記録ID: 1542926
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
白馬・鹿島槍・五竜
日程 | 2018年07月24日(火) ~ 2018年08月03日(金) |
---|---|
メンバー | |
天候 | 7/24(火) 晴れ→曇り時々晴れ 7/25(水) 晴れ→ガス 7/26(木) 晴れ 7/27(金) 晴れ 7/28(土) 霧雨→強風雨(台風接近のため船窪小屋泊に変更) 7/29(日) 曇り→小雨→暴風雨→晴れ(予報では晴れ) 7/30(月) 晴れ→ガス→晴れ 7/31(火) 晴れ→曇り→晴れ 8/1(水) ガス→晴れ→曇り→晴れ 8/2(木) 曇り→晴れ 8/3(金) 晴れ→曇り→晴れ |
アクセス |
利用交通機関
■往路----------------------------------
電車、
バス、
タクシー
05:30 松本BT ⇓ [アルピコバス上高地線 ¥2200] 06:51 中の湯BS ⇓ [タクシー ¥1880-/約10分] 焼岳登山口 ■復路---------------------------------- 13:05 親不知駅 ⇓ [日本海ひすいライン ¥240] 13:17 糸魚川駅 14:46 ⇓ [北陸新幹線 ¥11200] 16:52 東京駅 *親不知駅までは親不知観光ホテルの日帰り入浴プランに含まれている送迎バスを利用
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|
地図/標高グラフ


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コースタイム [注]
- 1日目
- 山行
- 6時間0分
- 休憩
- 35分
- 合計
- 6時間35分
- 2日目
- 山行
- 10時間20分
- 休憩
- 1時間46分
- 合計
- 12時間6分
- 3日目
- 山行
- 10時間26分
- 休憩
- 1時間19分
- 合計
- 11時間45分
- 4日目
- 山行
- 10時間26分
- 休憩
- 1時間28分
- 合計
- 11時間54分
- 5日目
- 山行
- 7時間11分
- 休憩
- 6分
- 合計
- 7時間17分
- 6日目
- 山行
- 10時間52分
- 休憩
- 22分
- 合計
- 11時間14分
- 7日目
- 山行
- 9時間41分
- 休憩
- 50分
- 合計
- 10時間31分
- 8日目
- 山行
- 8時間25分
- 休憩
- 1時間12分
- 合計
- 9時間37分
- 9日目
- 山行
- 6時間24分
- 休憩
- 59分
- 合計
- 7時間23分
コースタイムの見方:
歩行時間
到着時刻通過点の地名出発時刻
■山と高原地図 標準CT-----------------------
Day1: 【中の湯登山口⇒西穂山荘】7h10
Day2: 【西穂山荘⇒北穂高小屋】12h55
Day3: 【北穂高小屋⇒双六小屋】12h55
Day4: 【双六小屋⇒烏帽子小屋】11h25
Day5: 【烏帽子小屋⇒船窪小屋】7h40
Day6: 【船窪小屋⇒種池山荘】13h35
Day7: 【種池山荘⇒五竜山荘】11h30
Day8: 【五竜山荘⇒白馬岳頂上宿舎】10h40
Day9: 【白馬岳頂上宿舎⇒朝日小屋】7h10
Day10:【朝日小屋⇒栂海山荘】9h10
Day11:【栂海山荘⇒栂海新道登山口】9h10
■ザック重量---------------------------------
スタート時 18.5kg
Day1: 【中の湯登山口⇒西穂山荘】7h10
Day2: 【西穂山荘⇒北穂高小屋】12h55
Day3: 【北穂高小屋⇒双六小屋】12h55
Day4: 【双六小屋⇒烏帽子小屋】11h25
Day5: 【烏帽子小屋⇒船窪小屋】7h40
Day6: 【船窪小屋⇒種池山荘】13h35
Day7: 【種池山荘⇒五竜山荘】11h30
Day8: 【五竜山荘⇒白馬岳頂上宿舎】10h40
Day9: 【白馬岳頂上宿舎⇒朝日小屋】7h10
Day10:【朝日小屋⇒栂海山荘】9h10
Day11:【栂海山荘⇒栂海新道登山口】9h10
■ザック重量---------------------------------
スタート時 18.5kg
コース状況/ 危険箇所等 | ■登山道の状況 ※危険個所のみ※--------------- 【西穂高岳〜奥穂高岳】 日本最高難度として知られる一般登山道。西穂→奥穂、奥穂→西穂で難度のポイントは変わると思われます。 個人的には西穂〜ジャンダルムまでは特段怖いと思う箇所はありませんでいた。難しいポイントには鎖などがついています。 逆層スラブも雨などで岩が濡れていなければ、ソールのフリクションを活かせて問題なくクリアできると思います。 ジャンダルム〜ロバの耳〜ウマノセは非常に緊張を要する箇所でしたが、慎重に行けば大丈夫かと思います。 北アルプスなどの岩場に十分慣れている方、高所が苦手でない方、3000m級の縦走路を最低でも1日10時間程度は楽に歩ける体力のある方なら問題なく通過できると思います。 【涸沢岳〜北穂高岳】 この区間は大キレットに匹敵する難区間だと思います。 特に涸沢岳から最低コルまでの下り区間は注意が必要だと思います。 個人的には大キレットよりイヤだなと思う区間でした。 【北穂高岳〜大キレット〜南岳】 大キレットも北上するのと南下するのでは難度のポイントは変わると思います。 北上する場合難しくなるのが北穂からの下降になり、南下する場合難しくなるのが長谷川ピークではないかと思います。 北穂高岳と南岳は大岩壁を登り降りする形になるため、脚力だけでなく腕力も必要になる箇所です。 【南沢岳〜船窪岳】 北アルプスの隠れ難所として噂の箇所。北アで最も崩落が進んでいる箇所で、毎年のように崩落のため登山道が付け替えられている所です。 もろく崩れた花崗岩や砂・土が主体。稜線上は崩れている箇所が多いため、稜線から一段西側に降りた樹林帯のなかに登山道がつけられています。 ただ所々で崩落している稜線上を歩かなければならないため、緊張を有する箇所も多々ありました。 この区間を歩く上で非常に役に立ったのがダブルストックでした。脆く崩れる急斜面をストックをストッパーにして下るなど、非常に役に立ちました。 他の区間なら鎖やロープが絶対付いているような箇所であっても、付いていない所が多いため、初心者は安易に踏み来むべきではないと思います。 【蓮華の大下り】 ここは特段難度が高い箇所とは認識されていませんが、標高差520mの大岩壁になり、長い鎖場など三点支持必須の箇所になります。体力も必要なため初心者は安易に踏み込む場所ではないかと思います。 【鹿島槍北峰〜八峰キレット〜五竜岳】 この区間は八峰キレット単体では全く困難な箇所はありません。拍子抜けする方も多いのではないかと思います。 ただ鹿島槍〜五竜岳の区間として捉えると、長いCT、ひたすら続く岩場のアップダウンなど、体力・集中力を維持するのが非常に大変な区間だと思います。 【唐松岳〜不帰キレット〜天狗の頭】 唐松岳から不帰曲北峰までは問題なく行けるかと思いますが、不帰曲北峰からの下降から難易度の高い箇所がしばらく続きます。 その区間を抜ければ平易な登山道になります。ラストの天狗の大下りの登りは長い鎖などもあり体力的に消耗しますが、雨などで岩が濡れていなければ問題ないかと思います。 不帰キレットについては、難所を下降する形になる北上の方が南下するより難易度が上がるかと思います。 いわゆる三大キレットのなかでは、体力面も含め総合的に考えると、一番楽なキレットではないかと個人的に思います。 【栂海新道】 犬ヶ岳の手前あたりなど崩落した稜線上を歩く箇所はありますが、特段危険箇所はありません。夏は暑さとの闘いになる区間です。 吹上のコルで一旦樹林帯に入りますが、すぐに視界が開け、池塘が点在し所々木道があるよ気持ちよく歩ける道になります。 黒岩山までは気持ちのいい道が続きますが、黒岩山からは犬ヶ岳まではアップダウンの多い稜線歩きになります。 犬ヶ岳を過ぎるとブナの森が目立つようになります。 下駒岳の急登は体力的に厳しいものがありました。 CTは朝日岳→栂海山荘が9h10、栂海山荘→親不知登山口が9h10となっていますが、全体的にCTは甘目かなという印象でした。 【栂海新道の水場について】 黒岩平の水場は大量の雪解け水が流れ、秋まで枯れる事はないかと思います。 北俣ノ水場・黄蓮ノ水場・白鳥小屋の水場についてはは黒岩平で水を補給したため確認していません。 シキ割の水場は細い流れがチョロチョロと流れていました。 水場として確実なのはやはり黒岩平のみという印象でした。体力的には厳しくなりますが、黒岩平で十分な水を確保して進むのがよいかと思います。 ■テン場情報 ---------------------------------- *テン場ランキング(テン場写真付き) 新掲載は北穂高小屋、栂海山荘。全77箇所。今回は泊まったテン場が多いため新掲載のみ記載。 http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-391243.html 【北穂高小屋】 利用料¥700-(1名あたり) 水は有料 ・眺望 ★★★★★ 3000mの環境にテントを張るという厳しい自然環境をダイレクトに感じる事ができる環境。テン場からは常念山脈や前穂と相対する形になるが、稜線上に出れば奥穂や涸沢岳などの岩峰が間近に見える。 ・快適度 ★★★☆☆ 数字が割り振られたブースが点在。地面の状態は各ブースで異なるが、基本砂利交じりの土もしくは石。ペグ打ち可。張り縄を固定する石はあり。 ・利便性 ☆☆☆☆☆ 水場はなし。北穂高小屋で購入。トイレもなし。片道20分ほど岩場を登った小屋の外トイレを使用。トイレ自体は清潔。ペーパーあり。携帯(softbank)は圏外。 ・総合評価 ★★★☆☆ おススメ度の高いテン場 利便性が著しく低く無☆。おそらく北アで最も不便かつ大変なテン場。総合評価は★2と迷うところだが、快適さとは無縁の3000mの厳しい環境でテン泊できる所といった意味では唯一無二。 【栂海山荘】 協力金¥1000-(1張あたり) 水場はなし。無人小屋のため小屋での入手も不可。 ・眺望 ★★★★☆ 標高1592mの犬ヶ岳直下にあり。標高が低いため高山特有の眺望は望めないが、眺望は開けている。 ・快適度 ★★★★★ 草地。一部、土の地面。ペグ打ち可。張り縄を固定する石はなし。 ・利便性 ☆☆☆☆☆ 水の入手が一切できないため途中の水場で担ぎ上げる必要がある。トイレは鉄囲いの中での自然方便。いわば垂れ流しだが、使用後は雨水?を利用したホースで洗い流す形。当然ペーパーはなし。 携帯(SoftBank)は圏外。 ・総合評価 ★★☆☆☆ 行程上必要なら泊まるテン場 草地のテン場自体はとても気持ちいい。ただ利便性が著しく低く無☆。よって残念ながらテン場自体が目的地とはなりにくい。 |
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その他周辺情報 | ■下山後の日帰り入浴施設---------------------- *親不知観光ホテル https://www.oyasirazu.net/ 入浴料+親不知駅への送迎付きで¥1500- |
過去天気図(気象庁) |
2018年07月の天気図 [pdf] |
写真
いよいよ挑戦が始まる。ずっとこの日のために準備をしてきた。
最大の難関はまだ歩いたことのない西奥。幸いにもその区間を何度も歩いているMaieさんに3日間同行してもらえることになった。本当に感謝しかない。
Photo by Maie氏
直射日光が遮られ少し涼しくなったが、歩き始めて30分もしないうちに突然の嘔吐。先ほど飲んだリンゴジュースを半分程吐いてしまう。
その後なんとか体調を持ち直し歩き出したが、冗談抜きで初日にして「この旅、終わった…」と思った。
無我夢中でどこをどう歩いてきたのかわからないが、ジャンダルム〜ロバの耳〜馬の背間は、「あのさ、なんでこんな危ない所を通らなきゃいけないわけ?」と意味不明の連続…。怖いというよりも意味不明だった…(^_^;)
とにかく下は絶対見ないように、手先足先のみに集中した。
Maieさんに「ココって巻き道ないの?巻き道っぽいのあるんだけど…」と聞いたら、「そんなものはない。目の前の稜線を伝っていくしかない」と言われた。
「稜線って言うけど、単なるギザギザじゃん!」と心のなかで絶叫した。
Photo by Maie氏
今回は北上した感想は、北上する分には特に問題なく通過できた。
Photo by Maie氏
しばらく穂高岳は勘弁。もう二度と登れなくても未練は多分ない…。
あ、でも白出沢はまだ歩いてなかった。
ということは、また来ることになるのか?
無事、難峰を越えられたのもMaieさんのサポートあってこそだった。
Maieさん、本当にありがとう。イイ旅を!
テントを張る前にまずは腹ごしらえ。一昨年までは牛丼があったのだが、昨年からはカルビ丼に変更。やはり牛丼の方が1000倍うまい。牛丼の復活を切に希望。
山行直前に丸5年使ってきたニーモのタニ2Pから1Pに買い替えた。ニーモの2Pでは100泊以上してきたせいかテントの底には細かい穴が開き、シームテープは剥がれ、そろそろ限界だった。
新しい1Pは1人用だが、感覚的には1.5人用といったところ。フライとポールを合わせて1kgちょいと軽量で、とても使いやすい。
と行きたかったが、灼熱地獄と右足小指にできたマメが腫れあがってしまい、一歩一歩踏み出すたびに激痛が走る。
まだ1週間も歩かなければいけないのに…。
台風がやってくる。
2日前の段階で台風に備え計画を見直し、台風をやり過ごすため今日は船窪小屋を予約した。
烏帽子小屋に停滞するかどうか迷ったが、雨量・風速・風向き等々総合的に判断し、昼前に船窪小屋に入ればなんとかなるだろうと先に進むことにした。
予報より天気の崩れが早い。風雨が強まるなからココは歩きたくなかった…。
幸いにも東風で崩落側から風が吹きつけていたのでなんとか通れたが、逆向きの風だったらかなり厳しかった…。
台風は過ぎ去りヤマテンでも晴れ予報の1日。予報を信じて出発。しかし今日は昨日以上の地獄となったのだった。
出発時は霧雨程度だったが、厳しい蓮華の大下りの岩場の途中からどしゃ降りの大雨に。ハイマツの陰に身をかがめながらレインウェアを着る。
もう何も考えまい。ただ先に進むだけだ。

厳しい岩稜帯を暴風雨のなか3時間歩くことになった。
何度も心が折れそうになりながらも、「何がなんでも種池までたどり着いてやる!」という意思が勝る。昨日は小屋でたっぷり休養したので身体は動く。体力は問題ない。
今まで山で靴擦れやマメがつぶれた事は一度もなかったのだが、今回はボロボロ。両足の靴擦れに右足小指のマメ。
絆創膏やキズパワーパッドは汗ですぐに取れてしまうので、絆創膏で保護した上からキネシオテープを張り養生。これはうまくいった。
感想/記録
by zawada
■まえがき
以下は山行中に毎日少しずつ書き留めた感想です。よって自分で読み返しても気恥ずかしくなるものになってしまいました。
レコを書いているとあの時の感情に引きずられる感じがします。いや、正確に言うと、いまだ抜け出せていない自分がいます。
なので、あの時あの場で感じたことを、いつか記憶が薄らいだ時のためにそのまま記すことにしました。山行に役立つ情報は殆ど含まれていませんので、読み飛ばして頂いても構いません。
ただもしお時間がある時にでもお読み頂けるなら、とても幸いです。
■Day0 =約束=
「いつか必ず」
そう思ってきた焼岳から栂海新道を抜け日本海の親不知へと続く北ア主脈の縦走。ようやくチャレンジする時が来た。
この日のためにずっと準備してきた。トレーニングもし身体も絞った。予備日を入れて14日間という休み。仕事のこと、体力を考えるとこれが最初で最後のチャンス。この先機会が訪れることは決してない。
出発の3日前。同僚であり友人であり、時たま山にも一緒に登るt2mountに辛く悲しい出来事が突然起きた。t2とは職場では二人三脚のような形で仕事を進めている。自分が長期間休めば職場内の面倒なことが奴に集中するのはわかっていた。それに加えさらに…。
そんななかで自分が出した結論はこうだった。
「山行くのやめるから、お前が代わりに休んでお母さんの看病に専念しな」
でも奴は首を縦に振らなかった。奴が首を縦に振らないのは最初からわかっていた。長い付き合いだ。奴の性格は隅々までわかっている。それでもそうしたかった。
これ以上ない辛い状況にも関わらず僕の背中を押してくれたt2に、「必ず無事に下山して、今度は俺が全力でサポートするから」と約束し山に向かった。
■7/24(火) Day1 =焼岳から西穂山荘へ。灼熱の1日=
いよいよスタートの日だ。昨夜は松本の実家に泊まった。
本心では行って欲しくないのだろう。でも「お前は絶対無理しないのはわかっているから」と母は言ってくれた。この言葉を聞いて、自分の今までの山歩きは間違っていなかったと思った。
朝5時。まだ寝ている両親を起こさぬよう、静かに玄関のドアを閉めた。
実家からタクシーで松本BTに向かう。松本BTからはバスで中の湯に行き、そこから登山口まではタクシーだ。釜トンネル前のバス停ではMaieさんと待ち合わせていた。
今回Maieさんとはたまたま夏休みが被り、西奥をサポートしてくれる事になった。本当は自分の歩きたいルートがあっただろうにルートをあわせてくれた。本当にありがたい。
登山口に着き準備を整えいよいよスタートだ。焼岳は今回で3回目。今までキツイ山と思った事がなかったので高を括っていたのだが、敵は焼岳ではなく暑さだった。中の湯から焼岳に登っている途中から既に「これはおかしい…。普通じゃない」という感覚はあった。暑さのせいか異常に水分が欲しくなり、焼岳小屋でリンゴジュースをガブ飲みし生き返ったと思ったのだが、結果的にそれがアダとなった。
焼岳小屋から西穂山荘に向かう途中、突然の嘔気そして嘔吐。先程飲んだリンゴジュースを半分ほど吐いた。
「この旅、初日で終わった…」
吐きながら考えてたことだ。
焼岳小屋に戻ってそこで泊まるか、上高地に下山するのを本気で考えた。そのくらい最悪な状態だったが、気持ち悪い時は吐け!吐いたらスッキリし、太陽が雲に隠れ少し涼しくなるという幸運もあり、なんとか西穂山荘まで到着できた。
テントを張って小屋で夕飯。今回は食料を減らすために小屋飯が食べられる所では積極的に利用する計画だ。金はかかるが背に腹は代えられない。11日分の食料をまともに持っていったらザックの重さは24-25kgは軽くいくだろう。その重量で西奥を越える自信はない。
西穂山荘の食事は素晴らしく美味しかった。Maieさんに「食べるの早くない?」と指摘される程、いつも通りに食べた。さっきまで吐いてたのに普通に食べている自分に呆れた。ご飯もおかわりした。いつも通りの自分に逆に安心した。
これなら明日は大丈夫だろう。
■7/25(水) Day2 =西穂から北穂まで。勝負の1日=
今日は勝負の日だ。毎年のように登山者が滑落死している西奥縦走路。そこを越えなければ日本海にはたどり着けない。
しかもテント泊装備だ。軽装ならなんとかなる自信はあったが、重いザックは不確定要素だ。でも自分はテントを担いでずっと歩いてきた。だから自分のスタイルを捨てて軽い装備で西奥を越えたとしても、自分にとっては価値がない。
西穂までは二度と行ったことがあるのでサクサク進む。でもその先は踏み出したことはない。やはり不安が募る。Maieさんに「先に行ってくれない?」と頼んだら即却下された…。 「それじゃ一人で行くのと変わんないじゃーん」と思いつつも、「こうなったら四の五の言っても仕方ない」と覚悟を決めた。でも後から思えば先に行かせてもらってよかった。「自分で歩いた」そんな感覚を持つことができた。Maieさん、ありがとう。
西穂の先へ歩き出す。テント泊のザックの重さは不思議と気にならない。ずっとこれで歩いてきたからこの重さがもはやデフォだ。むしろ18kg台なら軽いほうだ。無我夢中で両手両足フル稼働で岩をよじ登っていたら、あっという間にジャンダルムに着いた。
正直に言うと、西穂からジャンダルムまで怖いと思う箇所はひとつもなかった。このくらいの道は北アのそこらじゅうに転がっている。ただそれがひたすら延々と続く道に精神的に体力的に耐えられるかが、西奥を歩く上で必要なんだと思った。
でもジャンダルムから奥穂は怖かった。正確に言うと怖いというより意味が不明だった。ジャンダルムの基部からの奥穂側への下降。ロバの耳。そして馬の背。
「なんでこんなところを跨って進んでんの?」という感じだった。「こんな所わざわざ通らなくても下の巻き道通りゃいいじゃん」とあるはずのない巻き道さえ幻覚で見えてくる始末。Maieさんがいなかったら幻覚の巻き道に進んでいるところだったかもしれない。巻き道好きにも程がある…。
そんな馬の背を越え奥穂に到着。まだ旅は始まったばかりなのに、何故かこみ上げてくるものがある。Maieさんに恥ずかしい姿を見られてしまった。ようやく旅の第一歩かつ最難関をこえ安堵したのだろうか。
そのあとは一気に北穂まで。疲れが溜まってきたなかでの涸沢岳からの下降はキツかった。しかしそれ以上にキツかったのが、北穂のテン場と小屋の距離だった。ロケーションは最高だが、トイレに片道20分のガレ場の登り下りは厳しい。
翌朝までトイレは我慢した。
■7/26(木) Day3 =北穂から大キレットを越え双六まで=
今日は北穂から大キレットを越え、双六小屋まで行く。大キレットは南下した事はあるが北上するのは初めてだ。
午前3時過ぎ。暗闇のなか北穂から下降開始。大キレットを北上する上で一番のポイントはココだと思っていたのだが、案の定、一瞬ヒヤリとする事があった。三点支持中に次のホールドを探すため顔の向きを変えた時、重いザックが遠心力になって身体が振られ足が滑り、ほんの一瞬両手で垂直の岩場にしがみつく形になった。
「やばかった…」 ココで落ちれば確実に死んでいた。
そこからは慎重に慎重を重ね、飛騨泣きも問題なく突破。長谷川ピークは南下した時はビビって固まったが北上する分には怖くはない。なんなく突破し大キレットの底へ。そこからは北アの普通の縦走路。立ちはだかる南岳の岩壁に圧倒されながらも南岳小屋に無事着いた。
ここまでサポートしてくれたMaieさんとはココでお別れ。自分の歩くペースに合わせてもらっていてはMaieさんの山行に支障が出る。心強いサポートに感謝をこめて別れの握手。力強く歩いて行くMaieさんを見送る。
いよいよ一人旅が始まる。いつも通りダラダラといきたいところだが、今日中に双六小屋まで行かないと行程が大きく崩れる。
とはいえやはりダラダラだ。幸いにして標準CTよりは大分早く進んで来ているので、中岳直下の雪渓の雪解け水で喉を潤し、髪を洗い、着ていたTシャツを脱いで身体を拭き洗濯タイム。夏の時期は化繊のTシャツなら着干しですぐ乾く。むしろ火照った身体を冷やしてくれる。
心身ともにリセットし槍ヶ岳へ。槍ヶ岳はもう何度登ったか忘れたぐらい登っているので正直どうでも良かったのだが、空いていたのでチャッチャと登って降りた。しかし早すぎたので槍ヶ岳山荘で牛丼を食べるつもりが食堂のオープンまで30分も時間が空いてしまった。牛丼には未練があったが、ココで30分ダラダラしてても仕方ないので先に進む。
西鎌尾根を下っていくと、大好きな黒部源流域の山々が眼前に広がってくる。黒部源流域の山々は自分にとっては言わばホームマウントだ。GWにはテントを担ぎ山スキーで旅をした。おもわず口から「ただいま」という言葉が口から出た。
しかし今日は暑い。飛騨側から猛烈な熱波が襲いかかる。信州側から吹き上げる冷気がなかったら熱中症でダウン寸前だった。
そんな猛烈な暑さのなか双六小屋に到着。時間的には三俣まで行けそうだったが暑さにギブアップ。双六にテントを張る事にした。
北アルプスの岐阜県側の入口である双六小屋は相変わらず賑わっていた。双六小屋はロケーションは素晴らしいのだが、この下界の香りがする雰囲気がとても苦手だ。ガヤガヤと煩いテン場。だから双六のテン場ではできるだけ喧噪から離れた池の端にいつも張る。そして心閉ざす。
しかしうれしいサプライズもあった。南岳で握手して別れたMaieさんがなぜか来た。あれから槍ヶ岳→中崎尾根→わさび平→鏡平と歩き、時間があったので双六小屋まで登ってきたそうだ。そして明日は笠ヶ岳に向かいクリヤ谷経由で下山するという。赤線繋ぎのためとはいえ、ホント意味不明なルート取りだ。そして相変わらずの馬並みの体力だ(笑)
再びMaieさんと乾杯し、長かった1日を終えた。
■7/27(金) Day4 =双六から烏帽子まで。一人旅のはじまり=
夜明け前。一足先に出発するMaieさんを握手で見送る。今度こそのお別れの握手だ。そして今度こその一人旅だ。テントを撤収し双六岳に向かう。
双六岳から三俣蓮華への続く稜線。この稜線は何度歩いたのか記憶がないくらい歩いている。おそらく両手の指では足りないだろう。北アで歩いた稜線でまず思い出すのがこの場所だ。慣れ親しんだ道で朝日を右頬に浴びながら歩いていると、ようやく心が解放されていくのがわかる。
「ただいま」
三俣蓮華、鷲羽岳と順調に歩く。水晶小屋ではいつもの力汁を頂く。水晶岳は何度も登っているので今回はパスだ。水晶岳より力汁。うん、いつもの自分だ。
しかしここからがきつかった。実は昨日から両足に靴擦れが出来ていた。今まで1週間程度の縦走は何度もしてきたが、山で靴擦れが出来たのは初めてだ。履きなれてるはずの3シーズンめのブーツなのに、理由が全くわからない。しかも右足の小指にも痛みが出始め、一歩一歩歩くたびに痛みが走る。「まだ1週間あるのに…」不安が募る。
今日は天気がいい。強烈にいい。当然、灼熱地獄だった。水晶小屋から真砂岳分岐までの岩地獄を過ぎれば快適高速道路のはずだったのだが、暑さ、足の痛み、4日間の疲れのせいかペースが上がらず、この区間CTをオーバーした。
「明日は台風が来る。大丈夫か?俺…。」
烏帽子小屋に着きテントを張り、靴を脱いで右足の小指を見ると、触るだけで激痛が走るほど赤く腫れ上がっていた。自分でなんとか処置をしなければならない。テープ剤を冊状に切って小指に巻きつけた。
「これでなんとか炎症が治まればいいが…」
■7/28(土) Day5 =烏帽子から船窪小屋まで。台風襲来=
小指はまだ痛むが昨日より腫れは少しひいた。痛くても何でも先に進まなければならない。
今日は船窪小屋までのショートトリップだ。しかしショートとはいえ北アルプスで最も崩落が進む隠れ難所筆頭と噂の区間だ。しかも最悪なことに台風がやってくる。烏帽子小屋で停滞するか先に進むか悩んだあげく、烏帽子を早出して昼前に船窪小屋に入り、台風をやり過ごせばなんとか大丈夫だろうと判断し歩き出した。
歩き始めは雲間から朝焼けも見えた。「なんとか天気は持つかな?」と思っていたが、空からポツポツと降り出した。最初のうちは「砂埃に汚れた靴と服の洗濯だ」と喜んでいたのだが、次第に本降りに。しかも最悪なことに靴にも浸水。ゴアテックスが完全に機能破綻しているようだ。
雨のなかの難所歩きは心身ともにキツかった。南沢岳-船窪岳間はいわば「砂と土の大キレット」だった。
次第に風雨が強くなってくる。東側の崩落地側からの風で助かった。逆向きの風だったら厳しかったかもしれない。途中からは何も考えずひたすら歩いた。風雨のなか、クマ鈴の音がリズミカルに響く。
全身ずぶ濡れになりながらも、計画通りに昼前に船窪小屋にたどり着いた。本当はテン泊の予定だったが、台風の進路予想から計画を練り直し2日前に小屋を予約してあった。小屋番さんによると台風で30人以上のキャンセルが出たそうだ。
乾燥室で濡れた服を乾かしたかったが、ささやかな小屋だ。そんなものはない。しかしそれ以上に温かく穏やかな時間を過ごすことができた。
小屋泊まりの登山者は自分の他にはソロの男性3名と2組のご夫婦だけだった。自分と同じく縦走中の方もいれば、今日から登山という方もいる。共通するのは台風が来る日に山にいる。普通じゃない人たちだ。つまり自分と同類だ。
そんな皆さんとのひと時はとても楽しかった。越冬ビールを飲みながら語らう。みんな酒飲みだ。自分と同類だ。越冬ビールが300円と安いこともあって、みんなガバガバと飲む。つられて自分もガバガバ飲む。
なかには日本酒3升を担いで縦走している同年代のご夫婦もいた。3合ではない。3升だ!ザックの重さはご主人が30kg、奥様が20kg。すごすぎる。普通じゃない!普通じゃないという点では、自分と同類だ。
もう一組のご夫婦の、「不帰嶮で熊に遭遇し妻を盾にして逃げた話」には爆笑した。
台風が接近するなかの厳しい行程だったが、楽しい皆さんと過ごし、心のこもった美味しい料理と温かな布団に、心身とも休むことが出来た1日となった。
■7/29(日) Day6 =船窪から種池まで。暴風雨のち涙=
予報では台風は遠ざかり、朝から晴れるはずだった。実際、台風は夜半には通り過ぎ、風雨も収まりかけていた。
今日は種池山荘まで。CT上では全日程中、最も長い1日だ。朝3時に出発する計画だった。でも今日は小屋泊。あまり早く出ては他の方に迷惑がかかる。それに外はまだ小雨が降っていた。天候の回復が遅れているのだろうか。結局出発を1時間半遅らせ小屋を出た。
歩き出しは霧雨だった。風も時折強まる程度で歩行に支障はない。「これなら大丈夫だ」そう思った。
北葛岳を過ぎ、蓮華の大下りに向かう。大下りと言っても北上するので大登りだ。北葛岳までは以前歩いた事があるが、北葛岳〜蓮華岳間は初めて歩く。
北葛乗越に到着した。目の前には蓮華の大下りの大岩壁。これは予想していなかった。今回の旅で最も登り返しがキツイ場所だというのはわかっていたが、これ程の大岩壁とは思っていなかった。
ストックをしまい岩に取り付く。がむしゃらに登る。しかし風雨が段々と強まる。背の高いハイマツに身を隠すようにしてレインウェアを着た。
風雨はさらに強まり土砂降りになった。心が折れかける。それもそうだ。今日は晴れると思って歩き出したのだから。ヤマテンでもGPVでも晴れ予報だった。それが土砂降りだ。泣きたくなった。でももう引き返す事は出来ない。必死に岩を登り続け、蓮華岳の山頂に到着した。
ここでスイッチが入った。モード反転。ビーストだ。今まで感じた事がないくらい一歩一歩が強く早い。昨日たっぷりと休養したせいだろうか。
針ノ木小屋で停滞するという選択肢は自分の中には既にない。どうせ全身靴の中までずぶ濡れだ。天気もこれ以上悪くはならないだろう。何がなんでも種池まで歩いてやる。
針ノ木小屋で小休憩し、針ノ木岳に向かう。いつのまにか雨は小康状態になり、太陽の光で一瞬雲が透ける。
「針ノ木岳に着く頃には雲も取れるかな」
そんな淡い期待は暴風雨に吹き飛ばされることになるとは、この時はまだ思ってはいなかった。
針ノ木岳を通り過ぎ、スバリ岳へと向かう。雨で濡れた岩場は辛い。しかも天候は回復するどころか再び荒れだした。谷からは猛烈な風が吹き上がってくる。途中まではせめて山頂標だけでも写真に撮ろうと思っていた。でもそんな気力も余裕も暴風雨にかき消された。耐風姿勢をとりながら、レインウェアのフードを必死に抑えながら歩く姿はまるで亡霊のようだと、もう一人の自分が思った。
新越山荘に着いた。でも一度休憩したら再び歩き出す気力はもう残っていない。足を止めずそのまま通り過ぎた。
「大丈夫。体力はまだ十分残っている。」
辛うじで保っている気力をここで途切れさせるわけにはいかなかった。
岩小屋沢岳に到着した頃、ようやく雨が上がった。しかしまだ濃いガスは取れない。
「これでようやく収まるのか?」
そう思ったが、信州側から猛烈な風と共にガスがさらに吹き上がってきた。ひたすら風に耐えて歩いた。短いコルではさらに風は強まる。息を止め腰をかがめ、よろめきながらも足早に通過した。
しばらくするとようやく風も収まりかけてきた。そんななか、前方から一人の男性が歩いて来た。長野県警の山岳救助隊の方だった。山のスペシャリスト中のスペシャリストだ。こんな悪天候の中でも登山者の安全のためにパトロールしてくださっている。いや、こんな状況だからこそかもしれない。多くの方の見守りがあって僕らの登山が成り立っている。あらためてそう思った。
山岳救助隊の方の「あと小屋まで1時間ですね!」という言葉に勇気をもらい先に進む。谷から吹き上がるガスの中を歩き続け、稜線が北東から東に向きを変えた時、ガスが一気に晴れた。そして眼下に見えたのは…
故郷の街、父と母が暮らす街、松本だった。
感情が一気に揺さぶられた。そして抑えきれず一気に溢れだした。自分が思っている以上に今日はきつかったんだろう。
「何やってるんだろう。俺は。親に心配かけて、こんな所で…」
その場で声をあげて泣いた。声をあげて泣くなんていつ以来だろう。
ひとしきり泣いたあと顔をあげると、遥か遠くに日本海がみえた。この旅で初めて目にした海だ。
「今、ここで下りる訳には絶対にいかない。必ず日本海までたどり着く」
今まで以上に強く思った。
■7/30(月) Day7 =種池から五竜へ。抜けた棘=
台風一過。まさにそんな朝だった。
今日は種池から五竜まで向かう。爺ヶ岳を過ぎたあたりで御来光を迎えた。下界の松本平には雲海が蓋をしている。そんな雲海を朝日が染めていく。
今日歩く八峰キレットは初めての道だ。もっと前に歩くつもりだった。でも以前、八方尾根で出会い握手をして別れた人が、その翌日ここで滑落死した。それ以来ずっと心に刺さった棘になっていた。あの時の握手の感覚はまだ手にこびり付いたままだ。
鹿島槍の山頂で気合いを入れ先に進む。そしてキレットの核心部とされる場所へ。通過して思ったのは「なぜここで…」ということだった。でも生死を分けるのは、ほんの僅かな差なんだろう。
核心部を過ぎキレット小屋で大休憩。大休憩時には靴を脱ぐことにした。そうでもしないともう足が持たない。左足の靴ずれは治りかけている。
「傷が癒えるほど長く歩いてきたんだな」と思った。西奥で岩にぶつけた膝や脛のアザもいつのまにか薄くなっている。
でも右足の踵はまだジクジクし、小指のマメはついに潰れた。「足先の痛みにもロキソニンは効くのだろうか」そんな事をふと思った。
キレット小屋からも岩場が延々と続いた。大キレットや不帰キレットは普通に歩ける箇所も多い。しかし八峰キレットはポイント毎の難度は低いかもしれないが、それが延々と続く感じがある。体力的にも精神的にも持久力が試される所だと感じた。
G5を過ぎ、五竜の本峰にようやくたどり着いた。ここまで来れば五竜山荘はあと少しだ。ガスが沸いてきたが今日は雨は大丈夫だろう。もう雨は勘弁だ。例え小雨だろうとも。
靴の中は昨日の雨で湿ったままだ。
旅を終えるまでに乾くのだろうか…。
■7/31(火) Day8 =五竜から白馬へ。ようやくの自分らしい旅=
今日は五竜から白馬まで歩く。入山してから本当にハードな行程が連日続いてた。今日は標準CT10h40と短めな行程なので気持ち的に余裕がある。
不帰キレットは北アルプスを代表する難所のひとつだが、以前越えたことがある。晴れてれば難所と呼べる箇所は殆どないので少し気が楽だ。そのせいかやっと自分らしい旅をしている気がする。道すがら時間を気にせず立ち止まり、その景色にしばし身を置く。
不帰を無事通過し天狗平では大休憩。服を脱ぎ雪解け水で洗濯した。居合わせたカップルの方とソロの関西の男性の方としばし会話を楽しんだ。カップルの方に歌舞伎揚とハッピーターンとホームパイを頂いた。そうだ、忘れちゃいけない、レモンの砂糖漬けももらったんだった。
そして日本海まで行く僕に沢山のエールも頂いた。一期一会。こうして垂直移動、水平移動は旅になっていくんだろう。
天狗平をあとにし、美しい白馬の峰々を進む。
「やはり自分は乾いた岩山は好きではない。こういう山歩きが好きなんだ。」あらためてそう思った。
白馬岳頂上宿舎に着きテントを張り、小屋の食堂で貪るように飲んで食った。全ての難所が終わった安堵感だろうか。いや、ただ単に腹が減ってたんだろう。t2にLINEで送ったら「居酒屋?」と返信が来た。
「そういや昔、あいつとココで今回と同じように飲み食いしたな。唐揚げがうまかったな」
そんな事を思い出した。
貪り食ったあとは腹ごなしの散歩。ビーサンに半袖Tシャツと短パンという格好でテン場裏の小山まで歩く。ビーサンが踵をペタペタと叩く音が心地いい。
山が斜陽に染まり、草花が風にそよいでいる。
湧きたつ雲で太陽が遮られ、光芒が生まれる。
「ようやく自分の旅が出来た」
そう思った1日だった。
■8/1(水) Day9 =白馬から朝日小屋へ。海に沈む夕日=
今日は白馬から朝日小屋まで。今日もショートトリップだ。どんなにゆっくり歩いても15時には朝日小屋には着ける。なので昨夜は目覚ましをかけずに寝た。さすがに7時8時まで寝てることはないだろう。
目覚めたのは4時。「もうちょい寝てても良かったのになぁ」
テントをダラダラ撤収しながら隣のシニアのご夫婦とコミュニケーション。お二人は今日は栂池に下山するそうだ。
「焼岳から日本海目指して歩いてるんです」と言うとエールとともに餞別にワカメご飯のα米を頂いた。「重くなっちゃったらゴメンね」と言われたが、その100gの重さにお二人の温かい気持ちを感じた。
栂池に向かうお二人を見送り、僕も白馬岳へ。そしたら白馬岳の山頂で二期二会(笑) 結局お二人と30分以上晴れ待ちし、「劔が見えた!」「槍の穂先が見えました!!」と楽しい時を過ごす。
山頂標でご夫婦と写真の撮り合いしていると、「私も撮ってもらってもいいですか?」とトレランの女性に声をかけられた。
今日は猿倉から大雪渓を登り、白馬三山を周回して鑓温泉経由で猿倉に戻るそうだ。本当は新穂高発の槍ヶ岳→南岳日帰り周回をする予定だったとのこと。どちらにせよスゴイ。
「どちらまで?」と聞かれたので「日本海まで行きます」と答えると、「なにそれ、うらやましすぎる!!」と言われた。
この旅で出会った方に、「焼岳から日本海まで歩いているんです」と言うと、皆さん一様に「いいなぁ」「うらやましい〜」と言う。「うらやましい」と言われる旅に挑戦できていることに、素直にうれしさを感じた。単純である。
「日本海」という響きにはロマンがある。もちろん「太平洋」という響きにもロマンがある。でも日本海という言葉には、どことなく憂いが帯びる。そんな日本海に向かう気持ちには、やはりどことなく憂いが帯びる。それがこの旅を深くしてくれる、そんな気がする。
そのトレランの女性は化粧気の全くない、ソバカスだらけの生き生きとした笑顔が本当に素敵な方だった。自分の生き方に自信を持っている人の笑顔だった。山では素敵な人と出会える。
そんなお三方と別れそれぞれの道へ。颯爽と白馬岳から駆け下りて行く女性を見送り、ご夫婦に「またどこかで!」と見送られながら僕は三国境へ向かう。またどこかなんてないのはわかっている。でも、山ではこれ以上ない素敵な別れ言葉だ。
「またどこかで!」
白馬岳でのそんな出会いと別れの後は、朝日小屋へ。その道を歩きながら思ったのは、「やっぱこういう道が好きだ」ということだった。
槍穂高に代表される岩山は好きではない。岩で形作られた潤いのない山。もちろんそういう山の存在が北アルプスを他の山に比べ際立って美しい山脈にしているのはわかる。でも好きではない。眺めるだけでいい。
思えばここまでの旅は岩山を繋ぐ旅だった。槍穂高。水晶から裏銀座。蓮華の大下りに針ノ木。鹿島槍から五竜。そして不帰。どれもこれも鼻歌を歌いながら歩ける道ではない。岩を掴み「コンチクショー」と身体を持ち上げる。岩を掴んでばかりだったせいか指の皮が厚くなった。人差し指と中指ではiPhoneが起動しなくなった。
でも白馬に入ってようやく、「やっぱ自分が好きな山はこういう山なんだ」と思えた。残雪と緑色濃いハイマツ。白い山肌。
今回の山旅はチャレンジだった。チャレンジは一度きりでいい。もう二度とこういう山旅はしたくない。そんな事を考えながら、思いながら朝日小屋に着いた。
テントを張って小屋で夕飯を頂き一人テン場で飲んでいると、白馬のテン場で昨日見かけた男性に話しかけられる。
自分と同じくらいの歳かなと思っていたら、新聞社を早期退職されて今は58歳との事。今は「自由人です」と話していた。「自由人」という言葉に悲哀は全くない。そして信じられないくらい若く見える。日焼けした肌は引き締まりシワも全くない。早期退職の理由として「北アルプス長期縦走」と書いてしまったから北アルプスに来てみたと言っていた。(笑)
僕は普通という言葉がキライである。「あなた普通だよね〜」なんて言われた日にゃ舌を噛み切って死んだ方がマシだ。不思議と山で会話が弾むのはきまって「普通じゃない」人達だ。まあそもそも山をやってる時点で「普通じゃない」んだろうけど。
その男性との会話はとても楽しかった。なぜなら「普通じゃない」人同士の会話だからだ。
今日はイイ一日だった。
■8/2(木) Day10 =朝日小屋から栂海山荘へ。海へと続く道=
今日から2日間歩く栂海新道。日本海へと続く道だ。この旅もあと2日で終わりを迎える。歩き出したのは10日前。10日も山を歩き続けたらどうなるだろうかと思っていたが案外まともだ。
今日のCTは栂海山荘までの9時間くらいのショートトリップだ。だからゆっくり出発し、一番最後にテン場を出た。
先に朝日小屋を出発した人たちはみんな蓮華温泉に下って行く。栂海新道に踏み入ったのは僕一人だった。「下手したら今日は誰とも会わないかもしれない」そんな気持ちで歩いていく。
今回栂海新道は初めて歩いた。朝日岳から黒岩山までは想像以上に天国だった。残雪に美しい池塘、そして湿原。岩山とは別の北アルプスのもう一つの顔である、たおやかで優しく美しい景色が満載の道だった。まさに鼻歌ロードだ。
しかし鼻歌は黒岩山まで。そこからは灼熱アップダウンの道だった。行程自体は大したことはない。敵は暑さだ!太陽だ!! 照りつける太陽に対して考えつく限りの罵詈雑言を吐きながら歩いた。しまいにゃ「太陽死ね!」とまで言った。
でも太陽はこんな小男の罵詈雑言などどこ吹く風。「お前が死ねや!」と言わんばかりに照りつける。「死んでたまるか!こちとら日本海にダイブするんじゃい!」とめげずに歩く。
途中、サワガニ山で休憩していると一人の男性に追いつかれた。聞けば白馬のテン場を2時半に出て歩いて来たという。早い。タフだ。
「後ほど栂海山荘で!」と男性に言い、一足お先に行く。今日は一人だと思っていたのでうれしい出会いだ。
その後も太陽との罵詈雑言合戦を繰り広げ、無事、栂海山荘に到着。予想はしていたが誰一人いない。
山荘前の草地にテントを張っていると先程の男性が到着した。栃木から来た男性で自分より一回りほど若いかなという印象。落ち着いた好青年という風貌だ。2泊3日で大雪渓から白馬朝日を経て日本海まで歩くという。
「なぜ栂海新道に?」と聞くと、北アルプスはほとんど歩き尽くしたからここに来たとの事。類友。
一通り話した後は過干渉はしない。自分の世界がある。自分だけで過ごしたい時がある。類友。
ソロでテント担いで旅する人間は、結局のところ一人になりたいのである。
心地よい距離感のあるその男性との二人きりのテン場は、とても穏やかで最後の夜に相応しい夜になった。
■8/3(金) Day11 =栂海山荘から日本海へ=
最後の日だ。「いよいよ」なのか「ようやく」なのかよくわからない。
ひとつ言えるのは、今日は最後の日ということだけだ。明日はもう歩かなくていい。それが「うれしい」のか「さみしい」のかも、よくわからない。
朝3時半すぎ。生暖かい風に吹かれながら栂海山荘をあとにした。あと7〜8時間でこの旅も終わる。11日前に歩き始めた時から、この旅をどういう形で終えるのだろうと思っていた。一人?それとも旅は道連れ?
昨夜テン場で一緒だった男性は、白馬まで車を回収しに行かなければならないとのことで、3時前には出発していった。どうやらこの旅は一人で終わりを迎えることになりそうだ。
犬ヶ岳からの道は下山路ではあるが、ただ下る道ではない。下っては登る、下っては登るの繰り返しだ。まるで365歩のマーチだ。高度計が30m下がるたびに海に近づき、20m上がるたびに遠のく。
海抜1000mで雲海に入った。当たり前だが日本海との標高差は1000mだ。「東京タワー3つ分か…」 そんな事を考えながら下る。
残り900m、800m、腕時計の高度計が示す。基本ニュートラルな気持ちだ。でも時折、堰を破ろうとするように感情の水位が上がっては下がる。
途中、坂田峠で往時の古道、北陸街道と交差した。信越トレイルを思い出した。しばらく山は歩きたくない。でも里や野原を歩いてみたい気もする。この旅が終わったらゆっくり考えればいい。
坂田峠から尻高山に向かって登り返すと、一段海が近づいた気がする。海の近くの森というと伊豆半島や伊豆諸島の森を思い出す。硬く艶のある葉。曲がりくねった幹。
でも日本海へと続く森は、意外にもブナの森だった。雪が多い地帯だからだろうか。気温はまだそれほど高くはなかったが、海が近いせいか湿気が多く全身汗でびしょ濡れだ。海に飛び込む前にびしょ濡れになるとは思わなかった。
標高を下げるにつれ、視界の端に海の気配を感じる。でもあえて見ない。足元だけを見て歩く。いっそのこと目隠しして歩きたい気分だ。
感情を押しとどめる堰は決壊寸前だ。目から鼻からダダ洩れだ。ティッシュがいくらあっても足りない。それにいちいち鼻をかんでいる暇はない。ズルズル啜っていたが、ふと思いつき鼻の片方を塞いで勢いよく噴射してみた。
「その液体が描く放物線は、栄光への架け橋だー」んなわけない。でも思いのほかキレイにその液体は飛んで行った。悪臭を放ちながら歩く汚い男の戯れだ。
8〜9日目くらいまでは臭いは気にならなかった。水場があればそのたびに身体を拭き、服を洗濯し着干ししながら歩いたせいもあるかもしれない。しかし昨日あたりから自分でも感じるくらい臭いだした。臨界点突破だ。なので鼻水を吹き飛ばしながら歩いても、その汚さにもう大した差はないだろう。
ただこれだけは自己保身のために言っておく。下山後、日帰り入浴したホテルの御主人からは、「焼岳から歩いてきた割には全然臭わないよ。普通もっとすごい臭いしているから。肌も日焼けはしているけどボロボロになっていないし。キレイなもんだよ」と言われたことだけは記しておこう。
そんなバカな事をやりながらも海は近づく。
登山道は終わり国道8号線に着いた。この道を渡れば親不知だ。通行量が多い。ダンプがバンバン通り過ぎる。ココで轢かれたら笑えない。
道路を渡った先にある公衆トイレの脇に、日本海・栂海新道起点を示す糸魚川ジオパークのガイドポストがあった。起点まで距離400m、高低差80mだ。
海岸まではコンクリートの長い階段を降りる。ザックをデポすることも考えたが、「ここまで来てそれはない」とそんな考えは一瞬で消えた。
一段、また一段。海まで続く階段を左足の横に右足をそろえるように半歩ずつ降りていく。階段を片足一段ずつ下りる力はもう残っていない。
感情が高まるかと思ったが、不思議と高まりは落ち着いていく。
「おっかしいなぁ、さっきまで垂れ流しだったのに…」
たどり着いた親不知の海岸は丸石の海岸だった。丸石に足を取られながらも波に近づく。
130km、背負い続けたザックを傍らに置いた。
汗がしたたり落ちるバイザーとサングラスも置いた。
Tシャツも脱いだ。今思えば脱ぐ必要なんてなかった。どうせ汗でずぶ濡れだったんだから。
ズボンは?これは絶対に脱げない。下はミレーのスケスケ変態網パンツだ。公序良俗に反する。多分…(笑)
靴も脱いだ。海水で濡れた重い靴を持って家に帰るのは勘弁だ。せっかく乾いた靴だ。
そして静かに海に分け入る。波は穏やかだったが、ゆらりゆらりと押し戻され、そして引き込まれる。
静かだった。もっと感情が溢れだすかと思っていた。”無”に近い状態だった。
海に顔をつけてみた。その時はじめて、「必ず無事に下山する」という約束を果たせたと思った。
と同時に堰をきったように感情が戻った。
そして海に向かって叫び、飛び込んだ。
■あとがき =旅を終えて=
旅を終えて今思う事。
焼岳から日本海まで歩ききり、心を支配しているもの。なぜかポジティブな感情はまったくありません。
「うれしい」という喜びも、「やりきった」という充実感も達成感もありません。どうやら親不知の海に飛び込んだ時、全部置いてきてしまったようです。
旅のことを思い出すと湧き出してくる感情は”喪失感”。それが今一番しっくりきます。
2013年、大雪山を旭岳から富良野岳まで歩ききった時もそうでした。
その時レコに記したのは、「でもこれから先、これ以上の山旅はできるのだろうか…。」そんな言葉でした。
今回の旅は5年前に思った、”これ以上の山旅” になりました。
そして今回の旅の締めくくりに記すのは、
「これから先、これ以上の山旅はできない。それだけはわかる」
今は静かに浸りたいと思います。
次に歩きたいと思える場所が見つかるまで。今回は少し時間がかかるかもしれません。でも、きっとすぐ登りたくなる。
「センチメンタルジャーニー?」
今はそれでいいじゃないか。すべてを出しきって歩ききった者の特権なんだから。そう思いたい奴には思わせておけばいい。
****************************
今回の旅をまとめた動画を作りました。ご覧頂けたらうれしいです。
焼岳から日本海へ。北アルプス主脈をたどる旅
song by Jose Gonzalez. ♪Step Out -from LIFE!-
以下は山行中に毎日少しずつ書き留めた感想です。よって自分で読み返しても気恥ずかしくなるものになってしまいました。
レコを書いているとあの時の感情に引きずられる感じがします。いや、正確に言うと、いまだ抜け出せていない自分がいます。
なので、あの時あの場で感じたことを、いつか記憶が薄らいだ時のためにそのまま記すことにしました。山行に役立つ情報は殆ど含まれていませんので、読み飛ばして頂いても構いません。
ただもしお時間がある時にでもお読み頂けるなら、とても幸いです。
■Day0 =約束=
「いつか必ず」
そう思ってきた焼岳から栂海新道を抜け日本海の親不知へと続く北ア主脈の縦走。ようやくチャレンジする時が来た。
この日のためにずっと準備してきた。トレーニングもし身体も絞った。予備日を入れて14日間という休み。仕事のこと、体力を考えるとこれが最初で最後のチャンス。この先機会が訪れることは決してない。
出発の3日前。同僚であり友人であり、時たま山にも一緒に登るt2mountに辛く悲しい出来事が突然起きた。t2とは職場では二人三脚のような形で仕事を進めている。自分が長期間休めば職場内の面倒なことが奴に集中するのはわかっていた。それに加えさらに…。
そんななかで自分が出した結論はこうだった。
「山行くのやめるから、お前が代わりに休んでお母さんの看病に専念しな」
でも奴は首を縦に振らなかった。奴が首を縦に振らないのは最初からわかっていた。長い付き合いだ。奴の性格は隅々までわかっている。それでもそうしたかった。
これ以上ない辛い状況にも関わらず僕の背中を押してくれたt2に、「必ず無事に下山して、今度は俺が全力でサポートするから」と約束し山に向かった。
■7/24(火) Day1 =焼岳から西穂山荘へ。灼熱の1日=
いよいよスタートの日だ。昨夜は松本の実家に泊まった。
本心では行って欲しくないのだろう。でも「お前は絶対無理しないのはわかっているから」と母は言ってくれた。この言葉を聞いて、自分の今までの山歩きは間違っていなかったと思った。
朝5時。まだ寝ている両親を起こさぬよう、静かに玄関のドアを閉めた。
実家からタクシーで松本BTに向かう。松本BTからはバスで中の湯に行き、そこから登山口まではタクシーだ。釜トンネル前のバス停ではMaieさんと待ち合わせていた。
今回Maieさんとはたまたま夏休みが被り、西奥をサポートしてくれる事になった。本当は自分の歩きたいルートがあっただろうにルートをあわせてくれた。本当にありがたい。
登山口に着き準備を整えいよいよスタートだ。焼岳は今回で3回目。今までキツイ山と思った事がなかったので高を括っていたのだが、敵は焼岳ではなく暑さだった。中の湯から焼岳に登っている途中から既に「これはおかしい…。普通じゃない」という感覚はあった。暑さのせいか異常に水分が欲しくなり、焼岳小屋でリンゴジュースをガブ飲みし生き返ったと思ったのだが、結果的にそれがアダとなった。
焼岳小屋から西穂山荘に向かう途中、突然の嘔気そして嘔吐。先程飲んだリンゴジュースを半分ほど吐いた。
「この旅、初日で終わった…」
吐きながら考えてたことだ。
焼岳小屋に戻ってそこで泊まるか、上高地に下山するのを本気で考えた。そのくらい最悪な状態だったが、気持ち悪い時は吐け!吐いたらスッキリし、太陽が雲に隠れ少し涼しくなるという幸運もあり、なんとか西穂山荘まで到着できた。
テントを張って小屋で夕飯。今回は食料を減らすために小屋飯が食べられる所では積極的に利用する計画だ。金はかかるが背に腹は代えられない。11日分の食料をまともに持っていったらザックの重さは24-25kgは軽くいくだろう。その重量で西奥を越える自信はない。
西穂山荘の食事は素晴らしく美味しかった。Maieさんに「食べるの早くない?」と指摘される程、いつも通りに食べた。さっきまで吐いてたのに普通に食べている自分に呆れた。ご飯もおかわりした。いつも通りの自分に逆に安心した。
これなら明日は大丈夫だろう。
■7/25(水) Day2 =西穂から北穂まで。勝負の1日=
今日は勝負の日だ。毎年のように登山者が滑落死している西奥縦走路。そこを越えなければ日本海にはたどり着けない。
しかもテント泊装備だ。軽装ならなんとかなる自信はあったが、重いザックは不確定要素だ。でも自分はテントを担いでずっと歩いてきた。だから自分のスタイルを捨てて軽い装備で西奥を越えたとしても、自分にとっては価値がない。
西穂までは二度と行ったことがあるのでサクサク進む。でもその先は踏み出したことはない。やはり不安が募る。Maieさんに「先に行ってくれない?」と頼んだら即却下された…。 「それじゃ一人で行くのと変わんないじゃーん」と思いつつも、「こうなったら四の五の言っても仕方ない」と覚悟を決めた。でも後から思えば先に行かせてもらってよかった。「自分で歩いた」そんな感覚を持つことができた。Maieさん、ありがとう。
西穂の先へ歩き出す。テント泊のザックの重さは不思議と気にならない。ずっとこれで歩いてきたからこの重さがもはやデフォだ。むしろ18kg台なら軽いほうだ。無我夢中で両手両足フル稼働で岩をよじ登っていたら、あっという間にジャンダルムに着いた。
正直に言うと、西穂からジャンダルムまで怖いと思う箇所はひとつもなかった。このくらいの道は北アのそこらじゅうに転がっている。ただそれがひたすら延々と続く道に精神的に体力的に耐えられるかが、西奥を歩く上で必要なんだと思った。
でもジャンダルムから奥穂は怖かった。正確に言うと怖いというより意味が不明だった。ジャンダルムの基部からの奥穂側への下降。ロバの耳。そして馬の背。
「なんでこんなところを跨って進んでんの?」という感じだった。「こんな所わざわざ通らなくても下の巻き道通りゃいいじゃん」とあるはずのない巻き道さえ幻覚で見えてくる始末。Maieさんがいなかったら幻覚の巻き道に進んでいるところだったかもしれない。巻き道好きにも程がある…。
そんな馬の背を越え奥穂に到着。まだ旅は始まったばかりなのに、何故かこみ上げてくるものがある。Maieさんに恥ずかしい姿を見られてしまった。ようやく旅の第一歩かつ最難関をこえ安堵したのだろうか。
そのあとは一気に北穂まで。疲れが溜まってきたなかでの涸沢岳からの下降はキツかった。しかしそれ以上にキツかったのが、北穂のテン場と小屋の距離だった。ロケーションは最高だが、トイレに片道20分のガレ場の登り下りは厳しい。
翌朝までトイレは我慢した。
■7/26(木) Day3 =北穂から大キレットを越え双六まで=
今日は北穂から大キレットを越え、双六小屋まで行く。大キレットは南下した事はあるが北上するのは初めてだ。
午前3時過ぎ。暗闇のなか北穂から下降開始。大キレットを北上する上で一番のポイントはココだと思っていたのだが、案の定、一瞬ヒヤリとする事があった。三点支持中に次のホールドを探すため顔の向きを変えた時、重いザックが遠心力になって身体が振られ足が滑り、ほんの一瞬両手で垂直の岩場にしがみつく形になった。
「やばかった…」 ココで落ちれば確実に死んでいた。
そこからは慎重に慎重を重ね、飛騨泣きも問題なく突破。長谷川ピークは南下した時はビビって固まったが北上する分には怖くはない。なんなく突破し大キレットの底へ。そこからは北アの普通の縦走路。立ちはだかる南岳の岩壁に圧倒されながらも南岳小屋に無事着いた。
ここまでサポートしてくれたMaieさんとはココでお別れ。自分の歩くペースに合わせてもらっていてはMaieさんの山行に支障が出る。心強いサポートに感謝をこめて別れの握手。力強く歩いて行くMaieさんを見送る。
いよいよ一人旅が始まる。いつも通りダラダラといきたいところだが、今日中に双六小屋まで行かないと行程が大きく崩れる。
とはいえやはりダラダラだ。幸いにして標準CTよりは大分早く進んで来ているので、中岳直下の雪渓の雪解け水で喉を潤し、髪を洗い、着ていたTシャツを脱いで身体を拭き洗濯タイム。夏の時期は化繊のTシャツなら着干しですぐ乾く。むしろ火照った身体を冷やしてくれる。
心身ともにリセットし槍ヶ岳へ。槍ヶ岳はもう何度登ったか忘れたぐらい登っているので正直どうでも良かったのだが、空いていたのでチャッチャと登って降りた。しかし早すぎたので槍ヶ岳山荘で牛丼を食べるつもりが食堂のオープンまで30分も時間が空いてしまった。牛丼には未練があったが、ココで30分ダラダラしてても仕方ないので先に進む。
西鎌尾根を下っていくと、大好きな黒部源流域の山々が眼前に広がってくる。黒部源流域の山々は自分にとっては言わばホームマウントだ。GWにはテントを担ぎ山スキーで旅をした。おもわず口から「ただいま」という言葉が口から出た。
しかし今日は暑い。飛騨側から猛烈な熱波が襲いかかる。信州側から吹き上げる冷気がなかったら熱中症でダウン寸前だった。
そんな猛烈な暑さのなか双六小屋に到着。時間的には三俣まで行けそうだったが暑さにギブアップ。双六にテントを張る事にした。
北アルプスの岐阜県側の入口である双六小屋は相変わらず賑わっていた。双六小屋はロケーションは素晴らしいのだが、この下界の香りがする雰囲気がとても苦手だ。ガヤガヤと煩いテン場。だから双六のテン場ではできるだけ喧噪から離れた池の端にいつも張る。そして心閉ざす。
しかしうれしいサプライズもあった。南岳で握手して別れたMaieさんがなぜか来た。あれから槍ヶ岳→中崎尾根→わさび平→鏡平と歩き、時間があったので双六小屋まで登ってきたそうだ。そして明日は笠ヶ岳に向かいクリヤ谷経由で下山するという。赤線繋ぎのためとはいえ、ホント意味不明なルート取りだ。そして相変わらずの馬並みの体力だ(笑)
再びMaieさんと乾杯し、長かった1日を終えた。
■7/27(金) Day4 =双六から烏帽子まで。一人旅のはじまり=
夜明け前。一足先に出発するMaieさんを握手で見送る。今度こそのお別れの握手だ。そして今度こその一人旅だ。テントを撤収し双六岳に向かう。
双六岳から三俣蓮華への続く稜線。この稜線は何度歩いたのか記憶がないくらい歩いている。おそらく両手の指では足りないだろう。北アで歩いた稜線でまず思い出すのがこの場所だ。慣れ親しんだ道で朝日を右頬に浴びながら歩いていると、ようやく心が解放されていくのがわかる。
「ただいま」
三俣蓮華、鷲羽岳と順調に歩く。水晶小屋ではいつもの力汁を頂く。水晶岳は何度も登っているので今回はパスだ。水晶岳より力汁。うん、いつもの自分だ。
しかしここからがきつかった。実は昨日から両足に靴擦れが出来ていた。今まで1週間程度の縦走は何度もしてきたが、山で靴擦れが出来たのは初めてだ。履きなれてるはずの3シーズンめのブーツなのに、理由が全くわからない。しかも右足の小指にも痛みが出始め、一歩一歩歩くたびに痛みが走る。「まだ1週間あるのに…」不安が募る。
今日は天気がいい。強烈にいい。当然、灼熱地獄だった。水晶小屋から真砂岳分岐までの岩地獄を過ぎれば快適高速道路のはずだったのだが、暑さ、足の痛み、4日間の疲れのせいかペースが上がらず、この区間CTをオーバーした。
「明日は台風が来る。大丈夫か?俺…。」
烏帽子小屋に着きテントを張り、靴を脱いで右足の小指を見ると、触るだけで激痛が走るほど赤く腫れ上がっていた。自分でなんとか処置をしなければならない。テープ剤を冊状に切って小指に巻きつけた。
「これでなんとか炎症が治まればいいが…」
■7/28(土) Day5 =烏帽子から船窪小屋まで。台風襲来=
小指はまだ痛むが昨日より腫れは少しひいた。痛くても何でも先に進まなければならない。
今日は船窪小屋までのショートトリップだ。しかしショートとはいえ北アルプスで最も崩落が進む隠れ難所筆頭と噂の区間だ。しかも最悪なことに台風がやってくる。烏帽子小屋で停滞するか先に進むか悩んだあげく、烏帽子を早出して昼前に船窪小屋に入り、台風をやり過ごせばなんとか大丈夫だろうと判断し歩き出した。
歩き始めは雲間から朝焼けも見えた。「なんとか天気は持つかな?」と思っていたが、空からポツポツと降り出した。最初のうちは「砂埃に汚れた靴と服の洗濯だ」と喜んでいたのだが、次第に本降りに。しかも最悪なことに靴にも浸水。ゴアテックスが完全に機能破綻しているようだ。
雨のなかの難所歩きは心身ともにキツかった。南沢岳-船窪岳間はいわば「砂と土の大キレット」だった。
次第に風雨が強くなってくる。東側の崩落地側からの風で助かった。逆向きの風だったら厳しかったかもしれない。途中からは何も考えずひたすら歩いた。風雨のなか、クマ鈴の音がリズミカルに響く。
全身ずぶ濡れになりながらも、計画通りに昼前に船窪小屋にたどり着いた。本当はテン泊の予定だったが、台風の進路予想から計画を練り直し2日前に小屋を予約してあった。小屋番さんによると台風で30人以上のキャンセルが出たそうだ。
乾燥室で濡れた服を乾かしたかったが、ささやかな小屋だ。そんなものはない。しかしそれ以上に温かく穏やかな時間を過ごすことができた。
小屋泊まりの登山者は自分の他にはソロの男性3名と2組のご夫婦だけだった。自分と同じく縦走中の方もいれば、今日から登山という方もいる。共通するのは台風が来る日に山にいる。普通じゃない人たちだ。つまり自分と同類だ。
そんな皆さんとのひと時はとても楽しかった。越冬ビールを飲みながら語らう。みんな酒飲みだ。自分と同類だ。越冬ビールが300円と安いこともあって、みんなガバガバと飲む。つられて自分もガバガバ飲む。
なかには日本酒3升を担いで縦走している同年代のご夫婦もいた。3合ではない。3升だ!ザックの重さはご主人が30kg、奥様が20kg。すごすぎる。普通じゃない!普通じゃないという点では、自分と同類だ。
もう一組のご夫婦の、「不帰嶮で熊に遭遇し妻を盾にして逃げた話」には爆笑した。
台風が接近するなかの厳しい行程だったが、楽しい皆さんと過ごし、心のこもった美味しい料理と温かな布団に、心身とも休むことが出来た1日となった。
■7/29(日) Day6 =船窪から種池まで。暴風雨のち涙=
予報では台風は遠ざかり、朝から晴れるはずだった。実際、台風は夜半には通り過ぎ、風雨も収まりかけていた。
今日は種池山荘まで。CT上では全日程中、最も長い1日だ。朝3時に出発する計画だった。でも今日は小屋泊。あまり早く出ては他の方に迷惑がかかる。それに外はまだ小雨が降っていた。天候の回復が遅れているのだろうか。結局出発を1時間半遅らせ小屋を出た。
歩き出しは霧雨だった。風も時折強まる程度で歩行に支障はない。「これなら大丈夫だ」そう思った。
北葛岳を過ぎ、蓮華の大下りに向かう。大下りと言っても北上するので大登りだ。北葛岳までは以前歩いた事があるが、北葛岳〜蓮華岳間は初めて歩く。
北葛乗越に到着した。目の前には蓮華の大下りの大岩壁。これは予想していなかった。今回の旅で最も登り返しがキツイ場所だというのはわかっていたが、これ程の大岩壁とは思っていなかった。
ストックをしまい岩に取り付く。がむしゃらに登る。しかし風雨が段々と強まる。背の高いハイマツに身を隠すようにしてレインウェアを着た。
風雨はさらに強まり土砂降りになった。心が折れかける。それもそうだ。今日は晴れると思って歩き出したのだから。ヤマテンでもGPVでも晴れ予報だった。それが土砂降りだ。泣きたくなった。でももう引き返す事は出来ない。必死に岩を登り続け、蓮華岳の山頂に到着した。
ここでスイッチが入った。モード反転。ビーストだ。今まで感じた事がないくらい一歩一歩が強く早い。昨日たっぷりと休養したせいだろうか。
針ノ木小屋で停滞するという選択肢は自分の中には既にない。どうせ全身靴の中までずぶ濡れだ。天気もこれ以上悪くはならないだろう。何がなんでも種池まで歩いてやる。
針ノ木小屋で小休憩し、針ノ木岳に向かう。いつのまにか雨は小康状態になり、太陽の光で一瞬雲が透ける。
「針ノ木岳に着く頃には雲も取れるかな」
そんな淡い期待は暴風雨に吹き飛ばされることになるとは、この時はまだ思ってはいなかった。
針ノ木岳を通り過ぎ、スバリ岳へと向かう。雨で濡れた岩場は辛い。しかも天候は回復するどころか再び荒れだした。谷からは猛烈な風が吹き上がってくる。途中まではせめて山頂標だけでも写真に撮ろうと思っていた。でもそんな気力も余裕も暴風雨にかき消された。耐風姿勢をとりながら、レインウェアのフードを必死に抑えながら歩く姿はまるで亡霊のようだと、もう一人の自分が思った。
新越山荘に着いた。でも一度休憩したら再び歩き出す気力はもう残っていない。足を止めずそのまま通り過ぎた。
「大丈夫。体力はまだ十分残っている。」
辛うじで保っている気力をここで途切れさせるわけにはいかなかった。
岩小屋沢岳に到着した頃、ようやく雨が上がった。しかしまだ濃いガスは取れない。
「これでようやく収まるのか?」
そう思ったが、信州側から猛烈な風と共にガスがさらに吹き上がってきた。ひたすら風に耐えて歩いた。短いコルではさらに風は強まる。息を止め腰をかがめ、よろめきながらも足早に通過した。
しばらくするとようやく風も収まりかけてきた。そんななか、前方から一人の男性が歩いて来た。長野県警の山岳救助隊の方だった。山のスペシャリスト中のスペシャリストだ。こんな悪天候の中でも登山者の安全のためにパトロールしてくださっている。いや、こんな状況だからこそかもしれない。多くの方の見守りがあって僕らの登山が成り立っている。あらためてそう思った。
山岳救助隊の方の「あと小屋まで1時間ですね!」という言葉に勇気をもらい先に進む。谷から吹き上がるガスの中を歩き続け、稜線が北東から東に向きを変えた時、ガスが一気に晴れた。そして眼下に見えたのは…
故郷の街、父と母が暮らす街、松本だった。
感情が一気に揺さぶられた。そして抑えきれず一気に溢れだした。自分が思っている以上に今日はきつかったんだろう。
「何やってるんだろう。俺は。親に心配かけて、こんな所で…」
その場で声をあげて泣いた。声をあげて泣くなんていつ以来だろう。
ひとしきり泣いたあと顔をあげると、遥か遠くに日本海がみえた。この旅で初めて目にした海だ。
「今、ここで下りる訳には絶対にいかない。必ず日本海までたどり着く」
今まで以上に強く思った。
■7/30(月) Day7 =種池から五竜へ。抜けた棘=
台風一過。まさにそんな朝だった。
今日は種池から五竜まで向かう。爺ヶ岳を過ぎたあたりで御来光を迎えた。下界の松本平には雲海が蓋をしている。そんな雲海を朝日が染めていく。
今日歩く八峰キレットは初めての道だ。もっと前に歩くつもりだった。でも以前、八方尾根で出会い握手をして別れた人が、その翌日ここで滑落死した。それ以来ずっと心に刺さった棘になっていた。あの時の握手の感覚はまだ手にこびり付いたままだ。
鹿島槍の山頂で気合いを入れ先に進む。そしてキレットの核心部とされる場所へ。通過して思ったのは「なぜここで…」ということだった。でも生死を分けるのは、ほんの僅かな差なんだろう。
核心部を過ぎキレット小屋で大休憩。大休憩時には靴を脱ぐことにした。そうでもしないともう足が持たない。左足の靴ずれは治りかけている。
「傷が癒えるほど長く歩いてきたんだな」と思った。西奥で岩にぶつけた膝や脛のアザもいつのまにか薄くなっている。
でも右足の踵はまだジクジクし、小指のマメはついに潰れた。「足先の痛みにもロキソニンは効くのだろうか」そんな事をふと思った。
キレット小屋からも岩場が延々と続いた。大キレットや不帰キレットは普通に歩ける箇所も多い。しかし八峰キレットはポイント毎の難度は低いかもしれないが、それが延々と続く感じがある。体力的にも精神的にも持久力が試される所だと感じた。
G5を過ぎ、五竜の本峰にようやくたどり着いた。ここまで来れば五竜山荘はあと少しだ。ガスが沸いてきたが今日は雨は大丈夫だろう。もう雨は勘弁だ。例え小雨だろうとも。
靴の中は昨日の雨で湿ったままだ。
旅を終えるまでに乾くのだろうか…。
■7/31(火) Day8 =五竜から白馬へ。ようやくの自分らしい旅=
今日は五竜から白馬まで歩く。入山してから本当にハードな行程が連日続いてた。今日は標準CT10h40と短めな行程なので気持ち的に余裕がある。
不帰キレットは北アルプスを代表する難所のひとつだが、以前越えたことがある。晴れてれば難所と呼べる箇所は殆どないので少し気が楽だ。そのせいかやっと自分らしい旅をしている気がする。道すがら時間を気にせず立ち止まり、その景色にしばし身を置く。
不帰を無事通過し天狗平では大休憩。服を脱ぎ雪解け水で洗濯した。居合わせたカップルの方とソロの関西の男性の方としばし会話を楽しんだ。カップルの方に歌舞伎揚とハッピーターンとホームパイを頂いた。そうだ、忘れちゃいけない、レモンの砂糖漬けももらったんだった。
そして日本海まで行く僕に沢山のエールも頂いた。一期一会。こうして垂直移動、水平移動は旅になっていくんだろう。
天狗平をあとにし、美しい白馬の峰々を進む。
「やはり自分は乾いた岩山は好きではない。こういう山歩きが好きなんだ。」あらためてそう思った。
白馬岳頂上宿舎に着きテントを張り、小屋の食堂で貪るように飲んで食った。全ての難所が終わった安堵感だろうか。いや、ただ単に腹が減ってたんだろう。t2にLINEで送ったら「居酒屋?」と返信が来た。
「そういや昔、あいつとココで今回と同じように飲み食いしたな。唐揚げがうまかったな」
そんな事を思い出した。
貪り食ったあとは腹ごなしの散歩。ビーサンに半袖Tシャツと短パンという格好でテン場裏の小山まで歩く。ビーサンが踵をペタペタと叩く音が心地いい。
山が斜陽に染まり、草花が風にそよいでいる。
湧きたつ雲で太陽が遮られ、光芒が生まれる。
「ようやく自分の旅が出来た」
そう思った1日だった。
■8/1(水) Day9 =白馬から朝日小屋へ。海に沈む夕日=
今日は白馬から朝日小屋まで。今日もショートトリップだ。どんなにゆっくり歩いても15時には朝日小屋には着ける。なので昨夜は目覚ましをかけずに寝た。さすがに7時8時まで寝てることはないだろう。
目覚めたのは4時。「もうちょい寝てても良かったのになぁ」
テントをダラダラ撤収しながら隣のシニアのご夫婦とコミュニケーション。お二人は今日は栂池に下山するそうだ。
「焼岳から日本海目指して歩いてるんです」と言うとエールとともに餞別にワカメご飯のα米を頂いた。「重くなっちゃったらゴメンね」と言われたが、その100gの重さにお二人の温かい気持ちを感じた。
栂池に向かうお二人を見送り、僕も白馬岳へ。そしたら白馬岳の山頂で二期二会(笑) 結局お二人と30分以上晴れ待ちし、「劔が見えた!」「槍の穂先が見えました!!」と楽しい時を過ごす。
山頂標でご夫婦と写真の撮り合いしていると、「私も撮ってもらってもいいですか?」とトレランの女性に声をかけられた。
今日は猿倉から大雪渓を登り、白馬三山を周回して鑓温泉経由で猿倉に戻るそうだ。本当は新穂高発の槍ヶ岳→南岳日帰り周回をする予定だったとのこと。どちらにせよスゴイ。
「どちらまで?」と聞かれたので「日本海まで行きます」と答えると、「なにそれ、うらやましすぎる!!」と言われた。
この旅で出会った方に、「焼岳から日本海まで歩いているんです」と言うと、皆さん一様に「いいなぁ」「うらやましい〜」と言う。「うらやましい」と言われる旅に挑戦できていることに、素直にうれしさを感じた。単純である。
「日本海」という響きにはロマンがある。もちろん「太平洋」という響きにもロマンがある。でも日本海という言葉には、どことなく憂いが帯びる。そんな日本海に向かう気持ちには、やはりどことなく憂いが帯びる。それがこの旅を深くしてくれる、そんな気がする。
そのトレランの女性は化粧気の全くない、ソバカスだらけの生き生きとした笑顔が本当に素敵な方だった。自分の生き方に自信を持っている人の笑顔だった。山では素敵な人と出会える。
そんなお三方と別れそれぞれの道へ。颯爽と白馬岳から駆け下りて行く女性を見送り、ご夫婦に「またどこかで!」と見送られながら僕は三国境へ向かう。またどこかなんてないのはわかっている。でも、山ではこれ以上ない素敵な別れ言葉だ。
「またどこかで!」
白馬岳でのそんな出会いと別れの後は、朝日小屋へ。その道を歩きながら思ったのは、「やっぱこういう道が好きだ」ということだった。
槍穂高に代表される岩山は好きではない。岩で形作られた潤いのない山。もちろんそういう山の存在が北アルプスを他の山に比べ際立って美しい山脈にしているのはわかる。でも好きではない。眺めるだけでいい。
思えばここまでの旅は岩山を繋ぐ旅だった。槍穂高。水晶から裏銀座。蓮華の大下りに針ノ木。鹿島槍から五竜。そして不帰。どれもこれも鼻歌を歌いながら歩ける道ではない。岩を掴み「コンチクショー」と身体を持ち上げる。岩を掴んでばかりだったせいか指の皮が厚くなった。人差し指と中指ではiPhoneが起動しなくなった。
でも白馬に入ってようやく、「やっぱ自分が好きな山はこういう山なんだ」と思えた。残雪と緑色濃いハイマツ。白い山肌。
今回の山旅はチャレンジだった。チャレンジは一度きりでいい。もう二度とこういう山旅はしたくない。そんな事を考えながら、思いながら朝日小屋に着いた。
テントを張って小屋で夕飯を頂き一人テン場で飲んでいると、白馬のテン場で昨日見かけた男性に話しかけられる。
自分と同じくらいの歳かなと思っていたら、新聞社を早期退職されて今は58歳との事。今は「自由人です」と話していた。「自由人」という言葉に悲哀は全くない。そして信じられないくらい若く見える。日焼けした肌は引き締まりシワも全くない。早期退職の理由として「北アルプス長期縦走」と書いてしまったから北アルプスに来てみたと言っていた。(笑)
僕は普通という言葉がキライである。「あなた普通だよね〜」なんて言われた日にゃ舌を噛み切って死んだ方がマシだ。不思議と山で会話が弾むのはきまって「普通じゃない」人達だ。まあそもそも山をやってる時点で「普通じゃない」んだろうけど。
その男性との会話はとても楽しかった。なぜなら「普通じゃない」人同士の会話だからだ。
今日はイイ一日だった。
■8/2(木) Day10 =朝日小屋から栂海山荘へ。海へと続く道=
今日から2日間歩く栂海新道。日本海へと続く道だ。この旅もあと2日で終わりを迎える。歩き出したのは10日前。10日も山を歩き続けたらどうなるだろうかと思っていたが案外まともだ。
今日のCTは栂海山荘までの9時間くらいのショートトリップだ。だからゆっくり出発し、一番最後にテン場を出た。
先に朝日小屋を出発した人たちはみんな蓮華温泉に下って行く。栂海新道に踏み入ったのは僕一人だった。「下手したら今日は誰とも会わないかもしれない」そんな気持ちで歩いていく。
今回栂海新道は初めて歩いた。朝日岳から黒岩山までは想像以上に天国だった。残雪に美しい池塘、そして湿原。岩山とは別の北アルプスのもう一つの顔である、たおやかで優しく美しい景色が満載の道だった。まさに鼻歌ロードだ。
しかし鼻歌は黒岩山まで。そこからは灼熱アップダウンの道だった。行程自体は大したことはない。敵は暑さだ!太陽だ!! 照りつける太陽に対して考えつく限りの罵詈雑言を吐きながら歩いた。しまいにゃ「太陽死ね!」とまで言った。
でも太陽はこんな小男の罵詈雑言などどこ吹く風。「お前が死ねや!」と言わんばかりに照りつける。「死んでたまるか!こちとら日本海にダイブするんじゃい!」とめげずに歩く。
途中、サワガニ山で休憩していると一人の男性に追いつかれた。聞けば白馬のテン場を2時半に出て歩いて来たという。早い。タフだ。
「後ほど栂海山荘で!」と男性に言い、一足お先に行く。今日は一人だと思っていたのでうれしい出会いだ。
その後も太陽との罵詈雑言合戦を繰り広げ、無事、栂海山荘に到着。予想はしていたが誰一人いない。
山荘前の草地にテントを張っていると先程の男性が到着した。栃木から来た男性で自分より一回りほど若いかなという印象。落ち着いた好青年という風貌だ。2泊3日で大雪渓から白馬朝日を経て日本海まで歩くという。
「なぜ栂海新道に?」と聞くと、北アルプスはほとんど歩き尽くしたからここに来たとの事。類友。
一通り話した後は過干渉はしない。自分の世界がある。自分だけで過ごしたい時がある。類友。
ソロでテント担いで旅する人間は、結局のところ一人になりたいのである。
心地よい距離感のあるその男性との二人きりのテン場は、とても穏やかで最後の夜に相応しい夜になった。
■8/3(金) Day11 =栂海山荘から日本海へ=
最後の日だ。「いよいよ」なのか「ようやく」なのかよくわからない。
ひとつ言えるのは、今日は最後の日ということだけだ。明日はもう歩かなくていい。それが「うれしい」のか「さみしい」のかも、よくわからない。
朝3時半すぎ。生暖かい風に吹かれながら栂海山荘をあとにした。あと7〜8時間でこの旅も終わる。11日前に歩き始めた時から、この旅をどういう形で終えるのだろうと思っていた。一人?それとも旅は道連れ?
昨夜テン場で一緒だった男性は、白馬まで車を回収しに行かなければならないとのことで、3時前には出発していった。どうやらこの旅は一人で終わりを迎えることになりそうだ。
犬ヶ岳からの道は下山路ではあるが、ただ下る道ではない。下っては登る、下っては登るの繰り返しだ。まるで365歩のマーチだ。高度計が30m下がるたびに海に近づき、20m上がるたびに遠のく。
海抜1000mで雲海に入った。当たり前だが日本海との標高差は1000mだ。「東京タワー3つ分か…」 そんな事を考えながら下る。
残り900m、800m、腕時計の高度計が示す。基本ニュートラルな気持ちだ。でも時折、堰を破ろうとするように感情の水位が上がっては下がる。
途中、坂田峠で往時の古道、北陸街道と交差した。信越トレイルを思い出した。しばらく山は歩きたくない。でも里や野原を歩いてみたい気もする。この旅が終わったらゆっくり考えればいい。
坂田峠から尻高山に向かって登り返すと、一段海が近づいた気がする。海の近くの森というと伊豆半島や伊豆諸島の森を思い出す。硬く艶のある葉。曲がりくねった幹。
でも日本海へと続く森は、意外にもブナの森だった。雪が多い地帯だからだろうか。気温はまだそれほど高くはなかったが、海が近いせいか湿気が多く全身汗でびしょ濡れだ。海に飛び込む前にびしょ濡れになるとは思わなかった。
標高を下げるにつれ、視界の端に海の気配を感じる。でもあえて見ない。足元だけを見て歩く。いっそのこと目隠しして歩きたい気分だ。
感情を押しとどめる堰は決壊寸前だ。目から鼻からダダ洩れだ。ティッシュがいくらあっても足りない。それにいちいち鼻をかんでいる暇はない。ズルズル啜っていたが、ふと思いつき鼻の片方を塞いで勢いよく噴射してみた。
「その液体が描く放物線は、栄光への架け橋だー」んなわけない。でも思いのほかキレイにその液体は飛んで行った。悪臭を放ちながら歩く汚い男の戯れだ。
8〜9日目くらいまでは臭いは気にならなかった。水場があればそのたびに身体を拭き、服を洗濯し着干ししながら歩いたせいもあるかもしれない。しかし昨日あたりから自分でも感じるくらい臭いだした。臨界点突破だ。なので鼻水を吹き飛ばしながら歩いても、その汚さにもう大した差はないだろう。
ただこれだけは自己保身のために言っておく。下山後、日帰り入浴したホテルの御主人からは、「焼岳から歩いてきた割には全然臭わないよ。普通もっとすごい臭いしているから。肌も日焼けはしているけどボロボロになっていないし。キレイなもんだよ」と言われたことだけは記しておこう。
そんなバカな事をやりながらも海は近づく。
登山道は終わり国道8号線に着いた。この道を渡れば親不知だ。通行量が多い。ダンプがバンバン通り過ぎる。ココで轢かれたら笑えない。
道路を渡った先にある公衆トイレの脇に、日本海・栂海新道起点を示す糸魚川ジオパークのガイドポストがあった。起点まで距離400m、高低差80mだ。
海岸まではコンクリートの長い階段を降りる。ザックをデポすることも考えたが、「ここまで来てそれはない」とそんな考えは一瞬で消えた。
一段、また一段。海まで続く階段を左足の横に右足をそろえるように半歩ずつ降りていく。階段を片足一段ずつ下りる力はもう残っていない。
感情が高まるかと思ったが、不思議と高まりは落ち着いていく。
「おっかしいなぁ、さっきまで垂れ流しだったのに…」
たどり着いた親不知の海岸は丸石の海岸だった。丸石に足を取られながらも波に近づく。
130km、背負い続けたザックを傍らに置いた。
汗がしたたり落ちるバイザーとサングラスも置いた。
Tシャツも脱いだ。今思えば脱ぐ必要なんてなかった。どうせ汗でずぶ濡れだったんだから。
ズボンは?これは絶対に脱げない。下はミレーのスケスケ変態網パンツだ。公序良俗に反する。多分…(笑)
靴も脱いだ。海水で濡れた重い靴を持って家に帰るのは勘弁だ。せっかく乾いた靴だ。
そして静かに海に分け入る。波は穏やかだったが、ゆらりゆらりと押し戻され、そして引き込まれる。
静かだった。もっと感情が溢れだすかと思っていた。”無”に近い状態だった。
海に顔をつけてみた。その時はじめて、「必ず無事に下山する」という約束を果たせたと思った。
と同時に堰をきったように感情が戻った。
そして海に向かって叫び、飛び込んだ。
■あとがき =旅を終えて=
旅を終えて今思う事。
焼岳から日本海まで歩ききり、心を支配しているもの。なぜかポジティブな感情はまったくありません。
「うれしい」という喜びも、「やりきった」という充実感も達成感もありません。どうやら親不知の海に飛び込んだ時、全部置いてきてしまったようです。
旅のことを思い出すと湧き出してくる感情は”喪失感”。それが今一番しっくりきます。
2013年、大雪山を旭岳から富良野岳まで歩ききった時もそうでした。
その時レコに記したのは、「でもこれから先、これ以上の山旅はできるのだろうか…。」そんな言葉でした。
今回の旅は5年前に思った、”これ以上の山旅” になりました。
そして今回の旅の締めくくりに記すのは、
「これから先、これ以上の山旅はできない。それだけはわかる」
今は静かに浸りたいと思います。
次に歩きたいと思える場所が見つかるまで。今回は少し時間がかかるかもしれません。でも、きっとすぐ登りたくなる。
「センチメンタルジャーニー?」
今はそれでいいじゃないか。すべてを出しきって歩ききった者の特権なんだから。そう思いたい奴には思わせておけばいい。
****************************
今回の旅をまとめた動画を作りました。ご覧頂けたらうれしいです。
焼岳から日本海へ。北アルプス主脈をたどる旅
song by Jose Gonzalez. ♪Step Out -from LIFE!-
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この記録に関連する本
この記録に関連する登山ルート
槍・穂高・乗鞍 [7日]
利用交通機関
車・バイク、 電車・バス、 タクシー
技術レベル体力レベル
この記録で登った山/行った場所
- 白馬岳 (2932.24m)
- 五竜岳 (2814m)
- 鹿島槍ヶ岳 (2889m)
- 鷲羽岳 (2924.19m)
- 槍ヶ岳 (3180m)
- 穂高岳 (3190m)
- 烏帽子岳 (2628m)
- 針ノ木岳 (2821m)
- 雪倉岳 (2611m)
- 朝日岳 (2418m)
- 唐松岳 (2696m)
- 爺ヶ岳中峰 (2670m)
- 野口五郎岳 (2924.32m)
- 三俣蓮華岳 (2841m)
- 蓮華岳 (2799m)
- 涸沢岳 (3110m)
- 双六岳 (2860m)
- 西穂高岳 (2908.59m)
- 北穂高岳北峰 (3106m)
- 白鳥山 (1286.9m)
- 杓子岳 (2812m)
- 鑓ヶ岳 (2903m)
- 樅沢岳 (2755m)
- 南岳 (3032.68m)
- 中岳 (3084m)
- 赤沢岳 (2677.84m)
- 三ツ岳 (2844.59m)
- 大喰岳 (3101m)
- 北葛岳 (2551m)
- スバリ岳 (2752m)
- 鳴沢岳 (2641m)
- 岩小屋沢岳 (2630.32m)
- 槍ヶ岳山荘 (3080m)
- 親不知 栂海新道登山口 (0.01m)
- 栂海山荘 (1540m)
- 白鳥山避難小屋 (1286.9m)
- 朝日小屋 (2150m)
- 雪倉岳避難小屋 (2390m)
- 南岳小屋 (2975m)
- 穂高岳山荘 (2983m)
- 天狗山荘 (2730m)
- 白馬山荘 (2832m)
- 白馬岳頂上宿舎 (2730m)
- 唐松岳頂上山荘 (2620m)
- 五竜山荘 (2490m)
- 八峰キレット小屋 (2470m)
- 冷池山荘 (2410m)
- 種池山荘 (2450m)
- 新越山荘 (2465m)
- 針ノ木小屋 (2536m)
- 船窪天場 (2390m)
- 船窪小屋 (2450m)
- 烏帽子小屋 (2550m)
- 野口五郎小屋 (2924m)
- 双六小屋 (2550m)
- 吹上のコル
- 三俣山荘 (2550m)
- 西穂山荘 (2385m)
- ピラミッドピーク (2750m)
- ジャンダルム (3163m)
- 西穂独標 (2701m)
- 間ノ岳 (2907m)
- 鹿島槍ヶ岳北峰 (2842m)
- 天狗岩 (2909m)
- 天狗のコル (2835m)
- ワリモ岳 (2888m)
- 岩苔乗越 (2730m)
- 水晶小屋 (2900m)
- 東沢乗越 (2734m)
- 真砂岳 (2862m)
- 中尾峠 (2100m)
- 焼岳小屋 (2080m)
- 焼岳北峰 (2444.3m)
- 南沢岳 (2625m)
- 大黒岳 (2393m)
- 長谷川ピーク (2841m)
- 八峰キレット
- 不帰嶮(不帰一峰) (2470m)
- 不帰キレット (2411m)
- 不帰嶮(不帰二峰北峰) (2580m)
- 天狗ノ大下り (2710m)
- 不帰嶮(不帰二峰南峰) (2614m)
- 飛騨乗越 (3010m)
- 千丈乗越 (2720m)
- 中の湯温泉 (1340m)
- きぬがさの池
- 新中尾峠 (2080m)
- 新中の湯登山口 (1620m)
- 焼岳展望台 (2150m)
- 丸山 (2768m)
- 布引山 (2683m)
- 冷乗越 (2444m)
- 船窪乗越
- 不動岳 (2601m)
- 船窪岳 (2303m)
- 中道分岐
- 尻高山 (677m)
- 黒岩山 (1623.6m)
- 犬ヶ岳 (1593m)
- 親不知観光ホテル (80m)
- 前烏帽子岳 (2605m)
- 真砂岳分岐
- 下堀沢出会 (2040m)
- 鉱山道分岐
- 小桜ヶ原
- 割谷山 (2224m)
- 船窪第2ピーク (2459m)
- 黒岩平
- 北又の水場
- 菊石山 (1209.8m)
- 下駒ヶ岳 (1241m)
- 黄蓮山
- 黄蓮の水場
- 坂田峠 (611m)
- シキワリの水場
- 二本松峠
- 長栂山 (2267m)
- 照葉ノ池
- アヤメ平
- 水谷のコル
- 入道山 (415m)
- 北穂高小屋 (3100m)
- 北穂高岳・天場
- 七倉岳 (2509m)
- 小スバリ岳 (2740m)
- 中間の池
- 三国境 (2751m)
- サワガニ山 (1612m)
- 白岳 (2541m)
- 広場 (2025m)
- ワリモ北分岐 (2800m)
- 岩苔小谷水場 (2690m)
- 三俣峠 (2750m)
- 双六岳巻道分岐 (2660m)
- 焼岳・上高地分岐
- 爺ヶ岳南峰 (2660m)
- 爺ヶ岳北峰 (2631m)
- 丸山 (2854m)
- 冷池山荘テント場
- 遠見尾根分岐 (2510m)
- 烏帽子ひょうたん池
- 天狗原分岐
- 馬の背
- ロバの耳
- 逆層スラブ
- 赤岩岳
- P1 (2890m)
- チャンピオンピーク4峰 (2816m)
- 双六池 (2535m)
- 双六岳中道分岐 (2676m)
- 烏帽子田圃 (2508m)
- 烏帽子岳山頂分岐
- 牛首 (2643m)
- 鑓温泉分岐 (2748m)
- 船窪水場
- 水平道分岐
- 西穂丸山 (2452m)
- 北尾根ノ頭 (2560m)
- 金時坂ノ頭 (935m)
- 山姥平 (1171m)
- 坂田峠駐車場
- 左俣乗越 (2600m)
- 硫黄乗越 (2600m)
- 奥穂高岳 (3190m)
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この記録へのコメント
投稿数: 206
投稿数: 677
北アが大好きだから…なのか
自分が感情移入しやすい質…だからなのか…
涙腺崩壊ですよ、もう(๑•﹏•)
ドラマチック、スぺクタルなシーンの連続〜
北アルプスの絶景を優雅に歩けていいな
…なんていう綺麗ごとじゃとてもすまされぬ11日間
壮絶、過酷な旅だったんだな〜って改めて感じました
泣いたり
吐いたり
叫んだり
極限を目のあたりにしたり…その行為を通し、浄化されていく
全く比べものにはならぬのですが、
ソロで日本オートルート(1/3)を歩いた昨夏
あのときの自分が…脳裏に…
心を内観し解き放していく過程が過ぎりました
このレコを見た人々は
実際には行動を起こすのは難しいが
「チャンスと勇気があれば自分も!!このような旅…一度はしてみたい」
そう感じたユーザーさんも多いのでは?!と思います
でも大半は「思うだけ…」
実行したzawadaさんは並みじゃない…━━━☆
『歩いていれば必ず辿り着く』
歩いて、歩いて、歩き続ける その繰り返し
果てしない一歩の繰り返しが自分に何かを与えてくれる事を身をもって知ってるzawadaさん
許された11日間もの時間と環境のもと果敢に挑戦に挑んだzawadaさん
カッコ良過ぎっ
快挙としかいえませんわ
BGMが旅愁を深く誘う
強さを封じ込めた美しさが心に響く動画
ズシン…と胸に響く秀逸な記録
一緒にこの旅を歩いてるような臨場感に心、高揚しました*☆
(膝の不調でメンテ中なので数倍増しで特に…)
旅の果てに得たものは語りつくせないのでは?!
確実にかけがえのない宝となりましたね
これ以上の旅はない…と今は言い切るzawadaさん
zawadaさんの旅はまだまだ終わらないことでしょう
投稿数: 271
おめでとうございます。
レコを見ながら、2014年の自分の縦走のことを思い出していました。
山小屋泊まりだし燕岳から表銀座経由北上でzawadaさんの記録とは比べ物にならないけど、終わった時の静謐な’無’の感覚はわかります。
不思議に、親不知の海の水がほんのり甘く塩辛くて、またおいで と言われたような気がしたものです。
’その後’は北アルプス一般登山道をほぼ歩いた後は、なんだかゆっくり山を感じる旅にしたくなって、今では奥黒部で毛鉤釣りと温泉とかになっちゃってます。笑
zawadaさんは燃え尽き切るにはまだまだ早い。
次の目標のチャレンジレコを期待しています。
投稿数: 2727
コメントありがとうございます。
温かいお言葉を頂き痛み入ります。
レコとして形にしてみると気恥ずかしい限りですが、あの時に感じた心情を正確に残したいと思い、このような形になりました。
山旅には色んな思いが重なりますね。共感して頂けてとてもうれしいです。
h321さんは奥様と旅をされているんですね!
奥様と末永く山旅を楽しむことができますよう、お祈り申し上げます。
投稿数: 3268
今日は台風で午後出勤なんだ。
ゆうべから何を伝えようかと考えてたんだけど、じつはまだまとまってないです。
この旅を知ったとき、表題のようなことが頭に浮かびました。
もうちょっとやそっとじゃ満足できなくなってる?
歩き残したトレイルも含めて、このコースなのかなぁって。
危ないところや天候の荒れた日もあったけど、ざわしーのお母さんと同意見で心配は少なかったかも。
ただ自分らしく歩けてるのかなって、それだけ気になってました。
好みじゃないトレイルもたくさん歩きましたね。
北ア偏愛主義者だから、そこも含めて歩き通したかったんでしょうね。
悲しい思い出の道は避けたくなるよね。
私もそう。まったく近寄りたくない。
でもざわしーは克服できたんだね。
後半がざわしーの好きなトレイルでよかったぁと思って見てました。
いつか私も行くなら、白馬から親不知のトレイルだけでいいなぁ(笑)
最後にキレイな海にたどり着いて、やりきった思いより失くしたもののほうが大きかったみたいですね。
大好きな北アをほぼ歩き尽くして、わくわくドキドキもほぼ出尽くしてしまった…
しばらくはいーんじゃない?
それでもざわしーのホームが北アなことに変わりないのだし、帰りたいときに帰れるもん。
でもそのうちゆるダラっと戻って来てね。
まだちょっと残してるとこもあるんだし、隅々までレポートしてくれないと私が困るから(笑)
お疲れ様でした!
しばらくはのんびり…じゃなくてバリバリ働いて親友の手助け頑張って!
でわでわ
投稿数: 2727
膝の具合はいかがですか?膝の不調を抱え辛い状況のなか、こうして心温まるコメントを頂き、本当にうれしく思います。ありがとうございます。
この旅はいつか必ずやり遂げたいと思い続けていた旅でした。
本当に困難な旅でしたが、やり遂げた今、そこに喜びはありません。
虚脱感、喪失感にさいなまれ、毎日ため息ばかりついています。
yukinomieさんは、自分と同じく北アを愛する人。そして困難な道にもチャレンジし必ずやり遂げる人だと思っています。なので今の僕の気持ちも理解して頂けている、そんな気がします。
動画もご覧いただけたんですね!ありがとうございます。
動画といってもフォトムービーですが、あの時の心情を1枚に切り取った写真をつなぎ合わせたフォトムービーの方が、今回の旅を表現する手段にふさわしいと感じています。もしかしたらこのレコよりも、4分間にまとめた映像の方が、この旅の心情を表している気もしています。
今は次のことは考えられません。本当に思い浮かびません。
どうしましょ…。(^▽^;)
でもしばらくこの気分を楽しみたいと思います。
ということで、北ア偏愛主義者であるyukinomieさんにひとつ予言を…。
yukinomieさんもいつか、ご主人と二人、焼岳から日本海に向けて歩き出す日がくると思います。お二人ならどんな困難も乗り越え、日本海に到達されるのではと思います。そんな予感がしています。
「焼岳から栂海新道を経て日本海」
「焼岳から栂海新道を経て日本海」
「焼岳から栂海新道を経て日本海」
呪詛をかけてみました。なんとなく行きたくなってきたんではないですか?(笑)
ハッキリと言います。
栂海新道を経てたどり着く日本海は格別です。
そしてその起点は、言わずもがなです。その場所しかありません。
いつか来る日のために。
膝のメンテ、頑張ってこー!(^〇^)/
投稿数: 2727
コメントありがとうございます。
遅ればせながら、55akiraさんの2014年の栂海新道への旅、拝見致しました。
僕が55akiraさんにシンパシーを感じるのは、やはり同じ道を歩いた、歩きたいと思うからなんだなと改めて思いました。
親不知の海は、温かく迎えてくれました。青く澄んだ美しい海でした。
「またおいで」とは、僕の場合は言われていない気がします(笑)
ウェストン像は見る時間がなかったので、今度はドライブででも行こうかな。歩いて親不知に行くのは、今回が最初で最後です。
僕もあと少しで北アルプスの一般登山道がコンプリートとなりそうです。
もしかしたら本当のハードルは、今ではなくその時かもしれません。
その時は多分、山を卒業するか、55akiraさんと同じような心情になる気がします。
次なるチャレンジをするか否か…。
ゆっくりと考えたいと思います。
投稿数: 110
新しい山旅の日まで”普通の”山歩きを楽しんでください。
そして”これ以上の山旅”を見つけてください。
そうそう私は自分の事を「普通」と思っていますからね。
傍からは「普通じゃない」と思われているみたいですけど…
投稿数: 1519
陰ながら応援していました
体力はもとより、
挑戦しようとする気持ち、
そして、やり遂げる粘り強さ、
素晴らしいですね
暫くは、余韻に浸っていても、いいですね。
私も、元気をいただきましたよ
投稿数: 1380
縦走を終え
>「うれしい」という喜びも、「やりきった」という充実感も達成感もありません。
その気持ちよ〜く分かります
なんなんでしょうねぇ
次の目標がない?
これ以上の山旅を求めなくても・・・
でも山に行く。。。山に行きたくなる。。。
ただそれだけでいいと思います。
まぁ、のんびり行きましょう
投稿数: 2727
コメントありがとうございます。
今日の台風、東京は拍子抜けするほど何事もなく普通の朝を迎えました。
北ア偏愛主義者の卒業検定。そうかもしれないですね。
北アを愛する人間として、この道だけは細切れではなく通しで歩きたかった。
どんなに辛くても、どんなに時間がかかっても、一気に歩きたかった。じゃなきゃ意味がなかった。
無事にゴールを迎えて、今回の旅で燃え尽きた感があります。
問題は次が全く見えないこと。
わずかに残っている北アの歩いていない道を歩き尽くすか…。
それとも他の山域に行くか…。
他の山域と言っても、南アの山々には全く心を動かされない。中アも違う。大雪山に毎月通うわけにもいかない。
結局のところ、自分のこの欲求を満たして、受け入れてもまだ余りある懐の深い山は北アしかない。でも今は、、お腹いっぱい(笑)
帰りたいときにいつでも帰れる。か。
そうだね。
しばらくは日々に没頭したいと思います。
ありがとう。
投稿数: 2727
やっちゃいました。いろんな意味で。
ほかの大縦走路、どっかにあります?
教えてください(笑)
Sさんのシンプルなエールが、今の僕にはとても有難いです。ありがとうございます。
Sさんが普通??
それは知らなかったです〜( ̄▽ ̄)
類友と思っていたのですが、おっかしいなぁー(笑)
投稿数: 2727
コメントありがとうございます!
うれしいです。
お礼を言うのは僕の方です。
下山してひと息つき、皆さまのレコを読んでいたのですが、URUさんの南アのレコを拝見して、すごく力を貰えたんです。
URUさんの年代になっても、テントを担いでキツイ南アを歩かれている。しかもあのハイペースで!
「自分はまだまだだな」「まだ先があるな」と思いました。
しばらく山は休むつもりですが、華麗なる復活を期待しててください(笑)
力強いコメント、ありがとうございました!!
投稿数: 2727
今回の旅はMaieさんのサポートなくしてはでした。もちろん一人でも歩き出していたとは思いますが、でも、Maieさんの力強いサポートがどれほど心強かったか。
Maieさんも喪失感を覚える事があるんですね。意外(笑)
でも一緒で安心した(笑)
しばらくはのんびり行くことにします。
本当にありがとう!!
投稿数: 271
私は親不知の海と太平洋をつないでみたくなって、高尾山から山でつないでみました。笑
高尾山までは日本橋の先の海から甲州街道で。
街道歩きから発展して、四国お遍路1200kmも歩いてみてしまいました。
私は、その向こう へ行ってみたい衝動を大事にしておきたいと思ってます。
zawadaさんも基本の気持ちを大事にしてくださいね〜。
投稿数: 146
でも、日記で報告してくれたので、テン泊装備のジャンを越えたのを見て この先はざわさんなら大丈夫だろうとヽ(*´∀`)ノ
全部見ましたよ!YouTubeも!1時間10分かけて!
都度都度笑ったり涙したり感想沢山あるけど、書ききれないから省略(笑)
自然の流れでまた戻ったら、その時はレコ楽しみにしてます♪
PS t2さん大変そうだけど、お母さんもご本人もお身体お大事に(>_<)
投稿数: 312
完歩おめでとうございます。
レコを拝見して、うまく表現できないのですが、
zawadaさんの歩いた11日間は人生そのものがギュッと濃縮された時間だったんだなあと感じました。
自分の場合、山を歩いていると、下界で置かれている自身と重なることがあります。
背にのしかかるザックの重みと負っている責任感
変化していくルート・天気と抱えている悩みや葛藤、課題など。
少し目線を上げれば大自然が広がっています。
見渡せば、いかに自分が小さな存在で、自然の中に生かされているかということに気づいて、前向きになれます。
アイデアかはいつも山で浮かびます。
「山で迷う」のではなく「迷ったら山」です。
取り留めのないコメントになってしまいました。
荒天ではありましたが、おかげで船窪小屋では楽しいひとときを過ごせました。
また、船窪小屋でお会いできると良いですね。
「お帰り」をお待ちしています!
お疲れさまでした。
投稿数: 1662
日本海まで辿り着いてやると、自分との約束を果たし、
笑って、泣けて、鼻水垂れて…、本当にステキな11日間でしたね。
今はおセンチで、喪失感たっぷりな気分なのかもしれませんが、
またすぐ次のゴールが見えるんだろうな、それがzawadanさん!
これ以上の山旅!? そりゃ、あるでしょ!!
(→これ、みなさんが同じこと言ってる(笑))
それにしても、中日で台風はあったとはいえ、全般的には晴れ男!
(台風の日でも船窪小屋なら、味のある一日になったでしょうし!)
ザ・北ア感満載の写真ばかり! はもちろんなのですが、
いや、コメントしたいことはこんなことではなく!
その一瞬一瞬の気持ちが表れた写真&動画&日記に、
見ているこちらまで嬉しくもほっこりもさせてもらいました
おかえり&おめでとう&おつかれさま&がんばっ!
投稿数: 2727
ボヤっとではありますが、今は里山や街道を歩いてみたいという気がしています。
なんといいますか、人の生活の息吹が感じられる所を歩いてみたい。
あれだけあるいたばかりなのに、歩いてみたいという欲求は残っているようです。ただ、それがアルプスなどの高山ではないというのは間違いありません。
多分、今登っても全てが色褪せて見えちゃうと思うんです。大雪山の縦走の後もそんな感じでした。
なのでアルプスに登るのは雪が降り出してからになるのかな、なんて予感がします。というと山スキーの季節になっちゃうんですけど(笑) でもまあ、それはそれでありかと。
その時の衝動に従って、これからも歩き続けたいと思います。
投稿数: 2727
ご主人様の海外赴任、猫ちゃんの件、色々重なって大変ななかこうしてコメント頂きありがとうございます。
しかも1時間半もかけて読んで頂いたとのこと。恐縮です…σ^_^;
「今回だけは許して!」ってな感じです( ̄∀ ̄)
また登りたくなるまで、しばらくスローダウンしようと思っています。
spicavegaさんもどうか無理なさらないでくださいね。
投稿数: 2727
こちらにもコメント頂き恐縮です。
温かいメッセージ、ありがとうございます。
「山で迷う」のではなく「迷ったら山」。金言ですね! 確かにそんな気もします。あれこれ考えず、大人しく山に向かえばいいのかもしれません。
船窪小屋は以前から泊まってみたかった小屋でした。
この旅で唯一の小屋泊が船窪小屋になったこと、しかも嵐の夜に泊まることが出来たのは、変な言い方ですがご褒美だったのかもとも思います。
船窪小屋に足しげく通われているshirayamaさん。いつか船窪小屋でお会いできる日が来ることを、楽しみにしております。
ありがとうございました!!
投稿数: 2727
こんな感じに仕上げてみましたー( ̄∀ ̄)
日本海までたどり着くのは自分との約束。必ず無事に下山するというのは家族と友への約束でした。「何がなんでも絶対」とここまで決意して歩いたのは最初で最後になりそうです。
次のゴール見えますかね。。
見える気しないんだけどなーーσ^_^;
晴れ男の件。そうなんです。台風で丸2日間ひどい目にあいましたが、それ以外では1滴も降られなかったんです。行動中だけでなくテン泊中もです。
普通この季節なら夕立が当たり前じゃないですか。ほぼ毎年7/末〜8/頭にかけて北アに入ってますが、初めての経験でした。
しかも唯一の小屋泊が船窪小屋。いやぁ、持ってるなぁ俺(笑)
おセンチな気分も、こうして皆さんとコメントさせて頂いていると、少し晴れてくる気がします。
次はどこを歩こうかな。とにかく目先を変えたい気もします。沢なんていいかも。やったことないし水が怖いけどσ^_^;
まぁ、ゆっくりと考えます。
ただいま&ありがとう&ボチボチ頑張るかっ!
投稿数: 146
だって昨日はうっかりお風呂入る前にスマホで読み始めちゃって、でも早くお疲れさま言いたくてイッキ読みしたので、写真は後でPCでじっくり見ようと思って☆
写真拍手も完了しました!
あらためてうっとり&感動。・゚・(ノД`)・゚・。
(そして再度エヴァネタに反応(笑))
そして動画もすてきですね♪
ウチの後輩くんがこういうの好きで、みんなで山行くとロックのリズムに合わせてほんとMVみたいなの作るんですけど、同じように私の目指すタイプです♪
宇多田ヒカルの「道」に合わせていつか作りたいのよね〜(*´ω`*)♪
(その曲だとアップは出来ないけど(^_^;))
やっぱりすごいので Twitterでもシェアさせていただきました☆
ヤマレコ公式さんにもリプ&リツイート頂いたので、多少は反響あったみたいです♪
ついでにYouTubeのも先程リンクさせていただきました(^_-)-☆
ざわさんも、放心状態の中 日記デビュー見てもらってありがとでした☆
まぁ毎週通院とか色々忙しいですが、にゃんこも無事に帰ってきてくれたし、自粛しようと覚悟してたお山も少しは行けそうなので、ハッピーです(*´ー`)
来年は白馬三山行きたいなー♪
まだ長時間 家空けられないので、お盆は1日だけ ころぼっくるランチ&ハイキングに行きたかったんですけどお天気ががが。。。
ほんと晴れ男あやかりたい。。。(笑)
お忙しいのに度々失礼しました!
返信不要です☆
投稿数: 2727
再びのご来店?(笑)ありがとございやす〜
なお当店の規約により、二度目以降の来店につき別途金30000円をお支払い頂く形になりますので、ご了承ください。(笑)
下山してからレコを書き上げ、気分が引きずり込まれ、ふさぎ込んでいたので、20年来の友人と歌舞伎町で飲んできたところです。あ、いかがわしい店じゃないですよ(笑)2時間飲み食べ放題で3000円という超優良店 (笑)
まずはエヴァねたの反応して頂き、あざっす。でもそこ???
動画ご覧いただきありがとうございます。
今回フォトムービーにするにあたり、この曲以外はありえなかったんです。
今回の心情を表現するにはこの曲以外はなかった。
もちろん著作権には引っかかりますが便利な仕組みありまして、今回の動画に関わる収益はすべて著作者に入ることに自動的になるのでした。google playの楽曲購入のリンクも自動で張られますし。
道はどうですかね〜。 ダメもとでアップされてみては?
Twitter等々ありがとうございました。ヤマレコをやっている以上、誰かに見てもらいたいというのは当然なのですが、今回は誰に見てもらえればうれしいと思えるレコになりました。ありがとうございます。
猫ちゃん無事帰宅されましたか!!
おめでとうございます。
ちなみに、僕は犬より猫派でございます。
霧ヶ峰、晴れるといいですねぇ。
僕も今は、ああいう山に登ってゆるだらしたい気分です。
返信不要と言われましても、返信してします性分ですのであしからず(笑)
酔っ払いですんません〜
では!
投稿数: 1137
投稿数: 2727
11日間、たっぷりと山に浸ってきました。
日本海に向かって下山している最中は曇り空だったのですが、海に到達する直前にキレイに晴れました。
波も穏やかで、日本海は温かく迎えてくれました。
過酷でしたが、いい旅ができたと思っています。
投稿数: 146
えー高い!ε=(`・д・´)
常連客にはざわさんが山でランチおごってくれるシステムにしましょうよ〜笑
コメントの嵐も落ち着いたようですし、思い出に浸りつつやる事あった方が気が紛れるか?
と思い直しまた来ました(←しつこいw)
やっぱ喪失感の方が大きいんですね…。
いや、YouTubeのお礼も言おうと思って☆
そういうシステムがあるんですね((φ(・д・。)
見るばっかでアップしたことないからうといんですよ…。
まぁ音楽とかエンタメファンでもあるから、自分がやるとしたら著作権は厳に護りたいとは思ってるんですけどね。調べてみようっと☆
洋楽もうといので、よく聞く曲!と思いつつ さっき思い出しました!映画LIFE!のテーマソングだ♪
まさにぴったりの選曲でしたね(*´ω`*)♪
映画繋がりで、私、おせっかいにも いいアイディア思いついちゃいました!( ̄▽+ ̄*)
わたしに会うまでの1600キロ!
そう!!次の目標に海外のロングトレイルとかどうでしょう??( ̄▽+ ̄*)
まだまだ今の喪失感に浸っていたいかも知れませんけど…(^_^;)
海外長期となるともう定年後かもしれませんけど…(^_^;)
黒部源流と大雪山を何度でも行くでも ホントに全然ステキだと思うけど…(^_^;)
おせっかいな戯れ言でした…(´>∀<`)ゝ
PS 猫派バンザイ\(^O^)/
投稿数: 186
いつも山行記録を楽しく拝見しておりますが、今回の記録は、2013年の大雪山縦走以来の傑作ですね。
既に、山行記録の域を越えています。山岳ドキュメンタリー小説と言っても過言では無い領域に達してますよね。
感想が、日々書き留めておいた日記をそのまま使用したというのも、グッドアイディアですね。
普通、かっこう悪いことや恥ずかしいことは書きたくないものですが、敢えて載せたというのも、見る者の心に響きましたね。
今回の山行を終えて、
「これから先、これ以上の山旅はできない。それだけは間違いない」
「今は静かに浸りたいと思います。」
とのこと。大いに浸ってください。
しかし、この様な心境は、私のような「超ゆるゆる登山者」には、到底感じることの出来ない領域なんだろ〜な〜と思った次第。
再度の復活を待ち続けます。
投稿数: 2727
コメントの嵐、、まだ常連さんがいらっしゃってません…σ^_^;
めちゃくちゃ長文レコになるのは予想してるみたいで、「夏休みを満喫してるのに、zawadaの長ったらしいレコ読んでられっか!」というパターンかと思われます(笑)
そうなんです。LIFE!のテーマソングです。僕はロードムービー好きなんです。なので今回の旅を客観視してみると、ロードムービーだったなと思いまして。
海外ですか。今のところ幸いにして?まだ興味はありません。暇もなければお金もない。。英語もしゃべれないですし。
宝クジでも当たったら、考えてみます。
( ̄∀ ̄)
投稿数: 2727
お褒め頂きとてもうれしいです。褒めすぎかとは思いますが…。
作家であり日本を代表するバックパッカーである故 加藤則芳さんの本が僕は好きなのですが、加藤さんがアメリカのロングトレイルを歩いた際に書かれた本のスタイルが、山行中に書き留めた日々の日記を1冊の本にまとめるといったもので、今回の旅の感想として書くとしたら、日記スタイルが一番しっくりくるなと思い、山行中に少しずつ書き留めたのでした。もちろん加筆はしてますが、あの時あの場所で感じたことは形に出来たのではないかと思っています。
なのでグッドアイデアと言いますか、加藤さんのパクリです(笑)
今回のレコは5年後10年後の自分に向けて書いたものなんです。「あの時お前はあんな事やってたぞ、あんな事感じてたぞ」と思い出させるために。なのでかっこ悪い事も恥ずかしい事も載せないと意味がないと思いまして、この様な形になりました。
それに今回の旅を通じて、人からどう思われようといいと思えるようになりました。じゃないとザックにパンツ括り付けて歩けません(笑)
下山して1週間経ちましたが、なんとなく次に歩きたい場所がボヤッと頭に浮かんできています。いわゆる登山道ではありませんが。
今回の旅でチャレンジは達成できたので、これからは気の向くままにブラブラと歩く旅をしたいと思っています。
rakuinkyoさん、温かいメッセージありがとうございました!
投稿数: 35
11日間におよぶ長旅、お疲れ様でした。
ほんと素敵な出逢い、素敵な景色、素敵な山旅。
一緒に山旅してる気分でレコを見させていただき、動画で涙腺崩壊でした(笑)
人様のレコで泣いたのは初めてです。得たものはきっとたくさんあったはず。
生涯記憶に残る山旅となったでしょうね!羨ましいです。
同じようなロングトレイルが私に出来るはずもないのですが、
それでもこんな山旅は憧れでもあります。
この山行が終わって時間経過しましたが、その後“次”に気持ちは向いてきましたか?
今後のレコも楽しみにしています♪
投稿数: 2727
コメントありがとうございます。
長い記録をじっくりお読み頂き恐縮です。
でもありがとうございます。とてもうれしいです。
本当に長い旅でした。得たもの、きっとあると思います。まだ何を得たのかはわかりませんが。ただ生涯記憶に残る旅になったことだけは間違いありません。
今回の旅は、決してなにか不可能をやり遂げたといった旅ではありません。僕は超人でもなんでもない人間なので。なのでほんの少し頑張れば、成し遂げられるものだと思います。もちろん様々なハードルはあるにせよ。
ですからyakan-maさんも出来るはずもないとは思わずに、「こんな旅があるんだな。いつか自分も歩けるかもな」と思って頂けたら、とてもうれしいです。
”次”の話ですが、ようやく気持ちが向きつつあります。どこをどのように歩くかはわかりませんが、いずれにせよ自分に抗わず行きたいと思っています。
yakan-maさんは初めてのソロテン泊をされたんですね!
yakan-maさんの”次”が素晴らしい旅になりますよう、陰ながらエールを送らせて頂きたいと思います。
投稿数: 1875
やりましたねー。
満身創痍だったでしょうが、無事で何より。
海は穏やかで、なんと綺麗な
最後にふさわしい。
山も凄いが海も凄い。
そして、そんな自然の中で生きる生物も凄い。凄すぎる。
エネルギー充填後は新たな旅へ!
投稿数: 2727
ようやく来たか!なんつて(笑)
あらためて、山行中はメッセージ頂きありがとうございました。励みになりました。
満身創痍。本当に心身ともにそんな感じでした。厚くなった指の皮は今盛大に脱皮中です。
国道8号線に着いた時は曇り空だったんです。でも海岸に降りる階段を下り出したら雲がとれ快晴になりました。前日、太陽死ね!とまで言ったのに、太陽は寛大でした。
曇天のなかゴールを迎えるのと、晴れのなか迎えるのでは、今回の旅の心象は大きく変わっていたかもしれません。
ようやく次への一歩がボヤッと浮かんで来ています。でもしばらくは静かにしていようかと思っています。
投稿数: 2520
常連のビーさんが、まだ北海道の編集中で来てないけど、
待ちきれないので、コメします。
これまで、緊張で一睡も出来なかったり、
吐いてしまったりしながらも、
頭痛や足の痛みに対処し、
一歩一歩前へ、一段一段とステップアップして、
ついにやってしまったね。
大人の階段登って、遂に大人になっちゃったような、
百名山登っちゃったような、
然るべくして、こうなって、やるべき事をやっちゃったね。
おめでとうございます㊗
お疲れ様です。
しばらくは、冬になるまでは、
力を抜いて、自然と戯れて下さい。
立派に育って、お母さんは喜ばれてると思いますよ
投稿数: 2727
こちらも「ようやく来たか!」なんつて。
beeさん??あぁ、富良野岳をトムラウシと勘違いしてたお茶目なbeeさんですね(笑)
十勝岳から見ると富良野岳とトムラウシって真逆の方向に見えるんですよね。なのに間違えるという。しかも前日トムラウシに登ってるのにねぇ( ̄∀ ̄)
と閑話休題(笑)
今回は出し切りました。
山行中、本当に色々ありましたが、なんとか上手く切り抜けられたかなと思ってます。少しは成長したのかな。
今回はよく寝た。いつもテントではあまり寝れないのに。少しは神経図太くなったのかな。
靴擦れやマメに苦しめられたけど、自分でケアしてなんとか歩き続ける事が出来た。
台風についても、あの中で歩くのはキツかったけど、無謀な行動だったとは思っていません。自分だったら絶対歩き切れるという確信があった。
「何がなんでも絶対に日本海まで歩いてやる。自分なら絶対歩き切れる」と確信しながら歩いてました。
今までは、どちらかというと気の向くまま、風に流されるまま山を歩いて来たけれど、今回、人間の意思ってすごいなと感じました。
まあ、今後今回のような旅をするかは別として。
ありがとうございます。
ほんと疲れた!!
なので冬になるまでは、挑戦ではなく自然と戯れる旅をしたいと思っています。
p.s.立派に育ってはないんだなぁ、これがσ^_^;
投稿数: 2262
11日間の壮大な山旅お疲れさまでした。
(すみません、家族の事情でヤマレコできる時間が限られてまして…
私の方は11日間とはいきませんが、朝の出勤前に4日間かけて少しずつ、記録の上での山旅を楽しませていただいてましたよ)
まずは無事の達成、おめでとうございます
やはりこれだけの山旅となると、自らの気力や体力も勿論必要ですが、
それ以上に、周りの人の協力や支えがなければ容易に成し遂げられるものではないと強く感じました。
行程的には自分もつい先日歩いた槍〜大キレットや、西鎌尾根、朝日雪倉
そして栂海新道の起点「吹上げのコル」にある製缶の看板など、
「自分もちょっと前に歩いてたんだなぁ…」とその時の景色を思い浮かべながら実感アリアリで眺めていました。
全行程中、一部の区間を除いて自分も歩いたことのある区間が多い分、
これらを一気に繋いだんだと思うと尚更その凄さを感じてしまいますよ。
ここには書き切れなかった苦労も多々あったことでしょう。
それらを含めてこのクラスの山旅は自分にとって、ただただ憧れ…
自分もこのくらいの山旅をぜひやってみたい。
そんな思いでいっぱいです。
現実には今置かれている立場では挑戦すら不可能ですが、
人生は一度きり。登山寿命が尽きる前に何とかしてやりたいと思います。
登山人生最大の目標ができましたよ。
恐らく定年後になるだろうから、今からその為に様々な準備をしておこうと思います。
改めて今回の山旅の達成、おめでとうございます。
そして素晴らしい記録を読ませていただきありがとうございました
投稿数: 2727
ようやく来たか!なんつて。(笑)
お忙しいなか、長文レコを4日かけてじっくり読んでいただけた事、本当にうれしいです。リフターさんは毎回、隅々までレコを読んでくださる方なので、本当に申し訳ないやらうれしいやら…。
今回の旅。自分の決意ありきではありますが、t2はじめ同僚の協力なくしては成し遂げられませんでした。いい仲間に恵まれたなと本当に思っています。
11日間の長い旅。その時に感じたこと、起こったことをできるだけ正確に形に残そうと山行中に書き留めましたが、下山してからも「あ、そうだった。あんなことがあったんだった。あんな風に感じたんだった」と、ふとした瞬間に思い浮かんできます。本当に濃密な11日間でした。
そんな僕のレコを読んで、リフターさんが「登山寿命が尽きる前に何とかしてやりたい」と思ってくださったこと、「登山人生最大の目標ができましたよ」と仰ってくださったこと。それがなによりもうれしいです。
ヤマレコをやっていて良かったなと感じる瞬間です。
山を歩き終えて、自分が何を感じ、何を思ったかを書き連ねて、それに対してみなさんがこうしてコメントをくださる。それも含めて「旅をしたんだな」と感じることが出来ます。
強靭な体力と筋力と挑戦心。そしてなにより目標に向かって一歩一歩積み重ねていくことができる精神力。それらすべてを兼ね備え持っていて、今まで数々の挑戦を成し遂げてきたリフターさん。そんなリフターさんなら例えいつになっても、時間さえ許せば、必ず成し遂げられる旅だと思います。
このレコがリフターさんのカンフル剤にもしなれたとしたら、このレコを書いた甲斐があります。
いつかリフターさんが日本海までの長い道程に力強く第一歩を踏み出す日を、そして日本海に飛び込む日を、心待ちにしています!
投稿数: 2479
というより、絶対に超大作なのは確信していたので、自分が「予定の無い休日」になってから読もうと思いまして
普段、zawaさんとは逆に南ばかりな自分なのですが、これだけ一気に歩かれた記録を拝見していると、見たことある風景もちょこちょこと出てきたりして、「あー、そういえばあそこはこんな感じだった」とかいろいろ思い出せました。
今年は現時点で霞沢岳しか行っていないのですが、栂海新道という毒性の強い道を見せ付けられまして…ここは行かなければいけないという気分になってます(笑)
(まぁ、長期休みがもう取れないので今年は難しいのですけど…。)
それにしても、絶対道中は楽じゃないはずなのに、それを感じさせない構成、流石ですねぇ…。
なかなかこういう風に記録を残せないのでいつかパクってみようと必死ですが、まぁそう上手くはいかないんですよね
あ!最後、そこはミレーの変態パンツで終わっていれば完璧でしたね
投稿数: 2727
ご訪問ありがとうございます〜
き、き、貴重なジョーさんの休日をこのような長文レコに費やさせてしまい、も、申し訳ございません…σ^_^;
ジョーさんと違って北ばかりの僕ですが、まぁ、そこはお互い故郷の山というとこで( ̄∀ ̄)
栂海新道。あー、マニアックジョーさん向けの道ですわ。間違いない。(笑)
もうジョーさんが日本海に飛び込んでる姿が想像出来すぎる…。
今回のレコ、道中あったことはほぼ網羅してると思います。まぁ、僕のイメージ戦略にそぐわないものは省いてますけど(^∇^)
ミレーの変態網パンツ。ミレーの変態網パンツで通じてしまう破壊力がスゴイですよね。。正式名称なんでしたっけ?機能的には素晴らしいんですけど、あれは確実に現行犯逮捕案件かと思われます。
ということで、ミレーの変態網パンツのフロントショット!のレコアップは、今までその裸体を惜しげもなく披露されてきたジョーさんにお任せします〜(笑)
投稿数: 5789
そうです!
私が富良野岳をトムラウシと間違え山頂で騒いでたアホな爺です!
まぁそんなことより長旅を無事に帰還されましたこと
ここに謹んでお慶び申し上げます。
最高の映画を見ているようでしたよ! 感動しちゃった。
トータルで2時間半ジックリ拝見させていただきました。
ホントいい旅したというか凄い旅でしたね♪
このレコから伝わる感動は何処から生まれてくるんだろう?って
思ったんだけど・・・
それは、ざっちゃんが飾らない自分の姿をさらけ出し
本当の自分の気持を伝えようとしているから・・・
きっとそんなところなんだろうなって思います。
他人の言葉に左右されず、自分の意志には忠実に、そしてブレずに
強く生きていけるところが凄いと思います。
男、ざわだ!ここにあり!だねぇ
爺にはとてもできないよ (>_<) 流石でございます。
そうやってあなたを支えてくれる人たちが
まわりに沢山いることに感謝するのは当然ですが
爺からの一言は・・・
こんな過酷な長旅を完結させる強靭な身体に産んでくれた お母さんに
シッカリ「気持ち」を伝えてくださいね。
あなたのことを誰よりも愛し、そして、一番心配していた人なんですから
あとさぁ・
「太陽死ね」は ないだろ!
お天道様がいなければ我々生命体は生きてはいけないんですから・・・
「太陽さん、もう少しお手柔らかにお願いしますよ」
くらいにしておいてよ (*^。^*)
新しい道が見つかって、また歩き出すまで・・・今は・・・だね
びぃ爺
投稿数: 2727
まぁ、そんなお茶目なところがbeeさんのいいところ?
でもトムラと富良野岳を間違えるなんてありえなーい(笑)
あらためまして、山行中のメッセージありがとうございました。
今回は「なにがなんでも日本海にたどり着く」という強い意志で歩いていましたが、その強い意志を支えてくれたのがbeeさんはじめ心配してくださった方、応援してくださった方のメッセージでした。本当にありがとうございました。
それはそうと、、2時間半ですか!?
なんだか皆様の貴重な時間を奪っている気がしてきました…。
でもじっくり見てくださって本当にうれしいです。
今回のレコは自分のために書いたんです。なので飾らない自分をさらけ出しているという感覚は全くありませんでした。自分向けに書いたものなので、飾る飾らないもへったくれもないので。
もちろんレコという形にしこうして公開している以上、自分が見たもの、感じた事を皆さんに見てもらいたいというのは当然ありますが、伝わる人にだけ伝わればいいと言いますか…。ちょっと大げさかな…(^_^;)
でもあの時、あの場所で感じたこと、目にしたことはきちんと形にできたと思っています。
今回の旅は本当に長い旅でした。絶対歩ききってやるという強い意志を持って歩いていましたが、それとは別に「絶対こいつを日本海まで歩ききらせよう」というなんらかの意志も感じながら歩いてました。
暴風雨が晴れた先に故郷の街が見えて、反対側を見たらゴールの日本海が見えるなんて、こんな場面転換、出来すぎですよね(笑) 「そこまで見せられて途中で断念するなんて絶対ありえない!操っているのは誰だ!!」ってな感じです。
そうですね。母には感謝ですね。夏の間は山はお休みするので実家に顔を出しに行ってこようかな。
でも僕は強靭でもなんでもないですよ。自分がスゴイ事をやり遂げたなんて微塵も思ってないですもん。一歩一歩歩いていけば、誰でもできる事だと思っています。ただもしひとつだけ自分をほめるとしたら、「絶対歩ききってやる」という強い意志を持ち続けられたことだけだと思います。
「太陽死ね」はあれでいいんです。本気で歩いた奴と本気で照らした奴のガチバトルなんで。だからこそ最後に太陽が顔を出してくれて、優しく輝く海を見せてくれたんだと思ってます。
次に歩きたい場所、見つかりましたよ!
新しいスタートを切るには、ココから歩き出して、ココにたどり着くしかないという道が見つかりました。
どんなことを感じる旅になるのか、今から楽しみです。
投稿数: 307
体調は少し回復されたでしょうか。
今回のレコは本当にすごいレコですが、何だろう。
今までとは違い、まるで新書を読んでいるような、ちょっと不思議な気持ちで見ておりました。
この著者の本は以前から知っている。
最初に読んだ本「大雪山縦走」で大ファンとなり、その翌年に読んだ「北ア80km縦走」で、行った事のない北アルプスに興味と憧れを抱くようになり、その後も数々出版されてきた本を何年も読み続け、今では随分と北アの山々の名も覚え、zawaさんが好きだと言う、たおやかな緑の稜線が続く北アの風景が、いつしか自分の好きな北アの代表的な風景となり、何となく想像も出来ようになってきた。
今回は、そんな昔の記憶も呼び起こしながら、まるでページを前後にめくり返すように、以前のレコの事を色々考えながら見ていました。
130km、11日間の縦走では、想像することの出来ないご苦労も多々あったでしょうし、感動も多かった事だと思います。zawa歴7年の自分なりに、文間からその想いを精一杯感じ取らさせて頂きました^^笑
今日まで、数多くの努力、そして歩いてきた一歩一歩の積み重ねがあったからこそ、今回の旅の成功につながったことだと思います。この先も変わらず自分の想い描く山旅を楽しんで下さいね。そんな山旅を、我々は楽しみにしております。
個人的には、いつかzawaさんの1ページの中で、共に握手を交わす機会が出来ることを楽しみにしたいと思っております^^;
感動レコ、再び。
ありがとうございました。
長々と大変失礼しました。
最後に…
ミレー、見たかったなぁ〜(笑)
投稿数: 2727
コメントありがとうございます。
nishiyanさんの温かいコメントに、再びセンチメンタルジャーニーですよ。さすがに新宿駅で鼻水飛ばしながら歩く訳にはいきませんが(笑)
一冊の本。そうですね。今回は自分でも本を書いている気分でした。
後から思い出しながら書いたのではなく山行中にテントの中で書き留めたというのもあるかもしれません。
ひとつひとつの言葉選びにしても、後から付け足したという感じではなく、あの時にその言葉が相応しいと思って選んでいるといいますか。だから読み直す度にあの時の記憶がブワっと蘇ってくる気がします。
東京と北海道、遠く離れている訳ですが、こうしてレコを通じて共有できるというのは、なんだかうれしいことですね。
いつかnishiyanさんが北アルプスを訪れて、その景色を目の当たりにされた時に何をお感じになられるのか、それが楽しみでなりません。
いつかnishiyanさんとお会いできる日を楽しみにしてます。北アルプスか、はたまた北海道か。
ご所望のミレーは、、その時にじっくりとお見せします!(笑)
投稿数: 3089
素晴らしい縦走ですね〜
ゆっくりレコを拝見させて戴き、ようやくコメントに
夢のような縦走で〜
さすがに真似は出来ませんが、ロマンありますね〜
わたしも栂海新道だけでも行ってみたいのですが、暑がりのため夏は大変そうですね
秋だと水が厳しいのかな〜
これ以上の山旅は出来なくとも季節を感じる山々を今後も楽しんで下さい〜
お疲れさまでした〜
投稿数: 2727
コメントありがとうございます。
いつも楽しくレコを拝見させて頂いております。
長い縦走、そして長いレコ…。
自分でもよくもまぁココまで書きまくったもんだと思っております…(^_^;)
夢のような縦走。そうですね、ずっと歩きたいと思ってきた縦走でした。
数多くの登山道が張り巡らされている北ア。長く歩こうと思えば200km300kmと歩けるルートもあるかもしれません。でも北アの南の端から北の端の日本海へ。シンプルに北上するこの縦走路にずっとロマンを感じていました。
その縦走路を歩くことができて、ようやく今になり「歩ききったんだなぁ」と感慨にふけっております。
その北の果てにある栂海新道。確かにチョー暑かったです(笑)
でも夏に行って良かったと思っています。
残雪がまだ残り、緑が鮮やかに輝く季節の尾根を歩けたこと。
夏の光に輝く海にダイブできたこと。
太陽が真上から燦々と降りそそぐ夏ならではだったかなと思います。もちろん秋の方が体力的にはかなり楽にはなると思いますが。
なので僕的には、いつも真摯なレコを書かれるmakibitoさんが暑さで太陽と罵詈雑言バトルを繰り広げるレコを見てみたいな〜なんて 期待しちゃいます
でも秋の栂海新道もきっと美しいと思います。黒岩平の水場も、おそらく秋でもジャンジャン流れていると思いますし。
いずれにせよ栂海新道。想像以上にいい道だったので、是非、makibitoさんも歩かれてみてください。
こちらはようやく次の旅に向かった頭が動いてきました。
しばらくアルプスはお腹いっぱいですが、どうやら歩きたいという欲求はまだあるようです。
アルプスなどの高山は冬になるまでお休みしますが、里山をゆっくりと歩く旅をしてみようと思っています。
投稿数: 98
そろそろ社会復帰できたでしょうか?
超絶大縦走の記録、時間をかけてのんびり読ませていただきました
zawadaさんて、こんな詩的なレコ書く人だったっけ?と思って、思わず他のレコも読み返してしまいましたよ
他のレコとは文体が全然違っていて、凄いマルチな才能を持たれているんだなぁと思いました
これから先、新たな目標ややりたい事を見つけられる事と思いますが、バリエーションルートに挑戦するとか書かれていなくて、取り敢えずホッとしました。
里山とかで地元の人の優しさに触れながら旅をするのも、人を引き付ける力を持つzawadaさんらしくて良いと思います。
それよりも、自分より↑の方々のコメントも読みましたが、誰も肝心のことをご指摘されていないっっ!
というわけで、ここでひとつ言わせてください。
日本海に入ってガッツポーズの写真、背筋カッコイイっす
投稿数: 2727
コメントありがとうございます。
身体に鞭打ち働いてますよ。メンタル的にも抜け殻状態からはようやく復活してきました。
レコの文体。時たまこんな感じで書いております。σ^_^;
その時の山行の気分に左右されるんですよね。心に残る旅になった時はこのような文体になる事が多いようです。
それに今回はテントの中で書いたというのも大きいかもしれません。なので余計に「ヒャッホー!やってやったぜ!!」的な感想にはなりにくく…。
よってマルチな才能ではなく単なる気分屋?かと…(^◇^;)
これからのこと。今はとにかく、その場の空気をゆっくりと深呼吸しながら歩くような旅がしたいと思っています。里山や寒村などの人の生活の息吹が感じられる旅がしたいです。
なんだかアルプスを歩く自分の姿が今は想像出来ないんですよね。アルプスに向かったとしても、多分目の前の景色ではなく今回の旅を思い出すだけの旅になってしまうような気がします。なんだか今回の旅とは真逆の旅がしたい、そんな感じです。
なので今年の無雪期の高所登山はこれにて終了です!早っ!(笑)
背筋の件。。お恥ずかしい限りです。
いつもは裸になってウォーーとかいうキャラじゃないんですが、まぁ今回は致し方ないかなと思いアップしちゃいました。。
縦走に備えて4kgほど絞ったんですが、11日間の縦走でさらにー3kg、体脂肪ー5%、ウエストー5cm減りました。って元々どんだけデブだったんだよって感じですが…(^◇^;)
ということで、目下この体型をなんとか維持しようと頑張っている今日この頃です^ - ^
motzerrさんは飯豊の次はどこに行かれるのかなぁ。motzerrさんの次の旅、楽しみにしてますね!!
投稿数: 1
投稿数: 2727
またYouTubeまでみてくださったようで恐縮です。
あの山行から気付けば2年半。今は完全に山から離れた生活を送っていますが、それでもなお、あの山行は人生の糧となっていると感じています。
昨夏はコロナの影響でクローズとなってしまったルート上の山小屋やテン場もあったようですが、今夏は昨夏よりは状況は良くなってると思われますので、tike_tomさんの北ア主脈縦走が素晴らしい旅になること、そして無事に完踏されることをお祈り申し上げます。