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この森林作業用軌道が、作業用ではなくて、自宅と行き来する唯一の足と知ったのは、今年春のNHK番組ででした。
標高600mの山腹にご自宅があり、ご夫婦で2人暮らし。
ふもとの町へ買い物に出る足が、この軌道。
発動機で動きます。
23日、「奥多摩むかし道」のハイキングで、ちょうどお爺さんが「車体」そばで作業しているところに、出会いました。(写真2枚目)
「正月に来たときはなんだろう? って思ったんですよ。NHKで見ましたよ。」
「そうかい(ニマニマ)」
「これから上がるんですか?」
「いや、もう一回下から運ぶんだ。」
「失礼ですが、お年は何歳ですか。」
「幾つに見える?(やっぱり聞いてきたなって顔)」
・・・てな感じで、ほんとにお元気でした。
会話の途中に、ハイカーが集まってきて、みなさんびっくり。
お別れしてから、大雪のときはどうされているんだろうなどと考えました。
NHKの番組では、中腹のご自宅の様子も映し出されていました。よく日が当たり、家の周囲の畑も作物がよく育つ。
もちろん、絶景。
多摩川や秋川は谷の地形が深く、きびしく、昭和の前半期に車道が拡充されるまで、奥多摩の人々は日当たりの良い山の中腹に畑を開き、家を建てて、暮らしてきました。(例えば、「桧原村紀聞」瓜生卓造、1977年)
いまもあちこちに残った集落や一軒家が、ふもとの車道からは「天空の民家」のように眺められます。
奥多摩にはこのような家や集落が結構ありますよね。それでも、このお宅のように軌道だけが交通手段というのはすごいと思いました。
「天空の民家」とはいい表現ですね。でもこのご夫婦がどういう経歴の方かちょっと興味をもちました。
「奥多摩むかし道」の区間でも、例えば奥多摩ダムを見下ろす中山集落は、標高700mくらいの位置にありますが、ちゃんと東西から車道が伸びて、つながっています。普通はいまではそうなのです。
が、一軒屋の民家だと、車が入れずに1本の踏み跡が続くだけのところも、残されているんですね。
森林作業用のきゃしゃな軌道と、発動機で動く「車両」は、週に1、2度、下界に用事で行く時の、ご夫婦の命綱のようなものですね。
ふもとの青梅街道筋から眺めると、初めて見る人には、なぜあんな高い所に家が?? と思うことになりますが、高い位置でないと自給自足の畑は作れない。
NHKの番組のときには、お二人はずっとそこで生きてきたという内容だったと思います。
秋川の上流部でも、一番高い位置の集落は、標高900m弱にまであります。
そこには車道が登りあがっていて、稜線の尾根筋の一角で、すばらしい眺め。3年前の雪のときは、40センチほどの積雪でした。
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