https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1323700.html
奥山には奥山の、地元を離れた山にはそこにしか無い魅力がある。これは確かなことで、ガソリン焚いて長駆移動して「そこにしか無い山」を体感することは尊い(体感できなかった事例↓)。
https://www.yamareco.com/modules/diary/1946-detail-154639
しかし、奥山なぞに行かずとも「そこにしか無い山」の魅力は味わえることを、今回の地元山行で感得した。身体にそれなりの負荷を掛けてのことだが。
逆に、我々は自動車や新幹線、飛行機といった人力を超える移動手段に寄る環境負荷を掛けた上に、何か大切なものを放棄していると考えられやしまいか。
御嶽を各務原アルプスから遠望して思ったこと。
早朝に発って車で濁河温泉に到着後、日帰りアタックをして翌朝筋肉痛出社する効率も清々しい。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1098605.html
けれど、この100km弱離れた遠隔地から延々と歩いて山裾に到達し、濁河温泉に辿り着いた暁にアタックしてその絶頂に達するのとでは、受ける感慨は数倍違うものと思う。その分、数日分の日当は放棄せねばならないけれど。
そもそもそうであったはずの、奥山への、深い山行。
エベレストのシートゥーサミットも、半分くらいはそんな思惑の一環のはずだ。
もしや我々は、時に我が手で折角の山をつまらないものにしてはいまいか?
この考えを煎じ詰めていくと、やがてサバイバル登山という手法に辿り着くのだろうか。
私が真に欲しているのは山に限らず、自らの意志による深い体験である。高さや効率、数字にない。
それはそれで分かり易い指標だけれど。
百名山は、誰もが憧れる美人女優。ブロマイド(ふる〜)は溢れ、サインを欲しがる輩は多いが、その秘められた側壁や山襞の隙間の奥のお湿りを知る者はわずかだ。
翻って地元の低山は、クラスメイトのりんごほっぺの娘だ。世界の果てから見に来るやつは居ないが、馴染みの時間を共にし、なんでも知っているようで、実は話してみないと知らなかったことばかり。馴染みの町の個人商店、個人経営の食堂、魚屋、パン屋、豆腐屋。そこに宝を見出したときのうれしさよ。
今年の夏は、木曽御嶽山を福島から登拝登山してみたいなあと思いましたよ。車道で素通りしているところにこそ、宝が無垢に残っていると思いますね。富士山がそうだった。富士山の値打ちは、スバルライン終点の高度の下に残っています。
思えば私の志向はりんごほっぺのお隣さんの、チョット変わり目の女の子でした。
福島からと言うと里宮からのことでしょうか。新道が過去に蓋をして、秘め事が出来たといった事例は他所にもあるのでしょう。
私はかつて存在したという、巌立からの登路(兵衛谷の尾根)を探ってみたいと思ったことが有ります。多雪の年の春にでも行きませんか?↓
https://www.yamareco.com/modules/yr_plan/detail-347727.html
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する