ばかりの「田老の浜の天然ワカメ」が届きました。
これまでのことは、下記に。
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-category-11
真水で戻すと、肉厚のしっかりしたワカメに戻ります。
ざっと湯通しして、磯の香りがひきたったところを、
ざっくり切って、醤油と少しのショウガで味わいました。
「こんなワカメ、食べたの初めて!」。
電話は届いてすぐにかけて、お礼をしてたのですが、今度は、
カミさんがお手紙でお礼を書きました。
私の方からは、お返しに、梅ジャムと杏ジャムなどを。
カミさんは、ときどきおじさんに電話をしています。
おじさんからも来る。
家は、周辺のみんなの避難場所になるような高さにあったのです
が、避難したはずの奥様や一番下のお孫さんらが、自宅や周囲の
家もろとも、流されてしまいました。
電話口では、「みんなもっていってしまった海のそばには、
もう暮らしたくない」とおじさんは話していました。
毎朝、おかずを2品つくり、一品は購入したもので、食べて
おられるのだそうです。浜からかなり距離がある仮設住宅なの
で、おからだが心配です。
いまのガレキ撤去の作業が一段落したら、その先の生活のこと
も心配です。
家も、舟も、大事な奥さんもいない。
こんな状況で、どうやってこれからの暮らしを再建していくの
か。被災した方々の希望を、どこに見いだしていったらいいのか。
私たちも話し合いますが、答えは見えてきません。
国が何もしてくれないのならば、被災地の町内会ごとの人たちを、
全国の市町村が1つの町内会ごとに支援する形ででも、つながった、
継続した応援ができないのかなと、思います。
東京の立川市は、田老の○○町内会、
国立市は、南三陸町の○○町内会、などと分担して・・・。
数万の市で、現地の一つの町内会規模の数十世帯の被災者を応援す
るのだったら、かなりの支援が継続的にできると思うのですが。
(それにしても、日赤と全国共同募金会が4ヵ月もたってまだ3割
も義援金を届けないでいたのには、あきれました。)
名産の養殖ワカメは種を採る作業が始まっていますが、植え付けできる
分は限られていて、2年後、3年後にやっと自分たちの分まで回って
くるかどうかだという話でした。
田老の浜が、以前の生産と暮らしを取り戻す、その見通しは
なかなか見えてきません。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する