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Yamareco

記録ID: 127769
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍

北鎌尾根(水俣乗越〜北鎌沢経由)から西穂まで

2011年07月31日(日) 〜 2011年08月04日(木)
 - 拍手
GPS
96:03
距離
38.9km
登り
3,795m
下り
3,794m

コースタイム

累計時間 区間時間 時刻  場所
==7月31日==
 00:00 00:00  1346  上高地バスターミナル(入山)
 00:44 00:44  1430  明神(〜1445、雨具装着)
 01:29 00:45  1530  徳澤園(〜1540)
 02:19 00:50  1630  横尾山荘TS(テントサイト)1
==8月1日==
 00:00 00:00  0420  TS1
 00:48 00:48  0508  一ノ俣(〜0517)
 01:19 00:31  0548  槍沢ロッヂ(〜0602)
 01:46 00:27  0629  ババ平
 02:08 00:22  0651  槍沢大曲(〜0700)
 03:35 01:27  0827  水俣乗越(〜0841)
 04:03 00:28  0855  天上沢源頭下標高2300m付近(〜0857、ヘルメット装着)
 04:19 00:16  0913  標高2150m付近天上沢と無名沢出合(〜0920)
 05:20 01:01  1021  間ノ沢出合(〜1035)
 06:06 00:46  1056  北鎌沢出合(〜1105)
 06:21 00:15  1121  北鎌沢左右俣分岐(〜1130)
 06:59 00:38  1208  北鎌沢右俣水源箇所(〜1222、標高2200m付近)
 (途中雨具装着)
 08:59 02:00  1422  北鎌沢右俣コル先端BP(ビバークポイント)
==8月2日==
 00:00 00:00  0610  BP(雨具装着)
 00:57 00:57  0707  P8(〜0735、登攀具装着)
 01:30 00:33  0808  独標基部
 (途中ルート誤り、約40分ロス)
 02:10 00:40  0848  独標西側(〜0855、雨具脱ぐ)
 03:10 01:00  0955  P11〜P12のコル(〜1005)
 03:33 00:23  1028  P12〜P13のコル(〜1035)
 04:00 00:27  1102  P14の先(〜1115、登攀具外す、雨具再装着)
 04:20 00:20  1135  P14.5(〜1140)
 05:29 01:09  1249  大槍基部西側直下3050m付近(〜1300)
 06:18 00:49  1349  大槍ピーク(〜1400)
 06:36 00:18  1418  槍ヶ岳山荘(〜1449、雨具脱ぐ)
 07:28 00:52  1541  大喰岳と中岳のコル(〜1550)
 08:58 01:30  1720  南岳小屋TS2
==8月3日==
 00:00 00:00  0530  TS2
 01:09 01:09  0639  長谷川ピーク
 01:24 00:15  0654  滝谷A沢コル(北穂北稜基部、〜0700)
 02:27 01:03  0803  北穂高小屋(〜0823)
 03:03 00:36  0859  滝谷C沢右俣上部(〜1150、遭難救助待機、雨具装着)
 04:27 01:24  1314  涸沢岳
 04:46 00:19  1333  穂高岳山荘TS3
==8月4日==
 00:00 00:00  0430  TS3
 00:38 00:38  0508  奥穂高岳(〜0520、ヘルメット装着)
 01:33 00:55  0615  ジャンダルム飛騨側基部
 01:38 00:05  0620  ジャンダルムピーク(〜0624)
 01:42 00:04  0628  基部(〜0633)
 02:56 01:14  0747  天狗のコル(〜0755)
 03:19 00:23  0818  天狗岳(〜0821)
 03:44 00:25  0846  間天ノコル
 04:08 00:24  0910  間ノ岳
 04:32 00:24  0934  赤岩岳(〜0955)
 04:58 00:26  1021  西穂高岳(〜1032)
 05:43 00:45  1117  西穂独標(〜1125)
 06:14 00:31  1156  西穂丸山(〜1159、ヘルメット外す)
 06:25 00:11  1210  西穂山荘(〜1224)
 06:59 01:34  1358  田代橋(下山)
 07:20 00:21  1419  河童橋
 07:25 00:05  1424  上高地バスターミナル
天候 07/31 曇のち雨
08/01 曇のち雨
08/02 曇のち雨
08/03 晴のち曇、昼前から雨
08/04 概ね晴
過去天気図(気象庁) 2011年07月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車 バス
新宿駅西口高速バスターミナルから高速バスで松本バスターミナルへ。
松本駅からアルピコで新島々駅、そこからバスで上高地。
「さわやか信州号」よりも乗り換えは多いが、かなり安い。
特に高速バスは、「WEB回数券」を利用すると、往復5830円で、割安感が強い。
https://www.highwaybus.com/rs-web01-prd-rel/gp/info/lineDetail?lineGroupNo=1&lineId=150

アルピコは、6日間の期間限定ながら、松本⇔上高地の往復割引もある(4400円)ので、
http://www.alpico.co.jp/access/ticket/rail_and_bus.html
これらを利用すれば、合計額は「さわやか信州号」よりも安い。
(片道6000円、繁忙期は7000円、往復割引なし)
http://www.sunshinetour.co.jp/alps/tokyo-kamikouchi/bustype.html
コース状況/
危険箇所等
まずは、上高地での日帰り入浴施設について・・・
下山後は・・・やはりひとっ風呂浴びたいところ。
以下のサイトに一覧があります。
http://www.kamikochi.or.jp/modules/weblinks/viewcat.php?cid=25
が、ホテル併設の日帰り温泉施設はほとんど14時〜15時くらいまでしか開いておらず、
夕方下山では対応できません。
14時〜20時くらいまで、小梨園キャンプ場内の日帰り入浴施設がオープンしているので、
夕方下山時はこちらを利用すると良いです。
温泉ではありませんが、登山客の利用が多く、ホテルよりは敷居が低いです。
上高地BTから徒歩10分程度です。

【コース概要】
・ザックの乾燥重量:20kg
・水+雨によるテントの重量増で、最高26kg程度になった。
・登攀具は用意したが、使わなかった。

1.上高地→横尾
 危険箇所皆無。平坦な道が続く。
 上高地BT→明神→徳沢→横尾間のコースタイムは、いずれも1時間前後。
 早足の登山者は、各40、40、50分といったところ。

2.横尾→ババ平→槍沢大曲
 横尾からは少し傾斜が出てくるが、槍沢ロッヂの直前までは緩い。
 槍沢ロッヂの手前で少し上がる。
 槍沢ロッヂからはだんだん傾斜が出てきて、ババ平からは高い樹が減る。

3.槍沢大曲→水俣乗越
 急登で、東鎌尾根からのエスケープルートとして使われることはあるが、
 普段はあまり踏まれていないので、道迷いが発生しやすく、
 慣れていないと案外難しい。丁寧に踏み跡を確認すること。
 特に入山序盤で、コンディションが整っていない場合、
 ここでだいぶアゴを出してしまうことも多々。

4.水俣乗越→北鎌沢出合
 ※ここから槍ヶ岳山頂までがヴァリエーションルート。
 地図にルートの記載がないので、特に単独行の場合は
 基本的な技術(観天望気、ルートファインディング、読図、クライムダウン等)の習熟が必須。
 まず、水俣乗越(2480m)にて、北を向く(槍ヶ岳を左に見る)と左奥の藪に踏み跡があるので、
 ここから天上沢方面へ下りてゆく。
 2150m付近まで、ガレひどし。 下に向かって左寄りの草付をなるべく踏み、
 極力ガレを崩さないようにすることに腐心。
 2150m付近からガレの右側へトラバース。
 小さな樹林帯があり、そこに明瞭な踏み跡がある。
 ただし、枝が道を塞いだりしているので、背の高いザックを背負っていると、
 かなり通りづらい。
 2050m付近で、水俣乗越より西側から下りる2本の沢と出合う。
 今年は雪渓がかなり多く残っており、沢の出合いは雪渓で覆われていた。
 シュルンド(クレバス)が至るところにある。
 雪面は見るからに腐っていそうな雪で、
 ポールでつつくと、ところどころ雪面に穴が開く。
 しっかりと雪を見定めながら、また左側へトラバースする。
 アイゼンの必要性は特に感じなかったが、慎重に。
 このあたりが、天上沢の水源の模様。
 ここからはゴーロ帯となる。浮石が少ないので、足元は安定する。
 ただし、勢いよく下りすぎると、膝を痛めやすいので注意する。
 水音が次第に大きくなり、やがて左からの沢と出合う。
 ここが、間ノ沢出合。雨の翌日だったので、水量はやや多いが、
 渡渉というほどではない。
 出合いでもやはり左側にトラバースし、とにかく沢の左側にルートを取る。
 間ノ沢出合から約20分で、左側からの北鎌沢と出合う。
 間ノ沢に比べると、幅は狭いが、ケルンが設置してあり、
 テントを張った跡や焚火の跡があるので、すぐに判別できる。
 この沢を、遡上する。

5.北鎌沢出合→北鎌沢右俣コル
 遡上して15分程度で、沢が左右に分岐する。
 左俣が本流で、右俣が支流の上、最初は涸れているので、
 分岐を見逃し、左俣を遡上しないように注意が必要。
 左俣を遡上した場合、支流から右俣に強引に移ることも可能だが、
 途中から雪渓が出てくるため、非常に危険。
 間違いに気づいたのであれば、面倒でも分岐まで引き返すべき。
 雪渓のクレバスに落下して遭難した登山者が死亡するという事故が実際にあった。
 北鎌沢出合から右側を遡上していれば、
 涸れた細い沢が稜線に向かって分岐しているのがはっきりと分かるので、
 何度か沢をトラバースすることがあるが、右側を意識していれば、
 多少視界が悪くても間違える可能性は低い。
 右俣は最初、水が涸れているが、200mもしないうちにまた湧き出す。
 そこから、2150m付近までは沢の流れに遡上する。
 2150m付近で沢が涸れると同時に、傾斜が一層きつくなり、草が増える。
 2300m付近で、再び細々と水が沸いてくる。
 その上辺りの右側に1箇所、赤ペンキで×印が書いてある岩があるが、
 ここに入り込むと、上で詰まる。このまま無理に登るのは危険。
 左側へトラバースすると、沢に戻れる。
 ただし、赤ペンキを意識して左へ寄り過ぎると、傾斜がきつくなり、
 P8への登りかかりに突き当たって詰まるので、左にも寄り過ぎないように注意。
 視界がよければ、コルの形を正面に見ながら登るのがコツ。
 2350m付近で完全に沢が涸れる。
 この付近からは傾斜のきついザレ場となり、草を掴みながら登っていくことになる。
 ザレがひどいので、手での取り掛かりなしで登るのは非常に困難。
 標高差100mちょっとだが、ここが最も時間がかかる。
 荷が重い状態で地面がぬかるんでいると、10m登るのに10分以上かかる場合がある。
 2480m、北鎌沢右俣のコルの先端部。テントはごく小型が2張りがやっとか。
 1張りでも非常に狭く、少し傾くほど。
 ここに先客がいる場合は、少し戻ったところの慰霊碑があるところか、
 (ぼくは左に寄り過ぎて、コルの少し上に登り付いたが、
  慰霊碑の手前あたりに登り付くのが正解)
 あるいはすぐ左手に続くハイマツ帯の踏み跡を100mほど上がると、
 もう少し広いテン場がある。虫が大変多い。

6.北鎌沢右俣コル→槍ヶ岳(北鎌尾根)
 P8、P9(天狗の腰掛)、独標基部までのルートは明瞭。
 ただ、ハイマツ帯をくぐるようにして登るので、朝は夜露で濡れることは避けられない。
 雨具、ザックカバーは必須。
 P8、P9はかなり広々としており、テントが張りやすい。
 独標基部から、千丈沢(西側)へトラバースする踏み跡が何本かあるが、
 千丈沢を意識しすぎると、詰まる上にザレているため、易々と戻れず、
 正しいルートまで独標方面に向かって逆層気味の岩壁を10mほど直登することになる。
 この場合、セルフビレイを取るのにも難儀するが、
 フリーでルートに戻るのはかなり際どい。
 ロックハーケンかナッツがあれば、それで2〜3本ランニングビレイ用に打って登るのが無難か。
 とにかく、詰まりそうになったら、早めに稜線に向かって上るのが吉。
 独標は、正しいトラバースルート途中で順層のスラブ帯があるので、
 そこを直登するとピークに出られる。構わずルートを進むと、P11に出る。
 P11〜12〜13は、コルを視界に入れながら、千丈沢側をトラバースする。
 各コルには、ところどころ、テントが張れそうな、広いスペースがある。
 独標ほどではないが、視界が悪いときはルートを外しやすい。
 外すと、独標ほどではないが、戻るのが大変。
 P12で外すと、ハイマツの急斜面を手がかりにして登ることになる。
 P13のトラバースは、天上沢(東側)にもルートが延びているが、
 これを通ると、P13の先でコルに下りるとき、
 懸垂下降を余儀なくされる場合があるという。
 P14も千丈沢側から巻き、P14.5で一旦ピークに出る。
 目の前に、P15が見える。P15は、これまでより急激に標高が高くなるので、分かりやすい。
 そのまま直登するルートもあるが、P14.5から大きく千丈沢側へ巻くトラバースルートが見える。
 このルートは、P15だけでなく、北鎌平もパスする。
 左手に稜線を見失わないようにしながら、
 北鎌平を過ぎると、左手にゴーロ帯が現れるので、ここからゴーロを直登する。
 巨大なゴーロで、所々浮いている。雨の日は滑りやすいため、注意が必要。
 しばらく直登し、ゴーロが小さくなったあたりが、大槍の基部。
 基部からはルートが明瞭なので、それにしたがって急登する。
 大槍頂上直下に、2箇所有名なチムニー(細長い岩溝)があるが、
 下のチムニーは右側から容易に巻ける。
 上のチムニーも左側から巻けるらしいが、ここから登るのが一般的。
 最初のホールドが1.5mほど上の右側にあるので、荷物が重いとかなり難しい。
 溝の端と端に手足、膝を突っ張って身体を支えながら、ホールドに取り掛かる。
 逆層なので、かなり神経を使う。
 そこを越えると、もうまもなく大槍山頂。
 ひとの話し声が聞こえれば、すぐそこだ。焦らず、着実に登っていく。
 頂上の祠の左後ろ側から登頂する。

7.槍ヶ岳〜槍ヶ岳山荘〜南岳小屋
 荷を担いだままの大槍から肩への降下は、かなりきつい。
 大槍を踏んだことで気が抜けている可能性があるが、
 危険箇所であることに変わりはないので、着実に三点支持を守り、肩の小屋まで降りる。
 そこからは、中岳の手前に鎖場がある以外は、基本的になだらかな稜線歩き。
 大喰岳の山頂は巻くことができる。
 中岳から南岳へ向かうルートは、全体的に緩やかだが、
 小ピークがいくつかあり、長い。
 南岳から小屋まではすぐ。頂上から見える。 

8.南岳小屋→大キレット→長谷川ピーク→滝谷A沢コル→北穂小屋
 小屋の南側が緩い丘になっており、
 そこを登りきってすぐ、右側から大キレットへの長い下り。
 鎖場、梯子が至るところにある。
 このルートは、初心者のみでは不可。必ず経験者をリーダに立てること。 
 岩は脆く、ガレて浮石も多いので、
 落石を起こさないよう慎重にコース選びをする。
 大キレット最低コル(鞍部)から長谷川ピークを過ぎるあたりが最も危険。
 稜線が鋭いリッジ状になっており、三点支持を取れないと滑落の危険性大。
 滝谷A沢コル(岩に白ペンキで「A沢のコル」と書いてある)から登り。
 傾斜が急な上、浮石が多い。また、時間帯的に多くの登山者が通行するので、
 落石多発地帯となっている。要注意。
 小屋は割合すぐに見えるが、そこからが長い。
 岩肌に「←北ホあと200m」の白ペンキが見えるが、その岩陰を過ぎると、
 遥か頭上に北穂小屋が見えて、だいぶテンションが下がる。
 ここで気を抜かず、最後まで歩こう。
 北穂の上に北穂の頂上標識があるが、ここは北稜で、南稜が北穂の頂上。
 南稜の頂上へは、松濤岩付近から登る。
 逆に南稜を10分ほど下ると、テントサイトがある。

9.北穂小屋→松濤岩→涸沢槍→涸沢岳→穂高岳山荘
 松濤岩付近から涸沢ヒュッテに下る北穂南稜ルートへの分岐があり、
 そこからも多くの登山者が登ってくる。この間のルートが狭い上、
 付近は8月中旬まで雪渓があるので、往来注意。
 涸沢槍までは落石多発地帯で滑りやすく、毎年のように事故が起きるため、注意。
 梯子や鎖場は多いが、特に体力的には難度は大キレットよりは下がる分、
 気が抜けやすい。
 涸沢岳のピークは巻けるが、ピークに登らないともったいない。
 ピークから穂高岳山荘がある白出(しらだし)のコルまでは15〜20分程度。

10.穂高岳山荘→奥穂高岳
 特に朝は非常に渋滞するので、穂高岳山荘から出るのは、夜明け前がベスト。
 通常は山荘から30〜50分程度で奥穂に登頂できるが、
 登山者が多いと、梯子待ちが非常に長くなり、倍以上はザラ。
 切り立った斜面にいくつかの梯子がある。朝一番だと視界が悪いのと、
 身体が暖まっていないことで、落石を起こすリスクが高まるので、慎重に。
 右手にジャンダルムが視界に入るころには傾斜が緩くなる。

11.奥穂高岳→西穂高岳
 一般登山道としては、質も量も屈指の難ルートにつき、初心者のみは厳禁。
 パーティの場合、全メンバーにある程度の経験と技術が備わっていなければ、
 通るべきではない。
 奥穂高岳山頂からの最初の難関が、有名な馬ノ背だが、
 難度はその名ほど高くないように思う。
 岩肌は逆層気味ではあるが、よく見ればホールドはあるし、
 見た目の険しさに怯えさえしなければ、
 あと、下りでのホールドスタンスの取り方さえきちんとしておけば、
 さほど問題にはならない。
 ただ、岩の隙間に脚を挟むと、骨折する可能性があり、十分な注意が必要。
 ジャンダルムは、飛騨側の正面向かって左から登れる。フリーソロの技術に、
 一定レヴェル以上の覚えがあれば、荷を背負っていても十分に登れるし、
 膂力に自身があれば、信州側からも十分登れる(残置シュリンゲとハーケンがある)。
 ジャンダルムからの下りは長い。
 途中、長いルンゼの間に鎖が垂れているところがあるが、
 朝方は湿っていることが多く、馬ノ背よりもタチが悪い。
 鎖に頼りすぎると、バランスを崩しやすく危険だが、全く使わないのはさらに危険。
 バリエーションルートなら、セルフビレイは必須レヴェルの場所。
 手、足、ヒザと鎖の4点で支持しながらであれば、安定した下降ができるだろう。
 天狗のコルからの最初の登りかかりに鎖があるが、
 ややカブり気味で、重荷だと取り掛かりにかなり苦労する。
 (鎖なしで雨が降っていれば、北鎌大槍直下の上チムニーと同等の難度か)
 天狗岳から間天ノコルへ向かう下りも逆層スラブの長い鎖場があるが、
 晴れてさえいれば、早朝以外はジャンダルムからの下りルンゼに比べれば、
 湿っていない分難度は下がる。(雨のときは辛いというよりも危険)
 鎖をうまく活用し、懸垂下降気味に一気に下ることも可能だが、
 落石を起こさないよう、最大限の注意を払うこと。
 間天ノコルから赤岩岳へのコルへの下りは、
 とにかくガレ、浮石が非常に多く、足元はかなり不安定。
 登り下り共にスタンスが取りにくいので、一歩一歩慎重に、
 安易に岩角に体重をかけないこと。
 赤岩岳への登りは、鎖はあるものの、以前に比べればだいぶ楽になる。
 ここで気を抜くと、思わぬところでミスを犯すこともあるので、
 緊張の糸が切れないようにしておく。
 西穂高岳を越えれば、ひとまずは安心感が増すが、
 すれ違いが極端に増える上、やってくる登山者のレヴェルがまちまちなので、
 あくまで慎重に。
 総括すると、奥穂〜西穂ルートで肝要なのは、
 登りの技術ではなく、下りの技術である。

12.西穂高岳→西穂独標→西穂山荘
 西穂〜西穂独標はいくつもの小ピークを昇り降りする上、
 急な傾斜は少ないが全体的に滑りやすいため、初心者だけでは危険。
 また、奥穂から縦走する場合、西穂から先は急に登山者が増えるので、
 往来と落石に注意。

13.西穂山荘〜きぬがさ池〜上高地
 非常に長い下り。よく整備されているが、樹林帯なので、泥濘が多く、
 足を滑らせやすい。最後なので、早足になりがちだが、
 怪我をしないように細心の注意を払って下山しよう。

ヴァリエーションルートとは言っても、北鎌レヴェルでは、
無雪期のヴァリエーションルートでは初級クラスだから、
普通のピークハントに毛が生えた程度なのかもしれない。
その証に、前述のとおり、登攀具は用意したけれど、特に使用する場面はなかった。

が、とにかく最終日以外は悪天候に泣かされ、
北鎌縦走は独標基部から先がずっと視界不良だった上、
途中からは雨まで降り出し、コンディションは最悪に近かった。
おまけに、2度ほどルートを外し、戻るためにかなり微妙な登攀を強いられた。
これで風が吹いていれば、確実に沈殿だったが、
風がなかったことはまだ幸運だったかもしれない。

奥穂〜西穂縦走は天気がよく、北鎌で苦労した分、かなり気持ちが楽だった。


北鎌参照
http://kaikom.blog61.fc2.com/blog-entry-21.html
http://kaikom.blog61.fc2.com/blog-entry-22.html
http://homepage3.nifty.com/yappariyama/000814kitakama.htm
「岳人」2008年6月号 P30〜P33

奥穂〜西穂参照
http://outdoorsite.biz/mountain/jan/jan.html
http://yamanotecho.web.fc2.com/01choivari/doc/0908okuho_nishiho.htm
「岳人」2008年6月号 P35
「岳人」2011年7月号 P18〜P25
ファイル
登山計画書
(更新時刻:2011/08/16 16:42)
概念図(水俣乗越〜天上沢〜間ノ沢出合〜北鎌沢出合〜北鎌沢右俣のコル)
概念図(水俣乗越〜天上沢〜間ノ沢出合〜北鎌沢出合〜北鎌沢右俣のコル)
概念図(北鎌沢右俣のコル〜大槍)
概念図(北鎌沢右俣のコル〜大槍)
標高グラフ(水俣乗越〜大槍)
標高グラフ(水俣乗越〜大槍)
概念図(穂高岳山荘〜奥穂〜西穂〜西穂山荘)
概念図(穂高岳山荘〜奥穂〜西穂〜西穂山荘)
標高グラフ(穂高岳山荘〜奥穂〜西穂〜西穂山荘)
標高グラフ(穂高岳山荘〜奥穂〜西穂〜西穂山荘)
横尾から穂高連峰を望む
横尾から穂高連峰を望む
水俣乗越にて、天上沢への下りルート入口。結構明瞭です。
水俣乗越にて、天上沢への下りルート入口。結構明瞭です。
水俣乗越から天上沢への下りルート。ひどいガレで大変苦労しました。
水俣乗越から天上沢への下りルート。ひどいガレで大変苦労しました。
下り途中で一時雲が晴れ、天上沢を一望できました。
下り途中で一時雲が晴れ、天上沢を一望できました。
天上沢とその西の無名沢との出合。腐り気味、かつシュルンドがいくつかある雪渓で、渡るのにかなり神経を使いました。
天上沢とその西の無名沢との出合。腐り気味、かつシュルンドがいくつかある雪渓で、渡るのにかなり神経を使いました。
ほんのわずかに見えた独標。
ほんのわずかに見えた独標。
北鎌沢右俣の上部。2350m付近。
北鎌沢右俣の上部。2350m付近。
北鎌沢右俣コルで迎えた朝。一時的に雲が晴れ、大天井が見える。
北鎌沢右俣コルで迎えた朝。一時的に雲が晴れ、大天井が見える。
前日ヒーコラ言いながら登ってきた北鎌沢右俣。
前日ヒーコラ言いながら登ってきた北鎌沢右俣。
P8からP7〜5の稜線。
P8からP7〜5の稜線。
一瞬雲が晴れて独標が見えましたが・・・
一瞬雲が晴れて独標が見えましたが・・・
ここからはどんどん視界が悪くなっていきました。
ここからはどんどん視界が悪くなっていきました。
北鎌平の手前あたり?
北鎌平の手前あたり?
北鎌平の先のトラバースルートから稜線を見る。
北鎌平の先のトラバースルートから稜線を見る。
ようやく登頂。
大槍を越えて槍ヶ岳山荘から。時折ガスが晴れて大槍が見えました。
大槍を越えて槍ヶ岳山荘から。時折ガスが晴れて大槍が見えました。
南岳小屋にて物資搬送ヘリ。
南岳小屋にて物資搬送ヘリ。
翌日、南岳小屋すぐ南の小ピークから大キレット、北穂、涸沢岳。
翌日、南岳小屋すぐ南の小ピークから大キレット、北穂、涸沢岳。
大キレットから南岳。
大キレットから南岳。
大キレットから横尾谷。
大キレットから横尾谷。
大キレットから長谷川ピークとガスがかかった北穂。
大キレットから長谷川ピークとガスがかかった北穂。
北穂への登り。
この白ペンキからが実に長いんです・・・
この白ペンキからが実に長いんです・・・
涸沢槍。
滝谷C沢左俣の上部辺りの遭難現場にて、救助ヘリ。
滝谷C沢左俣の上部辺りの遭難現場にて、救助ヘリ。
涸沢岳。
雨中、遭難救助で3時間待った末の穂高岳山荘でのカレー。幸せなひと時でした。
雨中、遭難救助で3時間待った末の穂高岳山荘でのカレー。幸せなひと時でした。
翌朝、奥穂への登り途中で槍の穂先。
翌朝、奥穂への登り途中で槍の穂先。
奥穂への急登が終わり、ピークまでの緩い登りに差し掛かったところ。
奥穂への急登が終わり、ピークまでの緩い登りに差し掛かったところ。
前に同じ、そこを振り返った見たジャン。
前に同じ、そこを振り返った見たジャン。
奥穂ピークと朝陽。
奥穂ピークと朝陽。
朝陽に映えるジャン。
1
朝陽に映えるジャン。
馬ノ背を越えた先からジャン。
馬ノ背を越えた先からジャン。
天狗のコルへ向かう手前から振り返ってジャン。
天狗のコルへ向かう手前から振り返ってジャン。
稜線の岳沢側がすっぽりと雲に覆われました。
稜線の岳沢側がすっぽりと雲に覆われました。
前穂と重太郎新道。
前穂と重太郎新道。
天狗のコルの道標。
天狗のコルの道標。
天狗のコルから岳沢方面への点線ルート。ガレていて非常に嫌な感じです。左下に見えるのが、岩小屋跡。
天狗のコルから岳沢方面への点線ルート。ガレていて非常に嫌な感じです。左下に見えるのが、岩小屋跡。
天狗のコルから天狗岳を見上げる。
天狗のコルから天狗岳を見上げる。
薄いガスに覆われた天狗岳。
薄いガスに覆われた天狗岳。
天狗岳から間天ノコルへ下る長い逆層の鎖場。フリーソロではちょいと厳しいな・・・
天狗岳から間天ノコルへ下る長い逆層の鎖場。フリーソロではちょいと厳しいな・・・
間天ノコルから間ノ岳。見た目どおり、大変にガレていて、通りづらい。
間天ノコルから間ノ岳。見た目どおり、大変にガレていて、通りづらい。
天狗岳と槍穂稜線。
天狗岳と槍穂稜線。
赤岩岳と西穂の鞍部から西穂。
赤岩岳と西穂の鞍部から西穂。
西穂丸山から独標。
西穂丸山から独標。
西穂山荘にて、名物のソフトクリームとビールでひと息。ラストスパートです。
西穂山荘にて、名物のソフトクリームとビールでひと息。ラストスパートです。
気持ちのいい樹林帯を通り・・・
気持ちのいい樹林帯を通り・・・
田代橋で下山。無事に帰れました!
3
田代橋で下山。無事に帰れました!
田代橋から梓川沿いを河童橋方面へ。いつもは素通りする景色も、このときばかりは安堵感とともに清々しさが感じられました。
田代橋から梓川沿いを河童橋方面へ。いつもは素通りする景色も、このときばかりは安堵感とともに清々しさが感じられました。

感想

この山行計画のそもそもの発端は、1冊の本だった。
「新編・風雪のビバーク」(著:松濤明、発行:ヤマケイ文庫)である。
(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4635047261/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4635047024&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=1RJK9ABEQ3H2MFF8222T)

かねてより、戦争直後に厳冬期槍ヶ岳北鎌尾根で非業の死を遂げた
松濤氏のことは知っており、著書を入手したかったのだが、長らく廃版になっていたところ、
昨年11月に再版されたことで巡り会うことができ、氏の山にかけた人生を知った。

あまりにも有名な槍ヶ岳北鎌尾根への死の登攀は、
槍を越えれば、大キレットを経て奥穂高岳、西穂高岳、
そして焼岳へと縦走する計画だったという。

以前から北鎌尾根への登攀を目論んでいたぼくは、
氏の最期の山行計画を知り、これを単独で概ね辿ろうと決めた。

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ぼくはただの会社員なので、休暇には制限がある。
しかるに、前述の全行程を消化するには、時間的に無理があったことと、
かつて上高地、槍沢から槍ヶ岳へ上がり、奥穂、西穂を経て焼岳まで縦走したことがあるので、
焼岳のみ本意ではないが端折り、西穂から上高地へ下山する4泊5日の計画を立てた。

氏の計画は厳冬期であり、ぼくの計画は夏期であるから、
その山行の難易度は比べるまでもなかったけれども、
ぼくが今持てる技術、体力を考えれば、単独で冬期などもっての他だった。

ぼくは、自分の力が確実に通用すると思わなければ、山行計画を実施に移さない。
それは、先述の技術、体力しかり、
そして何よりも精神面で山行計画を完遂するに相応しい状態でなければ、
自殺行為に等しくなってしまうと考えている。

その3点が合致したのが、この時期だった。

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曇り空の7月31日午後、こうしてぼくは上高地バスターミナルを幾度目とも知れず降り立ち、
いつもとは少し違う心持ちで、明神池のほうへと歩き出した。

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2011年7月31日(日)
自宅(0635)→上高地BT(1315〜1346)→明神(1430〜1445、雨具着用)→
徳沢園(1530〜1540)→横尾山荘T.S(1630)

自宅(埼玉県南部):雨
上高地BT:曇(雲量10)
明神:雨
徳沢:雨
横尾:雨のち曇(雲量9)、夜半雨

荷:21kg(うち水1リットル)

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北アルプスを幾度ともなく歩いた身としては、
上高地バスターミナル(BT)から続く明神、徳沢、横尾という3つの中継点は、
下界の人知が及ぶ範囲の場所であるから、ぼくにとってはこれまで常に「通過点」であり、
そのうちのひとつである横尾で幕営するのが初めてであるという点で、
これまでの北アルプスとは些か趣を異とする。

しかしながら、この3箇所は、多くのひとびとに人気の場所であり、
それを裏付けるように、横尾は素晴らしいテントサイトだった。

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上高地BTを歩き出したときには曇だった空は、
明神に着いた途端に本降りの雨と変わったので、
新調したばかりのミズノの黄色いレインコートは、
早速活躍の場を得て面目を躍如したわけだけれども、
多くの登山者と同じように、ぼくにとって雨の山行は憂鬱でしかないので、
できれば出番などなく、ザックの中で大人しくしておいていただきたいと思っていた目論見は、
敢え無く外れてしまった。
もっとも、上高地BTでの空模様からして、雨は不可避だったのだけれど。

そんな忌々しい雨は、夕方には一旦止み、若干ではあるが晴れ間も見せた。
これから槍やら、涸沢やらに向かおうという、
あるいは上高地へ戻ろうという登山者で溢れている横尾だが、
その人数の割には穏やかな佇まいで、ぼくも落ち着いた気持ちで夕食を作っていた。
梓川のせせらぎがすぐ近くに聞こえ、
ひとびとの声は、あたかもせせらぎに従属しているかのように穏やかだ。

それにしても、槍沢から槍ヶ岳へ向かおうという登山者はごまんといようが、
その途中から北へ向かい、水俣乗越を越えて天上沢を下り、
北鎌尾根へ臨む者がどれだけおろうかと考えると、
多少の孤独感と、それに比べるとやや強い高揚感が相入り混じった、
何とも言えぬ気持ちになる。

横尾に着いたのが16時30分なので、もう少し足を伸ばせば、
槍沢ロッヂ先のテントサイトである、ババ平まで行けたように思えたが、
「いつもは通過点」である横尾をテントサイトにするということに対して、
今回の山行の「嵐の前の静けさ」の位置づけ、ということにした。

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夕飯:1745〜1815
ユッケジャンクッパ(1合分)、棒ラーメン(1本)
就寝:1915

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2011年8月1日(月)
起床:0300 霧雨
朝食:かに雑炊

横尾T.S(0420、水1リットル)→一ノ俣(0508〜0517、ザックカバー着用)→
槍沢ロッヂ(0548〜0602、水1リットル補給、右踵にマメ防止のテーピング)→
ババ平(0629)→槍沢大曲(0651〜0700)→水俣乗越(0827〜0841)→
標高2300m付近(0855〜0857、ヘルメット、グローブ着用)→
標高2150m付近無名沢出合(0913〜0920)→間ノ沢出合(1021〜1035)→
北鎌沢出合(1056〜1105)→北鎌沢左右俣分岐(1121〜1130)→
北鎌沢右俣水涸れる箇所(1208〜1222、水5リットル補給)→(途中、雨具着用)→
北鎌沢右俣コルB.P(1422)

横尾:霧雨
一ノ俣:曇(雲量10)
無名沢出合:曇のち晴(雲量8)
北鎌沢右俣水涸れる箇所:曇(雲量10、視界約200m)
北鎌沢右俣コル:雨(視界約100m)

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横尾では夜半、かなり強い雨が降り、テントを叩く雨粒の音が、
幾度となくぼくの眠りを妨げた。
よって、快適な眠りからは程遠く、明らかに寝不足だった。
ただでさえ山行序盤は調子が上がらない身としては、この先が思いやられる。

朝起きたところ、天気は弱い霧雨で、視界は悪くない。
食欲はあまりなかったが、炊いた飯に雑炊の素とお湯をかけ、無理やり詰め込んだ。

荷が前日よりなぜか重い。
それもそのはずで、15年選手のテントが、前夜の雨をたっぷりと吸い込み、
ザックの中でその存在感を遺憾なく発揮しているからだ。
肩に食い込んだザックの重みが、足取りだけではなく、気分をも重くする。

大曲までは標高差が少なかったので、比較的順調に行程を刻んだものの、
案の定、水俣乗越への登りで完全にアゴを出してしまった。
2〜3分も続けて歩けず、肩で呼吸を整える始末で、
ガイドマップのコースタイムを30分近くも下回る遅足。
いつもの馬脚が露われただけだと自分に言い聞かせながらも、
このペースの遅さには辟易する。

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水俣乗越は、「みずまたのりこえ」ではなく、「みなまたのっこし」と読む。
乗越の地点にある標識にも、「Minamata-nokkoshi」と書いてある。
乗越とは、峠と同じ意味を持つ、山岳にて用いられることばで、
登りと登りがぶつかり合う箇所だけではなく、
下りと下りがぶつかり合う箇所(「鞍部」または「コル」と呼ばれる)、
また、その両方がぶつかり合う箇所でも用いられる。

その水俣乗越からが、今回の山行の核心となる。
ほとんどの登山者は、「東鎌尾根」と呼ばれるこの山域を東から西へ、
すなわち大天井岳(おてんしょうだけ)、西岳から水俣乗越を経て槍ヶ岳へ向かうのだが、
ぼくは東鎌尾根の北斜面へと下る。
ここからが、ヴァリエーション・ルートと呼ばれ、一般的な地図には記載されない箇所だ。

水俣乗越では、幾人かの登山者と会話した。
この先、槍の頂を踏むまでの間、ほぼ誰とも会うことがないと考えると、
多少の後ろ髪を引かれる思いと、心引き締まる思いが相半ばする。

それらの思いを飲み込み、やがて北斜面をゆっくりと下り始めた。

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乗越からの下り斜面は、極端にザレており、足を一歩前に踏み出すそばから、
斜面の土や石がずるずると崩れ落ちる有様で、
荷物が重いので、身体のバランスを取るのが難しく、
気を抜くとそのまま転げ落ちてしまいそうだった。
幸いにも、先行者が誰も見当たらなかったので、次から次へと崩れる土石が、
事故に繋がるようなことはなかった。

ザレた斜面は標高差300m程度で終わり、それからは平坦な河原を延々と下ると、
いくつかの沢と出合う。
その3本目が北鎌沢で、ぼくが北鎌尾根へ取り付くために遡上する沢である。

北鎌沢は、150mほど遡上すると、左俣と右俣に分かれる。
左俣のほうが本流で太いため、誤ってそのまま左俣を遡上するケースがあるが、
沢の右側を歩いていれば、涸れた細い沢が上へと続いているのが見えるので、
これをひたすら遡上していく。

最初のうちは涸れている沢だが、ものの数分も登ると、すぐに水が湧き出る。
水が湧いている限り、補給はできるので、できるだけ上流で給水しないと、
大きな荷物となってしまう。

3年ほど前の文献では、北鎌沢右俣のコルから3〜40m程度下まで水はある、とあったが、
沢全体の3分の2程度まで上がると、水が再び涸れてしまったので、
ぼくはここが水源だと思い、合計5リットルの水を汲んだ。
普通ならそこまで汲む必要はなかったが、すでに天気は下り坂の兆候を示し、
翌日を停滞する可能性を考慮すれば、多めに給水したほうがよいと判断したからだ。

しかしながら、これが完全に裏目に出た。
まず、いきなり荷物が5kgも重くなってしまったことで、急激に足取りが鈍ったこと。
さらに、そこから30分ほど上がったところで、再び水が湧き出ていたのだった。
これには、かなりの精神的ショックを受けた。

追い討ちをかけるように程なくして雨が降り出した。
沢が途切れた先の斜面は猛烈に地盤が緩くなっており、滑ってまともに登れず、
場所によっては、10m登るのに10分もかかるような始末だった。

雨と泥にまみれながら、ようやく北鎌沢右俣のコルに到着。
結局、北鎌沢右俣の残り3分の1を遡上するのに、2時間もかかってしまった。
計画では、その先の天狗の腰掛まで登って幕営する予定だったが、
コルからさらに300mの標高差を登ろうという気力が湧かず、
行動はここで打ち止めた。

テント内に入ると、雨はますます強くなり、
翌日の北鎌尾根縦走への不安が掻き立てられる。

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間食(あまりに腹が減っていたため):1445〜1510
棒ラーメン1本
仮眠:1530〜1920
夕食:1920〜1950
ユッケジャンクッパ1合分
就寝:2005

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2011年8月2日(火)
起床:0300 雨、様子見のため二度寝
再起床:0500 曇、若干晴れ間(雲量8)
朝食:棒ラーメン(2本)

北鎌沢右俣コルB.P(0610、水3リットル、雨具、ザックカバー、グローブ着用)→
P8(0707〜0735、雨具脱ぐ、ヘルメット、登攀具着用)→独標基部(0808)→
ルート誤る→独標西側(0848〜0855)→P11〜P12のコル(0955〜1005)→
P12〜P13コル(1028〜1035)→P14の先(1102〜1115、雨具着用、登攀具外す)→
P14.5(1135〜1140)→ 大槍基部西側直下3050m付近(1249〜1300)→大槍(1349〜1400)→
槍ヶ岳山荘(1418〜1449、ヘルメット外す)→大喰岳と中岳のコル(1541〜1550)→
南岳小屋T.S(1720)

北鎌沢右俣コル出発時:曇(若干晴れ間、雲量8)
独標基部:曇(雲量10、視界約200m)
P12〜P13コル:霧雨(視界100m以下)
P14:霧雨(視界約50m)
大槍:霧雨(視界約50m)
槍ヶ岳山荘:曇(雲量10、視界約300m)
南岳小屋:曇、一時晴れ間(雲量8)

-----

あるひとつの到達点へ向かうにしても、その条件や手段は、いくつもある。
その中には、易しいものも厳しいものもあるわけだが、
人間は業深きいきものなので、易しい条件を先に知ってしまうと、
易しい条件が到達点への最短の手段と認識し、
そのあとの厳しい条件に適応できなくなるように思う。
先に厳しい条件下にて到達しておくと、他の条件下での到達に対する意欲の源となる。
以後、易しいものは易しく感じ、厳しいものは、先の経験則で対応手段の判断を下せる。

だから、厳しい条件下で、厳しい過程を経て到達することは、
確かに厳しいけれど、悪いことではない。

そうは言えど、己の力の限界以上のことはできない。
その判断は的確に下さないと、場合によってはいのちを落とすことになる。

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朝、3時に起床するが、テントを突き抜かんばかりに叩きつける雨音が、
外を見ずとも、天候の様子を物語っていた。
この天候が続くようでは、いくらなんでも岩稜のトラバースは危険だった。
そのことを考え、前日は苦労して5リットルの水を担ぎ上げたし、
予備食は2日分を用意した。
丸1日くらい、テントに引きこもっていても、行程消化には支障ない。
ぼくは、もう一度シュラフに潜り込み、雨音を子守唄にして寝た。

5時に再度目を覚ますと、今度は雨音がしない。
あわてて起き上がり、テントのチャックを開けて外を見ると、若干の晴れ間が見え、
前日登ってきた北鎌沢右俣が最下部の天上沢との出合いまで見渡せる。

寝坊だ。ぼくは大慌てで食事を作り、出発の準備をした。

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コルからP8までは、ひたすらハイマツ帯をくぐるようにして登る。
前日から雨が降り続いていたので、当然ながらハイマツの葉は水滴にまみれており、
雨は降っていなくとも、ザックカバーや雨具は、瞬く間にびっしょりと濡れる。

しかし、多少の太陽が出ていたためか、蒸し暑くてならなかったので、
天狗の腰掛(P9)で雨具は脱いでしまった。
その先もハイマツ帯は続いていたけれども、雨具を着ていることによる不快さよりは、
濡れるほうがまだマシだった。

前日は十分に休んだので、P8までの標高差300mは、大した問題ではなかった。
それよりも、ここから独標へのルートが難関と言える。

独標基部までは順調に距離を稼いだが、
ここからが旧き登山人が様々に錯誤しながら通ってきたルートの本番。
踏み跡はひとつだけではなく、複数ある。
そして、悪いことに再びガスが出始め、視界はあっという間に100m程度に。
目の前に見えていた独標も、ガスに隠れてしまった。

ひとまず、事前に調べておいた情報に従い、独標を千丈沢(尾根の西)側へとトラバースする。
有名な逆コの字になったオーヴァーハング部も、
その下にしっかりとした順層の岩があったので、そこを踏むことで、わけもなく通過できた。
踏み跡がいやに千丈側へと下っているのが気になるので、
下り過ぎないように気をつけながら、通れそうなルートを選ぶ。
しかしながら、視界の悪さと天候の変化に気を取られすぎ、
気づいたらトラバースが詰まってしまった。
右手は、千丈沢へと続く白くガレた下り急斜面、左手は壁のように黒く聳える登り急斜面。
かなり歩いてきてしまい、戻るルートもひどくザレた登りなので、
それもできれば避けたかった。

ハーケンでもあれば、セルフビレイ(自己確保)も容易だったのだが、
ハーケンは持ってきていない。
そして、簡易ロープでセルフビレイを取れるような場所もない。
仕方がなく、ホールドを探りながら、手探りで壁を登り始める。
荷が重いので、腕力だけではどうにもならないし、
西側斜面だから、前日の雨の影響でやや湿っている。
足を踏み外せば、遥か下方の千丈沢へ真っ逆さまである。
クライミングの基本技術である「三点支持」を忠実に守りながら、
時間をかけてゆっくりと壁を登る。
幸いにも、風は全くなかったので、バランスは取りやすかった。

ようやく独標西直下のトラバースルートに戻ってみると、
そこにはちゃんとした踏み跡があった。
どうやら、ルートを読み違え、外れてしまったようだ。
ぼくもまだまだ甘い。

正しく歩けば、ものの10数分で済むところを、50分近くもかけてしまった。

-----

ルートを進めば進むほど、視界はどんどんと悪くなっていった。
P12でも同じように千丈沢側へトラバースしすぎて、ルートを外しかけた。
幸いにもすぐに気づいたので、ハイマツを手がかりにして強引に直登し、
わずかなタイムロスで正しいルートに戻ることができた。

P13からは視界がほとんどなくなってしまったので、
とにかく左手にぼんやりと見える稜線を大きく外さないように、
ひたすら千丈沢トラバースする。

P14の先で、ついに雨が降ってきたので、再び雨具を着用。
岩がさらに滑りやすくなってきたので、慎重に進む。

P15は、事前情報にはなかった、大きく千丈沢側からトラバースするルートが見えた。
独標のときのこともあったので、他のルートがないか、地形を見定めながら進むと、
P15からの稜線とずっと並行してルートが走っている。
そのまま進むと、北鎌平をもトラバースしてしまった。

やがて、左手側にゴロゴロとした巨石が転がっている地帯が見え、
登れそうだったので、そこから直登する。
ひとつひとつの石が大きいので、足をかけるのは、
体力が消耗した状態ではかなり堪えたが、
浮石ではなく、安定していたので、危険度は低く、滑ることだけ気をつけつつ、
思ったよりも簡単にクリアし、大槍の基部にまで達すると、
巨石の姿がまばらになり、壁状になってくる。

大槍直下に、チムニー(上下に走る岩溝。ルンゼとかクーロワールと言う場合もある)が
2箇所あるが、最初のチムニーは全く問題なくクリアできた。
しかし、次のチムニーは最初のホールドが地面から1.5mほどのところにあり、
荷物が軽ければ、あるいはない状態であればともかく、
20数kgの荷を背負った状態だったし、雨で岩は滑っていたので、
腕の力だけで身体を持ち上げられる状態ではなかった。

しばらくは取り掛かり部分と格闘したが、
意を決して右爪先を取り掛かり部分に引っ掛け、
チムニーの両端を両腕、左膝で押さえつけて強引に身体を持ち上げ、
左手でその上のホールドにしがみつき、事なきを得た。

この難所を乗り越えてすぐ、ついにひとの話し声が聞こえてきた。
もう、大槍はすぐそこなのだと思うと、思わず背筋が震えた。

それからまもなく、雨具を着用した数人の姿を認めると、
向こうも、来るはずのない方向からやってきたぼくに気づいたらしく、
大きな歓声でぼくを迎えてくれた。
13時49分、大槍山頂の祠の左後ろからついに登頂がなった。

-----

槍ヶ岳に登るのは、もう幾度目とも知れないが、
槍ヶ岳の肩にある山荘に荷物をデポして山頂を往復するのが常だった。
しかし今回は北鎌尾根から登ったので、荷物は背負ったまま。
その状態で槍ヶ岳の肩に下りるのも初めてだったが、
これも存外にきつかった。

山荘に着いたときには、すでに14時を回っていたので、
そのまま山荘のテントサイトに幕営しようか逡巡したが、
翌日以降の行程を考え、当初の予定通り南岳小屋へと向かった。

この先は、中岳の手前に梯子があるくらいで、他には危険な箇所はない。

-----

南岳への登りの距離の長さにうんざりさせられつつも、
何とか暗くなる前に南岳小屋に着くと、急に力が抜けてしまった。
やり遂げた、という気持ちよりも、生きて登りきったんだ、という気持ちのほうが、
強く感じられた。
晴れていれば、おそらくここまで消耗することもなく、
「ああ、厳しいルートだったけど、楽しかった!」で終わり、
再び登ろうという気も起きなかったかもしれない。
しかし、今回のような条件下で登ったことで、
もう一度登りたい、という意欲は確かに湧いてきた。

旧い登山人は、このルートを当たり前のように登ってきたのだけど、
現在のぼくは、それをなぞるために大変な苦労をした。
きっと、彼らから見れば、ぼくもさぞかし軟弱なことだろう。

飽食の現在社会は、人間本来の力を随分と損なったのかもしれない。
松濤さん、あなたはすごいよ。

食事のあと、ぼくは眠くなるまで、持参してきた彼の著書を読んだ。

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夕食:1815〜1845
サムゲタンクッパ1合分
就寝:1930

=====

2011年8月3日(水)
起床:0400
朝食:かに雑炊、生姜湯

南岳山荘T.S(0530、水2リットル、グローブ、ヘルメット着用)→長谷川ピーク(0639)→
滝谷A沢コル(0654〜0700)→北穂高小屋(0803〜0823)→
滝谷C沢右俣上部(0859〜1150、遭難救助待機、1100、雨具、ザックカバー着用、ヘルメット外す)→
涸沢岳(1314)→穂高岳山荘T.S(1333)

南岳小屋:晴れ間(雲量7)
北穂高小屋:晴れ間(雲量8)
滝谷C沢上部付近到着時:曇(雲量9)
滝谷C沢上部付近11時ごろ:雨
穂高岳山荘:雨、夜半まで

-----

出発時の天気は、これまでで最も良かった。
しかしながら、東の空が赤く焼けていることで、
昼から午後にかけては、崩れそうな様子であることが感じられた。

前日、かなりハードな行程だったこともあって、
この日はコースタイムが5時間程度と、かなり短いルート設定とした。

-----

毎度のこと、昔から登山者に人気である、大キレットを含めた槍ヶ岳〜穂高岳のルートは、
ある意味、北鎌尾根の縦走より怖い部分がある。
それは、事故発生率の高さだ。

ファクターの1つは、登山者自身の遭難で、もう1つは登山者による落石事故。
そのルート難度の高さに反比例して、力量不足の登山者の通行が多いため、
必然的に事故は増える。

力量不足の登山者の通行そのものに問題の本質があるわけではない。
この縦走ルートは、多くの登山者が憧れる場所であり、
難コースを経ることで、自身の登山キャリアは向上し、さらに行動範囲を広げることができる。

問題は、パーティを率いるリーダの力量が不足している点にあるとぼくは思う。
しかるべき経験者がパーティのメンバを率いる体制が確立していないと、
導力も抑止力も不足し、事故の確率が上がってしまう。

事故が発生することで、以下のデメリットが生ずる。

1.負傷者、最悪死者が発生する
2.事故処理が終了するまで、登山ルートが通行止になることが多い
  →事故発生現場を通過することによる落石発生等で起こりうる二次災害の防止
3.足止めをされた他の登山者の事故リスクが高まる
  →場合によっては数時間動けず、肉体的、精神的コンディションに悪影響を及ぼす
4.捜索費用等、事故者本人、関係者の経済的負担
  →山岳保険への未加入者が非常に多い点
  →捜索費用は海上遭難と違い、民間の救助隊員(遭難対策協会)も出るため、
   その出動費が事故者(事故者が死亡した場合はその遺族)の負担になる。
   警察のヘリが出動できず、民間のヘリを使用した場合は、その負担が甚大
   (近年は、民間ヘリが出動する機会は減ったとのことだが、30分で約70万円)

これらの点から、人気の高い難ルートの通行は、
大きなリスクを内包しているという意識を持ち、
ガイドや山小屋、各自治体の呼びかけに任せるだけではなく、
登山者同士が自主的に助け合う(ホールドスタンスの指示、落石発生時の呼びかけ等)よう
心がけることで、事故発生率も下がるものと考える。

-----

そんな大キレットは、南岳山荘をほぼ先頭を切って出発したため、
何事もなく、静かに通過した。
そこからの登りは、いつもながら、すぐ上の北穂高小屋が近くて遠く、
なかなかたどり着かなかったが、それでも出発から2時間半余りで小屋へ到達。

北穂高小屋は、近辺の小屋、山荘ではさほど大きい規模ではないが、
サービスが良く、食事が非常に美味であることで知られ、
別料金ではあるが、生ハムやワインも出てくるという。
テント泊中心のぼくには、これまで全く縁がなかったが、
そのうち訪れてみたいと感じた。

北穂高小屋から40分ほど、滝谷のC沢右股上部を通過中のこと。
ぼくの先をずっと先行して歩いていた単独行者が、
斜面の岩に腰かけている数人の前で立ち止まったかと思うと、
突然ザックを肩から降ろし、同様に腰かけてしまった。
何だろうと思いながら、2〜3分後にぼくもその地点に到達したところ、
腰かけているうちのひとり、60はとうに過ぎた、色黒の男性が、
「この先で遭難の救助を行っているから、落石防止のために通行止になっている」と告げた。

ぼくはすぐには事態を飲み込めず、しばし呆然と立ちすくんだが、
やがて諦めてみなと同じようにあたりの岩に腰かけた。

事故は午前7時過ぎに発生し、その直後にこの場所に到達した2人組は、
既に2時間近く待たされたままで、ぼくに声をかけてきた男性とその妻と思われる女性も、
午前8時ごろから待たされているという。

その後も、続々と後続のひとびとがやってきては、
同じ説明を受け、近くの岩に腰かけた。
最終的には、25人ほどが、この小さなコルに集結するという、
奇妙な状況となった。

10時過ぎに救助のヘリコプターがやってきて、
すぐ先に岩の向こう側で吊り上げ作業を行い、去って行ったが、
それでもなかなか通行止は解除されない。
次第にガスが大きく広がり、視界が悪くなってきた。

あとで話を聞いたところによると、遭難者は若い男女2名で、
女性が150mほど滝谷側に滑落して負傷、
男性が斜面を滑り降りて女性の元へ駆けつけたものの、
男性も身動きが取れなくなったという。

女性はヘリコプターで救助されたが、男性は自力で斜面を登ることができず、
同様にヘリコプターでの救助を試みたものの、天候の悪化でそれがうまくいかず、
救助隊員が数人がかりでザイルで引っ張り上げたため、時間がかかったという。

11時前、とうとう雨が降り始めた。
生憎、朝の観天望気は当たってしまったのだった。
待機者はみな、憂鬱そうにザックにカバーをつけ、雨具を着用する。

11時50分にようやく通行止が解除され、
まずは涸沢側で待機していた10数人の登山者が
北穂高側であるわれわれのほうへやってきて、通過した。
中には、小学校中学年程度の小さな女の子がいて、泣きながら斜面をよじ登っていた。

その後、北穂高側で待機していたわれわれが涸沢側へ向かい始める。
一度に20人以上の登山者が一斉に尾根を縦走し始めたため、
お互いに注意喚起しながら、ゆっくりとしたペースで歩き、1時間ほどで涸沢岳に登頂。
このころには雨脚がかなり強くなっていたので、
休憩もせずにそのまま穂高岳山荘へと下り、20分ほどで到着した。

-----

足止めなく穂高岳山荘に到着していた場合は、
ここに荷物をデポして、前穂高岳をピストンする予定だったが、
天候は悪いし、時間もだいぶ遅くなってしまったので、
この行程はパスすることにした。

翌日は天候が回復するとのこと。
奥穂高岳から西穂高岳へ向かう急な下りの岩稜ルートは、
濡れていると大変難しくなるため、ひとまずは少し胸をなでおろす。

それにしても、大して歩いてもいないのに、疲れ切ってしまった。
稜線上で3時間近くも待機したのは初めてで、
おまけに雨まで降り出したので、体が冷えてしまったのが原因だろう。

山荘に着くと、猛烈に腹が減っていたので、
すぐさまカレーを注文して食べたが、このときほど腹に染み入ったカレーはなかった。

-----

事故を起こしたくて起こす者など、誰もいない。
起きてしまったものは、仕方がないのだ。
負傷者は出たものの、死者が出なかったことと、二次災害が発生しなかったことは、
不幸中の幸いと言っても良いだろうか。

事故現場を過ぎ、涸沢槍手前の小ピークを通過した時、
救助隊員と思われる屈強な男性数名と、
陰鬱な表情をした若い男性が1名いた。この男性が、恐らく救助されたひとだろう。

願わくば、彼も、そして負傷したと思われる連れの女性も、
これでもう山に登りたくないなどとは言わず、いつかまたふたりで戻ってきてほしいと思う。

-----

【余談】
滝谷は、槍穂稜線の西側にある谷で、ロッククライミングのメッカとして知られる。
沢はA〜Fまであり、A沢のコルが北穂北陵基部、
B沢のコルは別名「松濤のコル」と言い、北穂北陵頂上直下にある場所で、
あの松濤明が1939年12月、滝谷第一尾根から北穂高岳へ
冬期初登攀を果たしたことにちなんでつけられた。
C沢は右俣と左俣に分かれ、右俣上部のコルが今回の事故現場、
D沢コルは北穂〜涸沢間の最低標高地点である。

-----

夕食:1745〜1815
サムゲタンクッパ1合分
就寝:1850(ただし2時間ほどは眠りにつけず)

=====

2011年8月4日(木)
起床:0300
朝食:高菜炒飯、味噌汁

穂高岳山荘T.S(0430、水3リットル、ヘルメット、グローブ着用)→奥穂高岳(0508〜0520)→
ジャンダルム飛騨側基部(0615)→ジャンダルムピーク(0620〜0624)→基部(0628〜0633)→
天狗のコル(0747〜0755)→天狗岳(0818〜0821)→間ノ岳(0910)→赤岩岳(0934〜0955)→
西穂高岳(1021〜1032)→西穂独標(1117〜1125、ヘルメット、グローブ外す)→
西穂丸山(1156〜1159)→西穂山荘(1210〜1224)→田代橋(1358)→河童橋(1419)→
上高地BT(1424〜1600)→自宅(2310)

穂高岳山荘:霧のち晴れ間(雲量8)
奥穂高岳:霧のち晴(雲量2)
西穂高岳:晴れ間(雲量7)
西穂独標:曇(雲量9)
西穂丸山:晴れ間(雲量8)
西穂山荘:晴(雲量3)
上高地BT:晴(雲量3)

-----

夜半、あれだけうるさくテントを叩き続けていた雨音は、
目覚めたときにはピタリと止んでいた。
外はまだ暗く、天候加減は分からなかったが、霧は出ていた。

食事を終え、テントの外でパッキングをしていると、
東の空がうっすらと明るくなってきた。
付近は霧が出ているけれど、山の穏やかな朝陽の気配が感じられる。

山荘の中はまだ薄暗く、準備をしている登山者はまばらだが、
前日も見かけた若い男性の登山ガイドと60過ぎと思しき女性のふたりがいたので、
挨拶を交わす。
向かうのは、ぼくと同じ、ジャンダルム〜西穂高岳だそうだ。
これは、女性の技術云々よりも、ガイドの力がモノを言うだろう、と思った。

-----

そして、明け切れない空の下、4時30分に出発。
ガイドと女性はぼくよりも10分ほど先に出、他にもう2パーティほどが先行した。
30分近く歩くと、東の空が煌々と輝き始めた。
見事なまでのご来光。そして山行5日目にして、初めて迎える快晴の朝だった。

奥穂高岳への登りは、傾斜はきついけれど、足取りは案外軽い。
やはり、視覚的に行き先の見当がつくというのは、
精神的にも良い作用をもたらすようだ。

最初の壁を過ぎ、傾斜が緩くなって頂上が見えてくる頃、
山行5日目にして、初めて地平線からの朝陽を見ることができた。

そして、ほどなく登頂。
頂上の祠の向こうに、まばゆい朝陽が見える。
これから向かうジャンダルムは、かなりの難所だけれども、
ひとときはその戦慄をも忘れさせるほどに、穏やかな標高3190mだった。

-----

陽に背を向けると、気持ちをぐいと引き締めた。
これから、西穂高岳へと向かう。

難度からすれば、雨の北鎌尾根に比べれば、わけもないと思われがちだし、
実際に、ペンキマークが明瞭なので、
ルートファインディングや読図の技術はさほど必要ない。

ただし、朝方に奥穂から西穂に向かうにあたり、避けては通れないのは、湿気だ。
東から西へ向かうので、朝方はどれだけ晴れていようが、岩が湿っている。
それも、下りルートだから、湿った岩をモロに踏んでいくことになるので、
陽が上がるまでのしばらくの間は、全く気が抜くことができず、
緊張感においては、雨の北鎌にも匹敵するかもしれない。

濡れた岩の下りは、ぼくにとっては本当に怖い。
それも、逆層の岩であれば、なおさらだ。

かの有名な馬ノ背は、その点においては、さほど怖いとは思わない。
ナイフリッジになっているけれど、ホールドはしっかりしているし、
稜線上に限りなく近い部分だから、晴れていれば岩の湿り気はほとんどない。
それに、距離も短い。

もちろん、だからと言って気が抜けるような場所ではなく、
奥穂山頂からジャンダルムまで、目の前に見える程度の距離なのに、
きっかり1時間かかった。

-----

朝の湿気は、ここからが本番となる。
ジャンダルムから天狗のコルへと向かう下りは、
稜線の飛騨側(=北西側)を下っていくので、
陽が出てからしばらくの間も、全く陽が当たらない。
ゆえに、湿気もほとんど蒸発せず、滑りやすい状況が続く。

コルに向かうルンゼ(長い岩溝)状の下りは、かなりの恐怖感を覚える。
ぼくはルート上にある鎖は原則信用していないので、フリーハンドで下るけれど、
バランスよく、リズムよく下らないと、迷いが出てきて、たちどころに時間が過ぎてゆく。
そういう場所だ。

天狗のコルで、岳沢方面へ下ることができると地図にはあるけれど、
ものすごいガレ場で、落石が怖くてとても下れる気がしない。

そこからの登りかかりは、重い荷物を背負っている身としては大層堪える、
ややカブリ気味の逆層岩だ。
ねじ伏せるようにして岩の上に身体を乗せて登る。

ピークにつくと、ジャンダルムの上に先のガイドと女性の姿が見え、
女性がぼくに向かって大きく手を振っている。
無事に登れたようで、ほっとした。

登り終えると、また逆層の岩を下ってゆく。
そんなことを幾度か繰り返すのが、このルートの大きな特徴だ。
逆層の下りは、層の角の部分を上手に活用して靴の裏を引っ掛け、
さらに膝で岩の表面を押さえつけると、案外滑らない。
そして、陽が出てくるにつれて湿気も乾いていくから、
そうなればだいぶ気持ちは楽になってゆく。

すなわち、序盤から中盤にかけて、最大限の集中力を維持しつつ、
そこで使い切らずに後半にも残しておく、というペース配分が、
この縦走路をうまく通るためのコツのひとつではないかと思う。

これは、簡単そうに見えて、なかなか難しいかもしれない。

-----

天狗岳、間ノ岳、赤岩岳をそのようにして越え、西穂高岳にたどり着いた。
スタートからここまで、5時間50分。
思ったよりもずっといいペースだった。
西穂山荘からここまで登ってくる登山者はかなりおり、急に賑やかになってきた。

長い縦走も、終わりを迎えようとしている。

西穂独標、丸山、西穂山荘を経ると、
もうそこは山というよりも、高原の様相を呈し、
多くのひとびとが思い思いに快晴の空の下、楽しそうに過ごしている。

-----

昔は、上高地へ通じる道路はなく、島々宿から徳本(とくごう)峠を越えて、
明神池まで下り、そこから上高地へ出、中尾峠を越えて中の湯や焼岳へ至った。
西穂山荘へ行くには、もちろん新穂高温泉からロープウェイではなく、
傾斜のきついボッカ道を上がっていった。

ところどころは数十年前とは代わり、多くのひとびとが訪れる場所となった。
それはそれで良いことだ。
この美しい山が、多くのひとたちの知るところとなるのであれば。
そして、多くのひとたちが、この美しい山を後世に残そうと思ってくれているのであれば。

何十年も昔から、北鎌尾根も、大キレットも、涸沢も、奥穂〜西穂も、
変わらず登山者に愛されてきた。
その中でもとりわけ、北鎌尾根はクラシック・ルートとも言えるところで、
次第に登るひとが減りつつも、旧き登山人たちの足跡に思いを馳せながら、
憧れるひとたちは今尚多くおり、ぼくもそのひとりだ。

松濤明も、そして「不死身」と言われた加藤文太郎も、
ここで果て、雪を褥にして永遠の眠りに就いた。
そんなところを、何十年も経ち、自分自身が登るという、
不思議な、ちょっとした奇跡を感じた5日間。
陰鬱な天気が続いたことで、ガスの向こうにいるかもしれない、
見せぬ旧人の姿を追いかけたような気がする。

上高地までの長い長い下りは、そんなことを考えていた。
早く下山し、5日分の汗と垢と泥にまみれ、
救いがたい臭いを放っている自分の身体を、
隅から隅まで洗い流してしまいたい気持ちとともに、
旧人たちの足跡を辿った証のようなものを洗い流してしまうような気がして、
いささかなりとも名残惜しい、相反する気持ちもあった。

-----

縦走中、赤岩岳という、間ノ岳と西穂高岳の間にある、
山頂の標識もない山頂で、ひとりの若者に出会った。
彼も、ぼくと同じように大きなザックを担ぎ、
西穂高岳から奥穂高岳へと縦走していた。

ぼくが、北鎌尾根からやってきたことを告げると、
「『風雪のビバーク』と同じルートですね」と言ってきた。

ぼくはしっかと頷き、言った。
「旧い登山人が歩いたところを、歩いてみたかったんですよ」
彼は、ハイライトをうまそうに吸いながら、穏やかに頷き返した。

松濤明が死んで60年以上が経った。
けれど、そんな彼に思いを馳せて山を歩く人間が、まだいる。
どれだけ時代が移り変わろうが、変わらないエッセンスは、
こんなところにも残っている。

今日もまた、旧い登山人の足跡を追って、
誰かが峻険なクラシック・ルートを歩いているのだろう。
そんなとき、現代のぼくたちと、旧い登山人たちの何十年もの時間的ギャップは、
次元を超えて限りなくゼロに近づくのかもしれない。

<本編了>

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コメント

こんにちは。
おそらく私の北方稜線の記録を見に訪れていただいたのだと拝察します。
この北鎌〜西穂の山行記録、読み応えがありました。
悪天候だったのに、随分早く北鎌を抜けており、驚きました。
しかも初めてなのに。
私の初北鎌はさんざんでしたから(参考URLに挙げられているkaikomさんのブログに登場するKさんとは私のことです 笑)、この山行記録はスゴイと思いました。
同じ風雪のビバークを読んで感化されて(大町の山岳博物館、行きました)北鎌をやった者として、一言コメントを入れたくなりました。
お住まいも自転車で行けるぐらい近い距離のようですし・・・(笑)
昨年に下ノ廊下、今年北方稜線をやりましたが、北鎌に比べれば楽勝です。
来年、良き山行となるよう祈念しております。
2011/12/13 23:22
Re: こんにちは
BIMOTAさん、はじめまして。
拙記録にコメントいただき、ありがとうございます。
よもや、わたしが山行に参照したページの方からコメントいただくとは(笑)。

お住まい、まさに自転車でいけるくらいのようで、びっくりです。
ハナブサIC近くの川沿いの古〜い団地、と書けば、どこかお分かりでしょう(笑)

わたしとしても、天候が悪かったし、結局この山行が原因で、
かねてからの膝痛に止めをさす結果となってしまったので、
コンディションを整え、天候のよいときに、
再チャレンジ(できれば湯俣から・・・)したいと考えています。

下ノ廊下と北方稜線の情報、ありがとうございます。
北鎌のときもそうですが、どうもルートを複数組み合わせたいクセがありまして、
下ノ廊下単発ではとても飽き足りそうになく、北方稜線と組み合わせたいと考えました。

まずは、昨今の事故により、通行止めになっている下ノ廊下の早期復旧を祈りたいですね。

お互いに、今後ともよい山行をいたしましょう。
2011/12/14 15:34
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