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赤い鋭角の三角屋根の下に、ドアを開けて靴を脱いで上がる床敷きの6畳間があり、定員8から10人というのはとても無理な、テントのような小さな山小屋です。
北アでは、稜線上には3つしかない、希少な無人小屋。
源頭の豊富な湧水を小屋前に引き、トイレも自然水洗式。
他パーティーと鉢合わせしなければ、望外の静寂の一夜をすごせる。
以上がこの小屋の良さでしょうか。
もう一つ、意外に注目されていないのは、元祖アラインゲンガー、加藤文太郎が、1931年元旦から2日間、先代(おそらく3代は前)のこの小屋で吹雪をやり過ごし、3日には薬師岳へ登って、またこの小屋に泊まったことです。
富山側から→太郎兵衛平→上ノ岳(かみのだけ、北ノ俣岳の富山側の名称)→薬師岳往復→上ノ岳→黒部五郎岳→蓮華小屋(現・三俣山荘)→鷲羽岳→水晶岳→野口五郎岳→大町という真冬の単独スキー縦走でした。
加藤文太郎の「単独行」に上ノ岳小屋のくわしい記述があります。また新田次郎「孤高の人」には、当時の風雪の気象状況も再現しつつ、上ノ岳小屋で沈殿する加藤文太郎の様子が小説として描かれています。
「単独行」では、上ノ岳小屋は、雪に埋まらず大部分が露出しており、内部は雪だらけ。二階の梁にハイ松の枝がたくさん燃料用に干してあって、それを雪の上に敷いて、ゴザと備えてあった蒲団を使って、吹き込む雪をよけました。
この、元祖・上ノ岳小屋の位置は、現在の北ノ俣岳避難小屋よりも、もっと稜線近くにあった可能性があります。
しかし、下記の1954年当時の資料では、北ノ俣岳の中腹にあったとしており、水利が良い現在の避難小屋の位置にあった可能性もあります。
手元の資料の限りで、北ノ俣岳避難小屋の歴史をたどってみました。
1913年、
8月、田部重治らが槍ヶ岳から五色ヶ原へ縦走。黒部五郎岳から先で迷い、稜線の踏み跡を見出して、幕営。上ノ岳を通過したが、小屋などの記述はない。(「わが山旅五十年」平凡社ライブラリー、1996年)。
1931年、
加藤文太郎が、上ノ岳小屋に泊まる。当時の新聞も伝えた北ア横断厳冬期スキー単独縦走。
1940年、
当時のガイド地図から、上ノ岳小屋は消える。神岡の打保からは寺地山へ藪道。残雪期のみ使える。(「北アルプス 新版」、小島六郎ら、三省堂、1940年刊)
1940年前後、
かつてあった上ノ岳小屋は、戦前に、北ノ俣岳の中腹から太郎兵衛平に移され、「太郎平ノ小屋」に。(「立山・剱・黒部 マウンテン・ガイドブック・シリーズ」、朋文堂、1954年刊)
1962年、
神岡新道が開設。打保集落から寺地山を経て、北ノ俣岳へ。
北ノ俣岳小屋(2代目)も、この前後に建設されたと思われる。
19XX年、
現在の北ノ俣岳避難小屋が建つ。
北ノ俣岳避難小屋をめぐる歴史の糸がつながっていません。
この小屋は、とにかく環境、雰囲気が抜群。
私の思い出の山小屋の1つです。1995年に家族で泊まった記録。
http://trace.kinokoyama.net/nalps/kirobe-issyuu.95.8.htm
飛騨市のサイトはこちら。
http://www.city.hida.gifu.jp/gyousei/kouhou/koho_hida_bsw/2010/201003/3data/20.pdf
小屋の写真がくわしいサイトはこちら。
http://homepage3.nifty.com/yamayanikannpai/kiroku/kitanomatahinannkoya.html
http://yukiccha.web.fc2.com/hut/hut-gallery/4chubu/hidarange/12Kitanomata/Kitanomata.html
とてもいい小屋ですね。
こんな可愛らしい小屋なら泊まってみたいものです。
でも、今は混んでいるのでしょうね。
citrusさん、この小屋は、稜線から1時間近く下降するし、飛越トンネルからの現在のルートは不人気なので、空いていることが多いと思いますよ。
>こんな可愛らしい小屋なら泊まってみたいものです。
私たちも、この小屋の姿に対面して歓声をあげました。小屋脇に引かれた水がとうとうと流れ落ちているのも、うれしかったです。
北アにもこんな場所があるんだと、思いました。
ええ〜っ!
等高線では10mとみましたが・・・
ふわ〜、熊も出そうなところですね。一人では行きたくないかもです。
私たちは、神岡の打保を起点に、黒部源流周回ルートを回って、また打保に下降したため、起点にはいい小屋でした。
現在は、このルートはあまり使われず、飛越トンネルからの短縮(ただしアップダウンあり)ルートで、小屋に入る方(素通りする方)が多いと思います。
稜線から1時間は小学生の子どもの足ですが、大人もかかると思います。
避難でなかったら、普通は、よらないかも。
それと稜線縦走のパーティーは、ここに泊まらず、黒部五郎小屋や三俣山荘へ、あるいは逆に太郎平へ行ってしまう。
食事もあり、ふとんもある小屋が北アはほとんどですから、かなり、不遇さのある小屋です。
東北や北海道ならば、こういう静かすぎる小屋が多いですけどね。
tanigawaさん、こんばんは。
何度も申し訳ありません。
私、この小屋が気になり私なりに調べてみました。
神岡の打保からのコースは調べることは出来ましたが飛騨トンネルからの短縮コースは分かりません。地形図にも書かれていませんでした。
このコース(出来れば短縮コース)でこの小屋を利用して、山中一泊二日で回って来れないかと思案中です。
私がまだ行けてないエリアです。ルートの研究しだいでいい山登りになりそうです。
tanigawaさんの紹介が無かったら、ただ稜線を歩いて終わったと思います。
いい発見がありとても嬉しいです。ありがとうございました。
稜線から1時間とは、黒部五郎岳稜線の事なんですね。
citrusさん、さすがに個性的な山登りを追求されていますね。
飛越(飛騨と越中の県境)トンネルは、関東・東海方面から薬師・黒部五郎の稜線に出る最短ルートとして、一部の登山者が使っています。
地形図にも道は出ています。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=54374355
ヤマレコにも岐阜県の方などの記録があります。
トンネルまでは、バスはありません。
神岡の町か、新穂高温泉からタクシーになります。
打保までは6000円以上、トンネルまでは7000円以上はかかると思います。
打保からの道は、寺地山の手前で、トンネルからの道と合流します。そこまでは、若干、荒れていますが、行けます。
トンネルからの道は、つながって10数年たっています。年々、良くなって、いまは時間的にも効率がよくなっています。
私は打保からが好きで、その後も3度、双六川の上流部探索などで使いました。
午前8時前後の出発ならば、どちらから上がっても、通常の装備ならば、小屋に着くのは14時前後。
北ノ俣岳への登りは90分余りかかります。黒部五郎小屋へは、山頂から早くて4時間、太郎平小屋へは山頂から1時間30分。
交通の便からは、普通は黒部上流域には、有峰(富山)か、新穂高(岐阜)か、葛温泉(大町)からが便利です。下山口としても。
打保や、飛越トンネルは、黒部源流地帯への入山起点として、ちょっと変わり種だと思います。
飛騨トンネルコースが開通して10年ですか。
私の地形図はかなり古いものだったのでしょうね。
かなり前からこのエリアは行きたい思いがありました。でも、ただ稜線を歩いても日数ばかりかかってその割に何かが欠けている様に思っていたのかもしれません。
山登り一つでも、何かしらコンセプトがあると楽しさ倍増ですね。
今年も家庭の事情で、山中泊まりは多くても2泊が限度です。
その許された時間でおおいに山を楽しめるプランを考えたいと思います。
私はモチベーションが上がりっぱなし。また主人に迷惑かけちゃいます
でも主人は「元気でハツラツとしたお母さんが好き」と言ってくれるのでありがたいです。
>でも主人は「元気でハツラツとしたお母さんが
>好き」と言ってくれるのでありがたいです。
ご馳走様です。
でも、ご主人も山へ連れ出してください。
山菜とか、きのことか、絡めて手からでも攻めて。
この小屋にも2人で泊まれば。独占できる可能性が高いところですし。
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