静寂さも、ひとしお。
場所は、吾妻連峰の山形県側。米沢市の奥羽線・峠駅から、4キロ入った滑川温泉から、登山道を1時間ほど登った山腹です。
標高1320メートル。
現在では、長いナメ滝が続く沢登りの名所、大滝沢の、その大滝(写真 1枚目)の上流、右岸側といった方が、ぴんとくる登山者が多いかもしれません。
滑川鉱山は、太平洋戦争の開始当時に開発された鉄山で、1970年まで採掘されました。
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/museum/gazou/kanpou/kanpou29.pdf
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/kiyou/kiyouh/kiyouh-16- 3/image/kiyouh-16-3-033to054.pdf
その後、鉱山事務所と飯場、吊橋、架空索道(写真2枚目)、トロッコの線路などは、そのまま放置されて、ゆっくりと朽ちるにまかせています。
鉄錆びた、昔の機械やレールに雑草が生い茂る景観は、往時の活気を想像させてくれます。
天場となる広場は、鉱山事務所跡の前に広がっています。水は、登山道の少し先で、尾根筋から流れ込む枝沢のものを使うことができました。
私は、計8回ほどこの登山道を使い、1972年6月に、1度だけ幕営しました。高校3年のときでした。
テントを張り終えたところに、山形大学のワンゲル部のパーティーが2張のテントを設営し、「指定地」ではないものの、小さなテント村が出現しました。土曜日の昼過ぎに、福島市や米沢市を発つと、ちょうど夕暮れ前にこの天場に到着することができるので、重宝された天場でした。
温泉は、滑川温泉で入ってくるか、薬師森峰の尾根を東に越した直下にある、姥湯温泉まで出かけてくるか、いずれも片道1時間弱はかかります。
当時、姥湯は、建て替え前で、山の出湯そのものの質素な1軒宿でした。1泊数百円で泊まれた時代でした。露天風呂は、登山道わきに直径3メートルほどの小さなものが、あっただけでした。
写真3枚目は、細い板の橋を渡ってたどりついた、当時の姥湯です。
姥湯については、下記に。
http://trace.kinokoyama.net/yamagoya/ubayu.htm
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