去年あたりから、ヤマレコに、手書きの時代の山の録を移動しています。
やっと、1974年まで、通しナンバーで来ました。ここからが大変。大学ノートに7,8冊はあり、そこまで進めば、1990年代のデジタルな記録の時期(ホームページ化済み)に、つながります。(ただ、この時期までのものも含めると、ノートは15冊になります。)
一番たいへんなのは、80年代以前のもの。写真も少ないし、記録は、手書きから、打ち込んでデータが必要。
作業の都合で、記録には年代順に、番号をふってみました。
月に2,3本ずつ、再生したい。 それが完了すると、私はいままでの人生で何日間、山に入っていたのかが、初めて明らかになります。
手書きで大学ノートがあるからできますね。
僕の場合は、高校時代のノートの記録は、山の山行記録という書式ではなく、その他たくさんの日記の中だったので、あまり記録性がなく、後から読んだら恥ずかしかったりして、保存していませんでした。
初期の頃から山行記録という、世に出せる格好で書き留めておくのは重要ですね。アラゲンさんの記録もそうだけど、青年のうちから、たいしたものだと思います。
今は、記録は下山してその晩のうちに書いてしまうことが多いのですが、高校時代、学生時代の山行記述部分は、まだ記憶のある20代のうちにワードプロセッサを買った時(1990年頃)に書いておいたのが多いです。山岳部時代のものは公式記録が部報にありますけど、高校時代など記録の無いのは、日付がはっきりしないのもありました。それでも、あの時期に書き留めておいてよかったです。今も記憶にあるのはその時書いておいたおかげだと思います。
ヤマレコができた初期に、一気に入力しました。生涯山行日数、判明すると爽快でしたよ。
裏山散歩も、満身創痍山行も、様々ですけれど。
yoneyamaさん、正直いうと、私の場合、個々の山行の難易度が高くはなく、あまり公開するものではないと思ってきたし、純粋に山というのだけではなく、山に入り込んで、魚を追ったり、自然のなかにいることそのものが、うれしいものだったりしてきました。そういう面でも、外に出すのは気が引けるものとして扱ってきた。
でも、この頃は、そういう気楽な楽しみ方も含めて、自分の流儀できたものなのだから、まあ、いいか、と思えるようになってきました。
だから、これからアップしてゆく記録も、そのとき、そのときに、自分が得ることができた条件のなかで、それでも山へ行きたい、山中ですごしたいという気持ちでとりくんでみたものなんだろうと、肯定的に振り返ることができそうな気になって、データ化しようと思ったものなのです。
かなりこの作業をやっていくことができて、そのときに記録を振り返ってみたら、また新しい心境になることもあるかも知れません。
>手書きで大学ノートがあるからできますね。
yoneyamaさんの場合は、量と質が違うから、80年代あたりからのものだと、大変ですね。記録は手間がかかりますからね。
高校時代のノートは、私のはよくここまで記録していたなと、いま見ると驚きます。
北大での分は、当時の仲間がいろいろ記録していたし、写真をもらったりと、記録が残せたのは、山の友達のおかげと思うことが多々あります。
寮で、それぞれの山関係の団体のメンバーと、ずっと交流できたり、教えてもらうことができたのも、いま記録が残っていることに、つながっている気がします。
>山岳部時代のものは公式記録が部報にありますけど、高校時代など記録の無いのは、日付がはっきりしないのもありました。それでも、あの時期に書き留めておいてよかったです。今も記憶にあるのはその時書いておいたおかげだと思います。
そうですね。60代にまでなってしまうと、友達の間でも記憶や資料がいいかげんになります。でも、記録があれば、当時の様子が立体的に頭に浮かびます。早いうちに、全体を再現・表現させてください。きっと、また、個性的な読み物になると思います。
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