牛が角を立てたような山頂部の北側に、真夏でも大きな雪田を残す北沼があります。
1990年代に指定地から外されましたが、ここも縦走路上の天場でした。
トムラウシ山頂の直下という高みにあり、北海道の中央部の山やまのパノラマが望めます。北沼は、青く澄んだ雪解け水をたたえ、沼のふちで残雪からしたたり落ちる滴を、飲用水に使いました。(エキノコックスが蔓延した現在では、道内の生水には注意がいります。)
夜は、北沼と雪田と澄んだ月の光景も見事。でも、稜線の吹きっさらしの場所なので、テントは風であおられます。
大雪はあちこちに永久凍土地帯があります。ごく長期にわたって万年雪が残る場所として、ヒサゴ沼の雪田が知られていますが、北沼付近も永久凍土や万年雪があってもおかしくありません。
私がここに泊まったのは、1979年8月。百名山ブームが始まる前のことで、人がほんとうに少ない山域でした。
縦走の4日目、高根ヶ原で40代と中学生の父子のパーティーとすれ違い、あいさつをかわしました。下山後、この父子(お父様は大学の教官をされていた方でした)が、トムラウシの登りで霧にまかれ、頂上北東側の急な雪渓に降下して、お二人とも亡くなられたことを知りました。ちょうど、私も日本庭園の下降で霧でルートを見失い、30分余りも見通しが回復するのを待つという目に遭ったので、印象に残っています。
http://trace.kinokoyama.net/hokkaido/tomurausi79.8.htm
トムラウシの山頂一帯は、花と雪が豊富な自然の庭園になっています。南沼の小さな天場は、現在も使用できるようですが、真夏はヒサゴ沼同様に、混むそうです。トイレのものをふくめてすべてを持ち帰ることが奨励されています。
現代はテクノロジーや装備も進み、私自身もGPSを携帯しているからこそ、一昔前なら十分無謀と思える行動をとることが出来るのでしょう。
ハインリヒ・ハラーなど読んでいると、皮の服に40キロを担ぎマイナス30度をチベットへ向かいと、これでも人間は生きていられるのかと言った感じです。
ただテクノロジーや装備に頼りすぎると、それを失ったとき大海原の中のボートになってしまうので、あくまでも利用、共存と考えて動物的感覚は常に養うようにと考えています。
tanigawaさんは山菜やきのこにも非常に精通していらっしゃるようですね、又御口授のほど、宜しくお願いします。
私たちも28年ほど前にトムラウシから十勝。大雪と縦走しましたが、人には逢いませんでしたね。テントのまわりを狐だと思いますがぐるぐる回ってた思い出があります。ずいぶん変わったんでしょうね〜
riekoさん。
>私たちも28年ほど前にトムラウシから十勝。大雪と縦走しましたが、人には逢いませんでしたね。
当時も今も、行動力がすごかったんですね。そのルートだと、一番さびしいトムラ―オプタテ間は、ヒグマさんたちに見守られて、進んでいったという感じですね。
百名山ブームになってから、北海道の山の小屋やテント場はかなり変わりました。1983、84年ころから急に登山者が夏の時期に集中するようになったのです。
1984年ごろ、ヒサゴ沼に幕営しようとしたら、小屋は満杯、テントはいっぱいで、びっくりました。
90年代になると、ツアーが組まれだし、また登り方が変わってきたように感じます。
jazzyさん
トムラウシのその遭難の場合は、父親はかなりの山の経験があった人でした。天気も回復に向かっていた日に山頂へ向かったのですが、この山は、火山のガレとハイ松と、大きな残雪が断続し、尾根が広いため、ガスが出ると踏み跡を見失いやすいのです。しかも、北から山頂に向かう場合も、途中の鞍部から3時間弱の登りが続く、大きな山です。
登山者が少なかった当時は、残雪やガレ場の踏み跡も見失いがちでした。
北東面に急な雪渓があるのですが、そこに迷い込んで滑落し、父親が動けなくなったあと、息子さんが周囲を動き回った跡があったそうです。ヒグマの形跡も残されていたと報じられました。
その後、百名山ブームになって、トムラウシ温泉(十勝)の側は林道を車で上がれるようになり、山頂を日帰りで往復できるようになりました。
でも、山頂部の様子は以前と基本的に変わらず、道迷い、気象遭難(台風下の低体温症)、途中の沢(小さなV字谷)の増水を無理に下山しようとしての溺死など、遭難が多い山になっているようです。
GPSがあれば、道迷いは相当程度、防げます。
でもやはり、登ろうとする山の個性を頭において行動を判断しないといけないと思います。
ハードな登りを始められたjazzyさんも、テントを使わない山行でも、ツェルトはかならず携行されると、安心と思います。雨具だけでは、低体温症はふせげません。
私は日帰りやテントを携行している時も、トップアタックやテントを張れない可能性、又ビバークや遭難者の遭遇などを想定し、ツェルトと予備食は常に常備しています。これで結構石橋を叩いて渡る性格だったりもするのです。遭難の記録をいろいろ読むと、まず天気が崩れ、道に迷い、疲労した中、無理
な行動をとり、沢を下り、滑落、というのがかなりのパターンのように思います。
この後長文になってしまい本旨を汚すことになりますので、もし宜しければ続きはこちらでお願いします。
http://www.yamareco.com/modules/diary/1823-detail-1181
jazzyさん。
>ツェルトと予備食は常に常備しています。
登山を始められた時点で、ここまで心構えをされているのは、すごいですね。
ツェルトの件は、トムラウシの遭難事例から、そして近年になって遭難死の直接の原因に「低体温症」があることがわかってきたことから、書いたものです。
jazzyさんの登山にかかわって書いたことではありませんので、どうか気楽に受けとめられてください。
トムラウシの気象遭難の場合は、稜線の天場で停滞していたパーティーは助かったのですが、テントもツェルトも用意がなかった(あるいは人数分がなかった)2つのパーーティーから、犠牲者が出ました。
GPSは、私も使っています。
登山者の利用が始まったかなり早い段階で使い出したので、いまとなってはクラシックな機種。もちろん地図表示ができない機種なので、出かける前に現地でGPSの数値と照応させる地図をパソコンでプリントして持って行きます。この地図には、緯度経度のラインと数値を、印刷しています。そのときの行動範囲によって縮尺は変わりますが、通常は1万分の1相当の縮尺です。
10秒メッシュでラインを入れているので、かなり正確に位置確認やルートのプランニングができます。
とはいってもやはり地図と読図が基本であり、私もこれでミスしました。
これも一つのGPS利用法です。
下記に、GPSが活躍したり、読図のミスをGPSに助けられた山行をリンクしておきます。
燧ケ岳と、GPSナビで檜高山、オモジロ山
http://trace.kinokoyama.net/josinetu/oze0305.htm
上越・ナルミズ沢――「天国に続くナメ」は幻になった
http://trace.kinokoyama.net/josinetu/narumizu040808.htm
沢を遡行して、ブナ林のナメコ探訪
http://trace.kinokoyama.net/fungi/mt-h-nameko041001.htm
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