は長いと思っていたけれど、1945年からの日本はもう70年経っています。太平だった時代に感謝しますが、2015年は、前回ならば1938年だと思うと、ギクリとします。1940年には、欧州大戦で中止になった幻の東京オリンピックもありました。これからの10年は、「曲がり角」だらけの予感です。
今晩わ
馬の生活→武士が乗る分ですよね。明治以降も兵隊さんには使われていたみたいですね。アンと花子でも、戦時中活躍した馬や犬の話しラジオで言ってましたね。
最近、戦死した祖父や叔父に関連する情報を生き字引の叔母さんから聞いてます。
呉鎮守府まで、行くのに馬が山の上の祖父の家に毎朝迎えに来てたらしいです。部下が引いてきてたのか馬タクシーなのかわかりませんが、五歳くらいだった叔母は、パカッパカッとゆう音がうちの前でとまると、お爺さんが出勤する時間だと分かると…
終戦当時、車に使う鉄も零戦とか魚雷にいってたのか?とか
なんせ、祖父が戦死して祖母や子供達が田舎に帰り功績を挙げた人に渡す、装飾品のついたサーベルすら、鉄がないからお国に渡せと祖母のところに来たらしいです。祖母は他のものは差し出しましたが、サーベルは、自宅敷地内にある荒神さんの池に沈めたとか…これも当時五歳の叔母の話し、今、その池が枯れてしまい、本当かどうか掘り起こして靖国神社に奉納しようか従姉妹と話してます。
箇条書きの中には明治で急速に消えたものと、おいおい消えたものとがあります。馬については、エンジン動力が普及したものだから明治政府のせいではないですね。
鎮守府や連隊の幹部将校なら毎朝馬丁の兵がお迎えに来たと思います。
武士や兵隊が乗る馬ではなくて、馬を使った農耕、馬を使った運搬、としての馬の生活を挙げてみました。馬はユンボやトラックとして、人の手に余る馬鹿力で助けてくれ、庶民が自前でメンテできて自前で増やせる大型重機だったことでしょう。
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