短いコメントで書ききれない大きなテーマなので新規の日記として書き込みます。
「熊嵐」の事件は、本の記録で読んできました。現地には、大きなアメマスが釣れる有名な沢があり、学生時代に入ったこともあります。
こういう凶暴化したヒグマを例にすると、「共存」ということに納得できないものを感じてしまうのは、無理もない面もあります。
しかし、北海道はもともと和人の世界ではなかったのです。
先住の人々は、ヒグマとしっかり共存してきました。人はヒグマを恐れてきたけれど、その一方で狩りの対象になってきたヒグマは、人を徹底的に恐れてきました。
人間とクマの間には、適度な緊張感と怖がり合いが、長いこと存在し続けてきました。
これはロッキー山脈など外国のより深い経験からも認識になってきていることですが、クマには、その距離感・緊張感をしっかり認識している良いクマと、ごくわずかの悪いクマがいます。
ロッキーでは長い試行錯誤のなかで、レンジャーの熊追い、監視対策などもとられてくるなかで、クマと人間との不幸のない関係が生み出されてきています。
日本ではどうか。
人間とクマとの距離感・緊張感は、双方から壊されかけているように私は思っています。
下記に私なりの感じたことを書いてきました。
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-14120
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-1420
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-20859
残念なことですが、現代ではいろいろ研究や海外の経験が進んでいるのに、日本では客観的な状況が悪化してきているのを感じます。人と、クマが、お互いがお互いを理解しない状況が、いっそう拡大していることが心配されます。
その一番の問題は、クマに圧力を加えて「人の恐さ」をクマに身にしみて感じさせてきた狩猟圧が減ってきたことだと思います。クマと人間世界との間のバリアーも、山村の荒廃と高齢化で、後退したり、消滅しかけています。
最前面に立っている猟師の方々の激減、山村の荒廃、レンジャーや自然指導員の圧倒的な不足等々です。
悪いクマが出たら殺せ、ということを言っているのではありません。クマに人を怖がらせる方法は、音、犬、スプレーなどいろいろあります。麻酔銃やワナで捕獲した後に、スプレーをちょっと見舞って、金輪際、人間に近づかないクマにする方法も採用されています。
このヤマレコの場で言えるのは、登山者はもっとクマの状況について知り、不幸な遭遇や事故がおこらないように人間の側からも対応することだと思います。
「共存」というのは、言うはやすく、また特定の事例から簡単に否定もできますが、じっさいの現場は相互のふかい理解を求めており、登山者のなかでそういう認識を広めて行くことが大事だと感じています。
クマの研究者は良い本を出しており、登山者は自分のためにももっと知ってほしいと思います。
最近では、「よいクマわるいクマ―見分け方から付き合い方まで 」という良書があります。
乗鞍岳での数年前の事件は、双方にとって不幸でした。
人間の側で、クマは見分けないといけません。
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